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シソンヌライブ【dix】とシソンヌ備忘録

今年の晩春頃から突然ハマりにハマっているシソンヌ。

ハマった勢いそのままにライブの配信チケットも初日と千秋楽とをきっちり購入し、しっかり観賞。もはや「お笑い」を見ている感覚は無く、「観劇している」と言った方がしっくりくる。

初日は水曜日の18時からだったので、早いうちから子供らをお風呂に入れ、煮込んでおいたハヤシライスを食卓にセットしたら「お母さんは今からシソンヌやから。」とだけ言い残して気持ちを本多劇場に持って行く(実際には同じリビングで同じテーブルに着いているのだが)。

ゲラゲラ笑って本当に楽しませてもらったのだが、個人的には野村君と花沢さんがなんだかグッと来てしまってちょっと泣いてしまいそうな変な気分になった。

野村君は「シソンヌライブと言えば」というような、有名な中学生キャラクターなのだが、この度めでたく高校生になっていた。

通学ヘルメットに学ラン姿でひょこひょこ舞台上に現れた瞬間「野村君や!!!!」という、もはや実在する芸能人を見かけた時と同じような感動があって、その自分の感動に自分で驚くという複雑な心の動きがあった。いやいやいや、じろうさんやし。じろうさんのキャラクターの1人やし。架空の人物やし。と必死で自分の錯覚を覚まそうとするのにこれまで見てきた野村君の、素直で頑固で家庭環境がちょっと複雑で、ぶっとんでるのに根っこは超リアリストで、淋しがり屋でかまってちゃんやのに自分の周りに張り巡らせている壁はめちゃくちゃ高いという極端な二面性の面白さがどうやっても一人の人間として認識させてしまう。いつか劇場で生の野村君に会ってみたい。あのキモチワルイ野村君が私は好きで仕方ないのだ。野村君を思い浮かべるだけでにやぁっとしてしまう。ああ好きだ。

もう一人のひっかかった人花沢さんは、とある会社の初の女性取締役に抜擢された女性。仕事への情熱も成果も自他ともに認める実力者。だけど「女性」の自分が取締役に選ばれたのには「時代の風」が大いに影響している気がして…というストーリー。

この話を男性であるじろうさんが作っているというのがまず脱帽。ジェンダー問題というか、働く女性にまつわるエピソードはこれまでにも色んなところで色々言われて表現されているのだが、今回の「花沢さん問題」はこれまで内閣が組閣される時に女性が大臣に任命されるたびに女の人がもわぁっと感じていたことだと思う。恐らく男の人より女の人の方がもわぁっと感じている。卑屈になっても仕方ない。今この時、このタイミングで、女であるということが何かの加点ポイントとしてプラスになるならそれはそれで良いことだ。仕方ないことだ。自分の意志があるかないかは関係なく、それもまた自然の摂理のようなものだ。と割り切ろうと思えば思うほど、自分の力や存在を無視されているようで辛くなるという…。この鬱陶しい感情をああも上手く「おもしろヒステリック」に仕立て上げてくれたのが嬉しい。そして、じろうさんの女の人を見つめる目がどこまでも優しいことに気付いて、ほらまたじろうさんを好きになってしまう。やんなっちゃうね、ホント。

ライブを見にくるお客さんの男女比はどれぐらいなのだろうか。配信で見ている限りでは女の人の笑い声の方が良く聞こえるので、女の人の方が多いのかな?(単に高い声の方がよく通るからよく聞こえるだけかもしれないけど。)初日では、最後のネタの最終盤に、(これはもうどうしたって『アレ』だよな。絶対『アレ』だよな。いつ出てくるのさ『アレ』。ほらほらもう早く来てよ『アレ』……で、キターーーー!!!!)みたいな、女性客多めと見られる客席が一体となって「アレ待ち」をしている感覚があって、じろうさんの口からそのナニが発せられた瞬間、爆発するように全員が笑うというなんとも幸せな瞬間があった。ライブの醍醐味というか、シソンヌファンの醍醐味を味わえたのが非常に幸せだった。良い時間だったな。面白かったなあ、ホント!

しかし、40をすぎたおじさん二人がすごい才能と努力と執念でぶち上げるライブの根本が、いつもうんこだとかおちゃんぽこだとか、小3レベルの下ネタだというのが普通にすごい。すごく驚異的なことだと思う。しかも決してそれ以上には発展しないし、下品にもならない。上品なうんこ。書いていてなんじゃそれ。と思うのだが、シソンヌを一言で表現しろと言われたらこれしかないと思う。うんこに上品も下品も無いだろうと思うのだが、シソンヌの手にかかればいかにも芸術作品といった風に見えてくるのだから仕方ない。喜劇は悲劇と表裏一体で、本人にとっては悲劇で大真面目に絶望しているのだけど、悲しみが深ければ深いほど、真面目に絶望していればいるほど、その姿は笑えて仕方ないという、そのクールな視点がシソンヌにはいつもある。だからコントはいつも奥深いし、生まれながらにして悲劇と喜劇を背負ったようなうんこもシソンヌの手にかかれば実に爽やかでいられる。これは本当稀にみる才能だと思う。(どんな!)

ところで、シソンヌといえば「奇才・じろう」が必ずフューチャーされるのだけど、長谷川さんの「無地の背景」の配色が凄すぎて私は本当にいつも唸ってしまう。長谷川さんの声のトーン、キャラの押し出しの強弱でじろうさんのキャラクターやコントの意味合いが変わってくる。色で言うならじろうさんのキャラクターはいつも山本寛斎のデザインのような奇抜な色をしている。そして長谷川さんはその色が一番映えるような背景を当ててくる。決して目立たないけど、計算されつくした毎回微妙に違う無地の背景がそこにある。「いつも同じに見える、毎回違う白」といった感じ。これ、本当にすごい技術だと思うのだけど、なんだか長谷川さんはあまり表立って褒めてはいけないような感じがするので、ここらへんでやめておこうと思う。オシャレにうるさい長谷川さんのことだから、黙って心の中で賞賛する方がクールでカッコいいとされるのかもしれない。

何事にも熱しやすく冷めやすい気質の私のことだから、来年の今頃はもう完全にシソンヌのことなんか忘れているかも知れない。大人買いして集めたDVDもブックオフで売り飛ばしているかも知れない。それでも今この時むちゃくちゃカッコいいおじさん二人にホネヌキにされていることを忘れたくないなと思う。これまで特定の誰かのファンになったこともなく、友達がジャニーズの追っかけをしている時も、正直そのファン心理というものがイマイチよくわからなかったのだけれど、今ようやく、何かを好きになって自分の生活が豊かになる感覚がわかった。出産して育児に追われて、自分のことより家族のことだけで手が一杯になって、心躍ることより、辛く感じることの方が多くなってきていたけど、シソンヌのおかげで久しぶりに自分の時間を楽しむ気持ちを思い出している。ただ、シソンヌをつき詰めれば「上品なうんこ」に行きつくわけで、私は今「上品なうんこ」に満たされているんだよな…と思うと少々ひっかかりはするのだが…。「上品なうんこ」に対する熱い思いをここにぶちまけておいたので、いつかシソンヌを忘れてしまう時が来た時にはこの備忘録を読んで初心を思い出そう。今のこの熱い思いはいつかの冷めた私にもきっと届くはずだ!

写真はライブ初日を配信で見届けた後、ちょっといいビールで一人で勝手に初日打ち上げをした模様。冷蔵庫に転がっている発泡酒ではなく、ちょっといいビールっていうのが思いの熱さを物語っています。

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