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自分で考えるためには
ぼくは、比較的“自分で考える”ことができている、いや、そうあるように心がけている、そうありたい。自分で考えるために必要なことって、どういうことなのかを言語化しようとしていた矢先、山田ズーニーさんの『大人の小論文教室』という本にヒントが書いてるのをたまたま見つけました。引きが強い。そして積ん読は正義。
自分の頭でものを考えるためには、
①問を立てる『問題発見力』
②さまざまな角度からものごとを見る『多角的考察力』
③筋道を立てて検討する『論理的思考力』
④自分なりの考えを打ち出す『独創性』
⑤流れや関係として歴史をつかむ『歴史認識』
⑥自己の内面を表して相手に伝える『自己表現力』
⑦継続して技術を磨くことで得られる『熟練』
⑧五感を働かせて、相手が言おうとしていることを受け取り、ちゃんと自分の考えを返せる『コミュニケーション能力』
⑨好きでたまらない、何かをよくしたい、考えずにいられない、分からないから知りたくて仕方ないという『情熱』や『動機』。
これらが必要だとズーニーさんは書いています(意訳)。なんか多い。よくこんなにも上手に言語化できるなと感心します。ちなみにズーニーとは、『「ズーニー」とはカシミール語で「月」という意味で、北インドのカシミール地方を旅したときに地元の人につけられた名前である。』とWikipediaに書いてました。余談です。
仮に上記が正しいとして、これらすべてが揃っている人が多く存在するとも思えません。それぞれの能力をすべて伸ばすとなると大変です。なので部下などに「自分の頭で考えて」と安易に言っちゃダメなんだと思いますが、いまのご時世、これを避けてはいけないのが辛いところです。
ググれば何かしらの情報が出てくる時代、生のデータにはさほど意味はありません。情報を集め、多角的に分析し、問いを立て、自分なりの解を見いだし、表現してこそ、はじめて価値が生まれると思います。インプットに偏りがちな社会の中で、いかに自分なりのアウトプットを続けるか、それがとても大事なことだと思っています。なので、このような文章を書くことはとても勉強になります。書くことで自分の無知を痛感し、質のよいインプットにつながる気がします。
「おい、自分の頭で考えずに作家の書いた文章を引用してんじゃない!」と思った人は、自分の頭で考えている人だと思います。