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「チ。」と教育

私の好きな漫画である、「チ。」がアニメ化されて話題になっている。この漫画の好きなところを語りつつ、自己実現について考察したい。

(このnoteは多少のネタバレが含まれます。)

まず、この物語で最も重要な要素は「意志の継承」ではないだろうか。地動説を弾圧しようとする勢力がいくら異端者を排除しようと、地動説が存在する限り、死んでいったものの意思を誰かが引き継いだ。また、地動説の灯を絶やさないために重要だったことは「追い詰められた異端者が次の者に託す」ということである。当たり前のように思えてこれは、簡単にできることではないと私は考える。これは第2章で顕著なものであったが、自分が地動説を証明できなかったからと言って諦めたり、保身のために拷問に屈することがあればあっけなく地動説はもみ消されていた。結局、第2章の登場人物も研究の成果をあきらめることにはなるが、その“想い”は絶えることなく引き継がれることとなった。

話は変わるが、「鬼滅の刃」に出てくる産屋敷さん(お館様)も「人の思いは永遠に不滅」というセリフを口にしていた。このセリフは、命という有限さと、1人の人間の無力さを自覚しているからこそ出てきたものであり、強大な敵に立ち向かい悲願を果たすという結末に繋がるキーワードになっている。また、進撃の巨人に出てくるキース教官は、自分が特別な人間ではなかったと知った時に、後続の育成へと舵を切った。悲願を果たせなかったときに絶望するのか、後継者に託すのか、それこそが人生のテーマなのではないかと私は彼らから学んだ。

20世紀の思想家、ハイデガーは人間を「死への存在」だとして、死の可能性を受け入れながら本来的な生き方へと向かう大切さを説いた。私たちの大多数は特別な才能を持っておらず、短い生涯で何かを成しえることは無いかもしれない。それでも、何かになりたいという自己実現の達成のために日々生きているのだと思う。昨今では、結婚に対する意識の低下や、子どもを育てるのが難しい現代日本の生きづらさについて問題提起されることがある。しかし、私は「次世代の育成」こそが大多数の人間にとっての本来的な生き方・希望になり得ると考える。

教育という、未来に思いを巡らせる行為は、「チ。」の登場人物たちの“次に託す”行為と似たものを感じる。何者にもなれなかった私が、未来ある子供たちに伝えられることは何かを必死に考えていきたいと思う。


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