22年10月28日 コレチェキ


 メイドカフェに通いたくて通っているわけではない。むしろわたしはメイドカフェに行かないようにできるかぎりを尽くしていて、しかし行かずにはいられない。ヘミングウェイが闘牛なしではいられなかったのと同じ。熱心な信者が毎週日曜日に協会へ行くのとは全然違う。この違いを理解できない輩たちが芸術にトマトスープを投げつけている。

 10月28日。わたしは表参道駅で銀座線に乗り換え、イヤホンを繋いでボン・ジョヴィの『スリッペリー・ウェン・ウェット』を聴きながら秋葉原へ向かっていた。髭をきれいにあたり、足の爪は短く切ってあった。アルコールを何杯か呑んでいたので気分がよかった。

 末広町駅で地下鉄を降り、駅の出口へ向かった。外に出ると日が沈んでいた。わたしは酒を安く販売している店でビールを買った。路地でそれを飲み干し、また同じ店に入って同じビールを買った。たしか16時か19時頃、わたしは酔いに耐えられなくなり、誰もいない路地で静かに吐いた。それからドラッグストアで買ったうがい薬で口をゆすぎ、襟に何も付いていないか確かめてからメイドカフェへと向かった。

 本店4階はまともな人間がひとりもいなかった。頭の回転がトロいせいで仕事を失ったやつ、貧乏のくせにギャンブルが好きなやつ、口の聞けないやつ、いつも怒っていてひとりでぶつぶつ言っているやつ、売れない絵を何枚も描いたやつ。みんなどこかを病んでいて、誰かとファックすることしか考えていなかった。どうしようもない連中ばかりだったが、わたしも彼らと同じか、それ以上にひどい状態だった。くそったれ。若い時に良かれと思ってやった愚かな行動が今のわたしを苦しめている。わたしはモーツァルトになろうとして放浪の旅に出たものの、音楽の才能がないことに後から気づいたのだ……。

  メイドがにこにこと笑いながらやって来て、わたしを店内へ案内した。黒髪。サンリオ付きのリボン。彼女がわたしに注文を尋ねた。わたしはビールと本店7階所属のMちゃんのチェキを頼み、そのチェキに4階所属のMちゃんのオプションをつけ加えた。

 まず初めにビールが到着した。持ってきたメイドは一度もわたしと目を合わせなかった。彼女は事務的におまじないのセリフを吐いて、すぐにどこかへ消えていった。気の利いたようなことは一切口にしなかった。かわいそうなメイド。わたしは彼女に同情する。きっと知らないうちに感情を持つことを忘れてしまったのだ。メイドはきらいな奴らのために大事な時間を捧げ、笑顔をこしらえ、他人に愛情を込めるふりをして生活費を稼いでいる。タフでなければやっていけない。

 さて、店に来て40分ほど経ったと思うが、チェキの撮影がまだだった。それどころかMちゃん(4階)は向こうのテーブル席に座っている若い男の子たちとげらげら笑い合っている。わたしは席の近くを通りがかったメイドを呼びつけた。

「どうしたの、チャブさん」

「やぁ、えっと……ケイティだっけ?」

「キャロルよ」

「わかった、ケイティ。Mちゃんがまだチェキに呼びにこないみたいだ。どうやらわたしは忘れられてしまったらしい」

「彼女忙しいみたいね。もう少しで来ると思うわ」

「ほんとうに?」

「えぇ、おそらく」

「Mちゃんがわたしを呼ぶのはいつ頃だと思う?」

「さぁ、そんなの知らないわよ」

「彼女に訊いてきてくれない?」

「いやよ。だいたい、何時に店に入ったの?」

 わたしはキャロルに伝票を見せる。彼女はそれを見て不機嫌そうに言った。

「まだ20分しか経っていないじゃない!」

「何だって!」わたしは声を荒らげた。「わたしは20年待たされた気分なんだ! これだけ待たされて、もし注文が通っていなかったとしたら? わたしはさらに待たされることになるね。わかってくれ。わたしは不安なんだ。ビールもなくなって、何もすることが見当たらないし……」

「あなた、メイドカフェに向いていないわよ」

「たのむよケイティ。いや、キャロル。名前を間違えて呼んだのはほんの冗談のつもりさ。わたしはチェキに呼ばれないことがどうしても気になってしかたがないんだ。なぜだかわからないけれど、一生このまま名前を呼ばれない気がするんだよ。キャロル……」

「わかったわよ!」

 キャロルはインフォメーションへ行き、注文の伝票を確かめた。そしてすぐにこちらへ戻ってきた。

「ねぇ、注文が通ってなかったみたい」

 数分後、わたしはステージの上にいた。まずはMちゃん(4階)とのチェキ撮影だった。わたしは、『トップガン』という映画でトム・クルーズが演じたマーヴェリックの相棒であるアイスマンが飛行訓練で死んだシーンを模して撮ろうと誘ったのだが、彼女がまだその映画を見たことがないと言うので、結局『ラ・ラ・ランド』の丘の上のダンスシーンで撮ることになった。

 わたしたちがステージの上でダンスを踊っていると、そこにいつの間にかMちゃん(7階)が加わっていた。この3人で会うのは初めてだったが、相性は悪くなかった。かと言って、魂を触れ合わさせるようなことも起きなかった。わたしたちは、ただただ何も起きない時間をたのしんでいた。

 実際のところ、わたしは酔っ払いすぎて、彼女たちと何を話したのか覚えていない。 Mちゃん(7階)がわたしたち3人のチェキにペンを入れてくれたのだが、そこにはこう書かれてあった。

――親愛なるチャブへ。このチェキがあなたに思い起こさせる詩は、きっと刺激の足りない空っぽの詩よ。軽食用のテーブルに置かれた果物をかじったほうがまだ栄養があるわ。昔のあなたは違った。あなたがメイドカフェに通いたくないのは、うまく詩が書けなくなったから。それでも通ってしまうのは、メイドカフェに通いながら美しい詩をたくさん生み出した過去があるから。なぜ書けなくなったかわかる? あなたは代償を払わなくなったの。ねえ、どうしてあたしにコレチェキを入れてくれないの? 

  帰り際、Mちゃん(4階)がわたしに尋ねた。「ねえ、あなた酔っ払いすぎよ! せっかくMちゃん(7階)が来てるっていうのに、どうして台無しにしちゃうの?」

 わたしは答えた。「みんな勘違いをしている。きみは酒よりもメイドのほうが価値があると思っている」

「当たり前のことでしょ」

「違うね。メイドが酒よりもすぐれているのは顔くらいさ。わたしは詩を書くためにメイドカフェに通っているわけではない。すべて逆なんだよ」

 わたしは店を出た。頭痛も吐き気もなかった。思いのほか気分はすっきりしていた。いくつかの問題が山積みになっていて、わたしはそれを認識しながら、チェキを撮ることと酒を飲むことで後まわしにしている。その行動がまた新たな問題を生み出していることも知っている。見ての通り、わたしは愚かだ。いちばんの問題は、わたしが、自分の考えがもっとも正しいと信じていることだ。だとしても、もうコレチェキをもらう生活に戻ることはできない……。

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