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ルーチン化の落とし穴:便利さの先にある“思わぬ迷宮”
生活や仕事を効率よく進めるには、ルーチン化は欠かせない仕組みです。「やるべきこと」を考えなくてもこなせるようにする。これさえできれば、毎日がぐっと楽になる――はず。
でも、この便利なルーチン化には一つ大きな問題があります。それは、一度その流れから外れると、タスクがすっぽり抜け落ちてしまうこと。
たとえば、いつも朝食後にメールを確認するのが習慣なのに、寝坊して朝食を食べられなかったとします。その瞬間、「確認しておくべき大事な連絡」がまるごと頭の中から消え去ることがあります。
そういったものは、最悪一日分抜けるだけで、翌日からは再開することになるでしょうから、そこまでダメージは大きくありません
一方で毎日の習慣化できるようなものでないもの、つまり頻度が毎日ではないようなタスクは、タスク管理アプリやスケジュールアプリなんかを使うことが多いでしょう。
たとえば「月初に会社の経費精算をする」というタスク。これをタスクとしてアプリに入れておけば安心……と思うじゃないですか。ところが、通知が鳴った瞬間に「今は無理」と閉じてしまうと、そのまま永遠に記憶の彼方。結果として気づくのは次の月初、もしくは経理担当者からのお叱りの声を頂戴したとき。
また、いくらスマホを肌身離さず持っていたとしても、あまりにもタスクが多くなると通知が溢れすぎて埋もれることになります。それどころか、通知が鬱陶しくて脊髄反射的に消去した結果、何の通知だったかすら忘れるなんてことも。
結局、忘れないための仕組みをさらに忘れないための仕組みで支える必要があり、その繰り返しは、まるで新宿駅の地下ダンジョンのように迷宮化してく。タスク管理アプリの中には通知の通知が積み上がり、もはや何と戦っているのか分からなくなる……。
結局最後の手段として「目立つところに付箋を貼る」「消えることのないリアルな手帳に書き出す」というアナログな方法を取り入れることになったりする人もいますが、付箋が剥がれ落ちてしまったり、一部の予定が手帳から抜けていたりすると、どこをどうケアしていけばよいのかわけがわからない状態に。
もちろん自分にとってとても重要で、かつ率先して実行したいような事柄なら、通知に頼らずともどこかで思い出して実行するでしょう。
でも、ルーチン化するものってのは、概ね自分が最優先で考えられないようなことがら(重要だけど、娯楽や快楽と比べると本能的な欲求レベルが低い)が多いですから、そうもいかない。
ルーチン化は便利なことですが、自分にとっては特別あまりにも細かなことまでたくさんルーチンに組み込んでしまうと、こういうパラドクスに陥るんだなぁと、そんなことを考えながらふとテレビを眺めていると、もうすぐ紅白歌合戦……みたいな番組が流れている。
――あ、大掃除。
年一のルーチンって、最悪紅白で思い出しますね。ゆく年くる年じゃあもう遅いけど。
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大晦日はチャベリでカウントダウンチャット
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