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チャンネル最長シリーズを一旦休む話

最初にお断りしておきますと
当記事はFF14とその元ネタとなっているファイナルファンタジーシリーズのネタバレ
また忖度無き感想などが含まれます。

現在エオルゼアでの冒険を楽しんでおられます諸兄は是非その貴方だけの体験を大切にして頂き
ここでブラウザバックして頂きますよう光の戦士の一人としてお願い致します。

というわけで本題を始めていきたいと思います。
他プラットフォームではちょこちょこお伝えしていたのですが
長らくチャンネルの軸としてプレイしていたFF14をひとやすみしようかなと考えております。

スケジュールとしては
10/21には休止前ラストの配信として黄金のレガシー ロールクエスト ヒーラー編を配信
10/29頃には課金が切れるのでそこから無期限休止の予定です。

この判断に至った理由を整理しておくことで
自分にとって魅力的なゲームとはなんなのかを具体的にし
今後のゲームライフ、配信作りにフィードバックしていけるように
思考を巡らせられれば……と思います。


これまでのFF14体験

自分は2022年8月24日に始めたようですね。
かれこれ二年ほどですか……
配信やってると振り返りも正確で便利!

配信者の知り合いに勧められてはいたものの
「ネトゲってカロリー高くないですか……?」
と避けていたのが本作でございました。

ただファイナルファンタジーシリーズ自体はSFC三部作の頃から触っていた老兵たる自分。
知り合いの配信を見るうちに、知っているワードやモンスターにどんどん遭遇し
いつの間にやら「まぁ、始めるだけならタダだし…」と盆休みの終わりにインストールしたのが始まりでした。

初期こそ続くおつかいに「耐えている」感覚はあったものの
ジョブを選び、服を着飾りといったキャラクリ要素を楽しみつつ
いつの間にやらガレマール帝国との戦いは激化、物語は盛り上がりを見せグイグイと引き込まれていくのでありました。

自分は結構戦記モノとかも好きでして
丁寧に積み上げられていく政治、軍事描写。
それらを受けて変容していく民や生きる者、散りゆく者が入り乱れる戦場……
そういったものに魅せられていったのを覚えています。

そんな中で登場する見覚えのある敵やギミック。
オーバーデス!ってことはゾンビにならないとマズイぞ!とか
霧となったミストドラゴンを叩いてはいけない!とか
ちょっと転生ものの主人公みたいな気分になれて非常に楽しかったですね。

過去作プレイヤーとしては他にも

「シュン」がカイエンの後を継いでドマを納めているという
FF6本編では妻と子に先立たれてしまったカイエンが見たかったであろうドマの姿や

「空より現われし、心を持たぬ者…「オメガ」…それを追って来た者…「神竜」」
そんな記述くらいしか原典FF5にはなかったFF伝統の最強ボスたちをよくぞああも物語として膨らませたものだという感動。

「エリディブスがゾディアークの核だった」
というのもFFTのディープダンジョンを踏破した経験のあるものとしては
思わずニヤリとしてしまうものでした。

枚挙すれば暇は無く
正に「FFのテーマパーク」を楽しませてもらっていました。

そんな経験の果てに到達した暁月のフィナーレ

自分はメインの他にクロニクルクエスト各種も適宜済ませながら遊んでいたのですが

イルサバード派遣団に、最終決戦の地へと向かう準備の場に
これまでメイン以外のクエストで出会ってきた様々な人が手を貸しに来てくれるのを見て
「ああ、プレイヤーの歩んできた道にしっかりと報いてくれる……なんてすばらしいゲームなのだろう」
と涙を流しました。

思えばFF14が、ファイナルファンタジーシリーズが積み重ねてきたものへの誠意にこそ魅力に感じていたのだと思います。

そして最後の戦いの直前。

「アゼムのクリスタルを持つ者だろう?それくらいは当然見ておけ。……私は見たぞ。」

あのセリフに対して
「ならば、自分はお前の見て来なかった世界も見て、この世界の理解を深めよう。」
と過去作を改めて配信でなぞり出し、現時点で残すナンバリングは1、7、11、13と
本当にこの二年、ゲームライフの軸に「ファイナルファンタジー」はずっと存在し続けていました。

そんな光り輝く体験だった「ファイナルファンタジー」


自分にとって陰りが差した最初のきっかけ……2023年8月

発売日から遅れること一月とすこし。
そう、ファイナルファンタジーXVIです。

前半こそ楽しんでいたのですが……

本作で最もクリティカルに自分が看過出来ない問題だなと感じたのは
「自分が体験していない事を後出しであったかのように描写される」でした。

具体的な話をすると
終盤、最終決戦の直前になるとどっと増えるクエスト群の中に
相棒のトルガルと過去を懐かしむというものがあります。

トルガルに導かれ、ポートイゾルデへと赴き
小舟に乗った先にある秘密の場所で少年の頃、共に過ごした日々を想う…

そんなクエストなのですが
この秘密の場所、少年期はちゃんとプレイアブルとして存在した期間にも拘らず
プレイヤーはその時期にこの秘密の場所を訪れることはありません。

そう、「自分が体験していない事を後出しであったかのように描写される」のです。

FF16ではここ以外にも気になる点が多々あったのですが
FF14でも積み重ねの誠意に魅力を見出していた自分はここで特になんで?となってしまいました。

ただ、買い切りのFF16と運営型サービスのFF14を比較する事はフェアではないだろうとも思ったためこの段階ではなんだかな……という疑念といった感じでした。


疑念が深まった…2024年7月

やはり一月遅れで始めたFF14 黄金のレガシーでした。

余談ですが、当チャンネルでは
「まず自分の体験を大事にしてほしい」
という理念から発売一ヵ月以降から配信を始めるようにしております。
是非自分でやった後に見に来てくれよな!ってことですね。

話は過去パッチに戻りますが
紅蓮のリベレーターの頃に登場したフォルドラというキャラクターが居ます。

彼女はガレマール帝国に徴用されたアラミゴ人として登場し
髑髏連隊という部隊を率い、パッチを通しての敵役として登場します。

アラミゴでの戦いがエオルゼア側の勝利で終結し
捕虜となった彼女は投獄され、帝国軍人として味方すらも時には切り捨て戦ってきた己が所業による苦悩や
これまで虐げてきたアラミゴ人の憎しみや恐怖に苦しむ事となります。

ですが、彼女の得てきた力は人を救う力にもなり得た。

請われ、戦う内に少しづつながら民ににもその行いを感謝され
彼女はその力をいつか来る裁きの時まで償いのために振るう……

そんなキャラクターです。

黄金のレガシーにおいても
同じように罪を重ねてきたものの、会心したキャラクターが居ます。

バクージャジャです。

彼は、強者を産むために何度も交配され
望むように産まれなかったが故に捨てられた
数多の命の上に産まれた特殊な個体でした。

であるが故に、王にならねばならぬ。

そういう動機でダーティな行為も辞さないライバルとして
黄金のレガシー前半を通して描かれる王位継承の儀に参加します。

そのダーティな行為は
最終的に大陸全土を滅ぼしかねない災厄を呼び覚ます
というところまでいってしまうのですが

その行為は特段裁かれるでもなく、投獄される事もなく自由に闊歩し
途中会心するに至るイベントがあり、国の危機に身体を張るシーンがあるとはいえ
そのまま罪について大した言及もなく、エンドロールが流れる頃には
トラル遊連隊という警察組織的なものの隊長に収まってしまいます。

両者の違いは何か?

そう、明確な「裁き」の描写の有無です。

自分はバクージャジャというキャラクター自体は嫌いではありません。
傍若無人な悪役としても、「ありがとう」を喜ぶ元あらくれとしても。
ただそれらを繋ぐ部分をしっかり「積み重ね」してくれてこそ、心から愛せるキャラクターになるのではないかと思うのです。

黄金のレガシーにおいては他にも所謂「描写が足りない」キャラクターが存在します。

偉大な先王を持ち、その子供でありながら
最大の身体的特徴を継承出来なかったことをコンプレックスに感じていたのであろう…
端々から感じ、そんな「想像」をすることしか出来ないまま散った男。

ゾラージャ

彼に関しては今後のパッチで更なるエピソードが語られるそうですが
彼自身はもうこの世にいません。

悲しいかな、終わってしまったキャラクターなのです。

FF16はトルガルのサブクエストの件で「後だし」という話をしましたが
情報には適切なタイミングというものがあると思っています。

ステーキを注文して、食べ終わった後にソースが出てきても困るのです。
ちゃんと焼き加減を、味付けを、盛り付けを積み重ねてお出し頂きたい。

このように、FF14、ひいては現在のクリエイティブスタジオ3の描く物語は
然るべきタイミングで適切な情報を積み上げていく
ということがおろそかになっているように思います。


また過去作の扱いという点において

黄金のレガシーではFF9をフィーチャーしたと思わしき要素が多々あります。

しかし、それは先に述べたような
原典を踏まえた上でのポジティブな再解釈や拡大解釈ではなく

原典から感じられた印象とは真逆をいくものが多々目についたのです。

特に「記憶を雲の上に預ける」

原典FF9における「ボクの記憶を空にあずけに行くよ……」というセリフのオマージュであろうと思われますが

原典においては
自分の命は尽きるとも、次の世代が繋いでいってくれるものがある……
そういう結論に至ったからこそのセリフだったように思います。

しかしFF14の場合は
生き残った人からは亡くなった人についての記憶が消され、繋がっていくものは断絶される……
真逆のシチュエーションでの発言でした。

ここはFF9において、長き旅の果てにようやく見出された物語の結論だったと
自分は思っているのですが、何故反転してしまったのか……

敢えて考えるとすれば「そうではない!」という否定をプレイヤーにやらせることで
FF9を肯定させたかったのかもしれないとも思いますが
で、あるならばそれを行うのは「アレクサンドリア」であるべきではなかった。

アレクサンドリアは原典において、守るべき土地として必死に奔走した場所なのだから……


つらつらと思う事を書いてきましたが

正直思う事は他にも沢山あります。
ジョブのバランスがどうだとか、BGMの使いどころどないなっとんねんとか

でも一番重かったのは

情報を、これまでFF14やシリーズが培ってきたものを、丁寧に積み重ねて物語を紡ぐことが出来ていない。

これに尽きます。

正直ゲームとしてはもう
どのレベルで何が起きて、どういうコンテンツがどのくらいの量実装されて…
というのが固まっているゲームなので、そこに新鮮味は余程の事が無い限り生まれないでしょう。

であるならば、構成要素の中で一番フレキシブルな「ストーリー」は新鮮味の柱であり
ここ二作はそこに期待していた誠意が崩れているのを感じたので
しばし、エオルゼアでの戦いは槍を置くこととしたいと思います。

ファイナルファンタジーシリーズとの付き合いは今後も、過去に遡る形で続けていきたいとは思っています。

そうしているうちに楽しそうな話が聞こえてきたら、またエオルゼアの大地に足を踏み入れたいですね。


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