「デキない」を隠さない
市役所流「デキない」職員の配置について、先日記事にしましたが、「デキない」という概念は非常に抽象的で、感覚的な部分だと思います。
それを言語化や数値化するのが人事評価だと思うのですが、私の市役所だと制度が形骸化していて、ほとんど機能していないのが実情です。
そのため、周りからの評判などで「デキない」と判断されるケースもあると感じますし、自分の意思に反して、印象だけで「デキない」認定されることもあります。
このように「デキない」は雰囲気で決まる可能性もあるので、その決定をアテにし過ぎるのは良くないですし、ましてやそれで人事配置をして、隠すようなことをしておくと、組織としても個人としてもあまり健全ではないと私は考えます。
誰にも強みと弱みがあって、それを補いながら業務を遂行するのが組織の良さだと思います。
そもそも「デキない」と判断する側が「デキない」可能性も大いにあるのではないかとも思いますし、「デキない」ことを隠すように取り繕う方が罪深いような気もします。
いずれにしても、「デキない」とは一体何なのかを言語化し、その定義に合わせて判断した上で、対応していくことがみんなが幸せになる方法なのかなと思います。
隠した先には未来はない。
そんな風に思います。