【市役所】「本人のためにならない」という弊害
市役所の仕事は多岐にわたっているので、業務内容によっては、このひとにやらせるよりは他のひとがやったほうがいいという現象に度々遭遇します。
同じ市役所で働いているとはいえ、やはり人間ですから得意不得意があるので、不得意なものをわざわざやらせるくらいならそのひとから仕事を取り上げて別のひとがやればいいじゃんと私は考えるのですが、そうしたときによく聞く言葉が「本人のためにならない」というもの。
この言葉が使われているのは、市役所の人材育成の観点から職員個人の出来ることを増やしてほしいという意味合いだと思うのですが、使うときには前提条件があると思います。
それは、仕事が滞りなく終わること。
例えば、「本人のためにならない」と言って不得意なことを任せ続けた結果、仕事が思うように終わらずに、同僚にも迷惑をかけた末に、最終的に影響が出るのは市民のみなさんとなるケースってわりとあると思います。
市民のみなさんからすれば、しっかり仕事してくれれば職員の誰がやったかは関係ないんじゃないかと思ったりもしますが、市役所内部ではなかなかその道理が通じないものです。
「本人のためにならない」という言葉を使うなら、ただ丸投げをするのではなく、その職員の能力を観察し、任せる部分を見極めて、その都度適切な指導をしつつ、仮に期待通りの働きができなかった場合にはフォローができるようにしておくのが理想だと思います。
そもそも「本人のためにならない」と他人が決めるのは筋違いですし、職場は学校ではないので、本人が望んでいない余計なお世話は必要ないです。
さらに言えば、もっともらしい言葉を使って現実を直視しないのはそれこそ「自分のためにならない」んじゃないかと考えるところです。
ま、こんな話をするのは実際に私の目の前で危ない事案を抱えているということなんですが…苦笑
願わくば市民のみなさんにご負担をかけるような事態にならなければいいなと思うところです。