日曜日のシャッター街で思うこと
梅雨時とは思えない暑い日が続くようになり、育休中の楽しみである我が子とのお散歩も時間を選ばないといけないような状況になってきています。
ということで、まだ涼しい時間を狙って、我が街のメインストリートに行ってきました。
時間は日曜日の午前10時。
もうそろそろお店も開くだろうと思っていましたが、8割方はシャッターが閉まっています。田舎だと日曜日休みのお店も多いですが、この光景を見たらシャッター街と言われても否定できないような状態です。
歩いている人影も10人いるかいないかくらい。
お散歩するには周囲を気にすることもなく、のんびりとでき、それはそれでいいんですが、イチ市役所職員としてはこの街の行く末をぼんやりと考えてしまいます。
街の偉い方は中心市街地の活性化と称してシャッターを開けさせようとしますが、無理矢理開けたところで長く続くはずもないですし、今の時代、店舗を持たなくても営業できる形態もあることから、必ずしもシャッターを開けることが全てではないと思います。(もちろん熱意を持ってシャッターを開けるのは大歓迎)
そもそもシャッターを開けることと中心市街地の活性化はまた別の問題で、活性化というアバウトな目標を掲げるのはもうやめたほうがいいような気さえします。
人口減少・少子高齢化が続く日本の中で今後ますますシャッター街の比率は増えていくと思います。街の担い手がどんどんといなくなっていくから。
まずはそうした現実を直視した上で、それでもシャッターを開けることを目指すのか、それとも違う形でこの街を持続させていく道を選ぶのかという舵取りをしなくてはならない状況になっているのかなと思います。
こういう地域の問題はデリケートなので、だいたい先送りになることが多いのですが、どこかでそのツケはいずれ回ってきます。
そのツケを払わされるのは未来の私なのかもしれませんし、我が子なのかもしれません。
あんまりツケは払いたくないなと思うところではありますが、我が子に払わせるぐらいなら自分の代でなんとかしたいと親心として思います。
自分に何が出来るだろうか…とりあえずまたお散歩してみます(笑)