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ジュンパ・ラヒリ『停電の夜に』

ラヒリの文章は、読み進めればすすめるほど不安が去来し、読むことに恐れを抱くのだが、平日の深夜に本を閉じるときにはため息をついて、早く読み進めたいと願っている。

 全部で9つの短編からなる本作は、インドの移民1世や2世、インドの人々の(そして多くは男女の)物語である。この作品は、主人公たちが移民として移り住んだ先々の土地で目の当たりにする経験や、貧困層の人たち、異文化との出会いの経験を題材にしているものの、インドの人たちからすればおよそ安寧に見えるであろう生活をおくる「わたし」の経験ととてもつながっているような気がしてくる。つまりより普遍的※な、不安や恐れ、そして美しく、大事な経験をしたと思わせるモメントを読者に思い起こさせる。

 人生には色々な切り取り方があるんだろうと思う。わたしは、どの人の人生にも周縁的(ある集団やコミュニティーの中で中心にいないような)な気分や、過渡的(人生のライフステージや精神的な発達が変わる最中など)な事態は訪れてくれると信じている。ラヒリは一人ひとりの、周縁的で過渡的なエピソードをハッピーエンドへの道としてまとめず、ゆらゆらと、まるでその人になったかのように、しかしその人自身ではないところから眺めるように、どっちに転ぶかわからないような物語をすすめる。日本語訳の表題作「停電の夜に」と「本物の門番」を簡単に紹介しよう。醍醐味を損なわない書き方を未読の人のためにも試みる。

 「停電の夜に」は、若い夫婦が初めての子どもを授かるが、残念ながら流産をしてしまう。その経験をめぐるところから、夫婦のすれ違いが始まる。食事は数ヶ月も一緒に取っておらず、家の中でそれぞれの居場所を見いだしている。そんな中、5日間、夜8時から1時間だけアパートの面する通りが停電すると通知が届く。夕食どきの停電に、夫婦は一緒に食事をとることになる。(なんとなく会話にも窮することが予想される一読者のわたしがいる。)そこへ妻から、今まで打ち明けてこなかった話をしよう。という提案が夫になされる。(読者のわたしは安堵する。)夫婦は、少しずつお互いを探り合いながら、ろうそくの明かりの下、これまで培ってきた感情の襞をなぞり合うように、夜を迎える。

 9つの短編の全てにわたって、人と人の、どうしようもなく超えられない溝の存在と、しかしそこを超えていけそうな願いにも近い予感が、一つの束にして迫ってくる。

 「本物の門番」は、ある階段の掃除を与えられる代わりに郵便受けの下を宿にさせてもらっている、貧困層のおばあさんの話。与えられる、といっても明白な役割というよりは人々の環境の隙間に入った、そんな感じ。しかしその隙間が人々に与える精神的な充足感は存外に良く、お婆さんの言動が嘘っぽいことを差し引いても有意義だった。あるとき、人々の行動に弾みがついて、お婆さんの役割は少しずつ後退させられていく。しかし、明白な役割というものでもなかったので、お婆さんも抗議をする相手もおらず、何とは無しにじぶんの居所を見定められず徘徊を始める。その徘徊が引き金になる。

お婆さんは「嘘はついてない」と言いながら、物語は終わる。おばあさんは自ら不安定なところに降り立って、居場所を見いだしてきた。ノスタルジーを大切に抱え、今をなんとか生きていた。そんなおばあさんの周りの人たちは、ある事件の不安の根拠をおばあさんに求めた。これはペイショットの「ガルヴェイアスの犬」に登場する知的障がい者の若者にも住民から向けられた注意だったな、そういえば。

もし自分の身に根拠のない不安が降りかかってきたならば、それまで得てきた不安定な存在がそばにいることで果たされる精神的充足と、根拠のない不安をしっかりと天秤にかけることができるのだろうか。はっきり言って本当にそのことができる、とはわたしは言えないかもしれない。
何が言いたいかというと、ラヒリは徹底的なやり方で揺らいでるもの同士のことを描いている。だから、全くただ澱だけ残る読後感もある。

わたしにとっての読書体験のうちのいくつかは、その本の内実を巡って、というよりも、じぶんの体験の内、言葉にならなかったあれこれを想起させるようなことごとで溢れ、かえって箸が進まなくなるようなことがある。言い換えると、あやふやだった体験に輪郭を与えていくような経験を文学を通してやっている。


ただ、いまは、長年暮らした北海道から新天地に移り、意味は通じることが多いものの言葉づかいは全く異なり、さらに同居人ができ、新しい職場で働いている。周縁的で過渡的な、ぐらついた不安定な今を掬い取ってくれる文学との出会い。なんて貴重だろう。
しかし、どんな人にも、いつどう転ぶかわからない人生が、いまここで起きている。こんな風にせつなく美しく、切り取ることもできるなら、じぶんの人生もわるくないだろう。問題は「いま」をどう読むか、自在に設定できないということなんだけれど。

全ての短編の終わりに言葉を添えるなら「それでも、人生は続いていく」であろうか。一つの答えを定めずに、それでも人生を続けていこう、と思える読書体験だった。

※ラヒリは男女の「結婚」もまたテーマの一つとして描くことが多いように思うが、インドの事情として、恋愛結婚は少ないので、そもそも人と人が馴染み合う、という風に読み換えることは可能だと思います。だから、この感想を読んだあなたが、恋愛に疎遠であっても面白いと感じられることを願っています。

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