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中国人著者の眼を通して見つけたイタリアの真髄

今年も1月24日から神戸ルミナリエが始まる。
阪神淡路大震災のあった年の12月から始まったこのイベントも、もう30年目になる。改めてすごいことだと思う。

神戸のルミナリエについては多くの人々が文章に残しているけれど、個人的に最も心揺さぶられ何度も読み返しているのが『にっぽん虫の眼紀行』に収められた一遍の短編エッセイ『ルミナリエ』だ。
この本の作者 毛丹青(マオ・タンチン)氏は1962年生まれの北京出身だが、1987年の来日以来ずっと日本で暮らし、長らく大学で教鞭をとっておられる。

震災が起こった時 毛氏は神戸に住んでおり、そして被災した。
その時の様子は『わが町、神戸よ』という短編に克明に描かれている。
続く短編『ルミナリエ』では、それからほぼ一年たった1995年 12月のある出来事が書かれている。ここに少し紹介したい。

毛氏の友人の小島君は活動的で親切な青年エンジニアだが、震災でまだ4歳だった娘さんを亡くし、家族で暮らしていた自宅も大火に包まれて焼失した。
小島君は奥さんを実家に避難させた後も一人仮設住宅に残って仕事に没頭し、毛氏は同じ被災した友人としてよく彼を訪れた。
けれど、外出もめっきり減った小島君の沈黙が毛氏の気を揉ませることも多く、その姿はまるで悪夢から醒めないかのようだった。

そんなある日、小島君から毛氏に突然電話がかかってきた。
その日はクリスマスイブで、「一緒にイルミネーションを見に行こう」という誘いだった。
電話口の小島君の声からはいつになく喜びの色が感じられ、この一年遊びとはほぼ縁を切り、言葉少なに過ごしていた友人からの意外な提案をいぶかしく思いながらも、毛氏は一緒に行くことを快諾した。

会場に着くと、色とりどりの電球で飾られたアーチが限りなく続き、その下を大勢の人々が楽しげに歩いている。
人波について歩いていると、二人の前方に、一生懸命何かを説明しながら小さな明かりを配っている西洋人の姿が見えた。
その灯りを受け取った人たちは、また人波に飲まれていき、手のひらに乗せられた小さな灯りは明るい点となってゆっくり流れていく。

すると小島君がふと足を止め、人混みを押しのけて前に行き西洋人に質問した。

「これは何の灯りですか?」
彼は渇望に満ちた眼差しで、相手の手の中の小さな灯りを見つめていた。西洋人は小島君の言葉がわからないらしく、それでも彼の言いたいことを了解したようで、忙しくアーチのイルミネーションを指さし、また自分の鼻を指し何かをひもで縛るようなジェスチャーをした。これらのイルミネーションの制作に彼がかかわったことを表わしているのは明らかだ。そうだ、小島君が電話で言っていたじゃないか。イルミネーションはイタリアの芸術家を呼んで作ったものだと。間違いなくイタリア人だ。

毛丹青著『にっぽん虫の眼紀行』より『ルミナリエ』

そう気が付いた小島君は何度も「グラッチェ、グラッチェ」とお礼を言い、イタリア人は笑顔で小島君に灯りを手渡しながら「IL LUMINARE DI KOBE」(神戸の聖灯)と伝えた。

小島君は感激尽きないようで、何度も頭を下げ、もらった灯りを両手で捧げ持ち、ほとんど言葉にならなかった。地震の後、多数の国際団体や芸術家が次々とこの街に来ては、救援活動に参加し、被災民に多くの慰めと祝福をもたらした。きらめくイルミネーションはまさにイタリア人芸術家の傑作だった。

同上

小島君はその灯りを持ったまま会場を離れると、更地となった自宅跡に向かった。
たどり着くと彼は跪いて土を掘り始め、今まで一人秘めていた胸の内を涙と共に語り始めるのだが、ここから先は是非、実際に本を手に取って読んでほしい。
ただ、このイタリア人芸術家の傑作が、彼の深く癒やし難い傷を優しく包んだことだけは書いておきたい。

阪神淡路大震災に遭遇し、幸いにも、そして全く偶然にも自身も家族も無事であった我が身としては、この『ルミナリエ』という作品には深く心揺さぶられる。
漢詩を思わせる毛氏の端正でシャープな文体は、読む人をハッとさせる力がある。

けれどそれと同じくらい、あるいはそれ以上に自分にとってこの短編が大切なのは、この作品にはイタリアの芸術の真髄が見事に描き出されているからだ。

正直に告白すると、自分は数年前イタリアと聞くのも嫌になっていた。
理由は、イタリアと深くかかわっている人物から非常に不愉快な言動を受け続けたからで、仕事とは言え耐え難い日々だった。
嘘に嘘が重ねられ混乱の度合いが増すうちに、その人の言葉が何一つ信じられなくなっていった。
それでもいったん引き受けたからには、最後まで責任を果たさねばと歯を食いしばっている自分が情けなくみじめに感じられ、どんどん心がすさんでいった。

その人物は日本人ではあるけれど長くイタリアに暮らしている。
その影響でこんな人格が出来上がったのか、それとも個人の資質の問題なのか、あるいはその両方なのか。
原因を読み解こうにも、あまりにもイタリアのことを知らない自分には解決の糸口さえ見つからなかった。

ただ、もがきながらも、たった一人の人間のせいでイタリアという国を嫌いになりたくないという思いも強かった。イタリアのことを、イタリアの良いところをもっと知りたかった。
私は良きイタリアを求めて必死で手を伸ばし、そうして出会った誠実で心優しいイタリア人の友人やイタリアを心から尊敬している人々のお陰で、心に垂れこめていた疑念の黒い雲は綺麗さっぱり払拭された。

そんな中、ある時イタリア人の友人が「アレグリア」について話してくれた。
彼が言うには「アレグリア」とは、朝起きて太陽が輝いているのを見ては感じ、美味しいコーヒーを飲んでは感じ、気の置けない人たちと会話を楽しんでは感じるといった、イタリア人の心に深く根ざしている喜びの感情らしい。

それを聞いた時、私はふと、毛氏のエッセイに登場するイタリア人芸術家のことを思い出した。
言葉は通じなくても、小島君の手のひらにそっと小さな灯りを乗せてニッコリと微笑んだ彼のことを。
筆舌に尽くしがたい悲劇が起こった地にも、だからこそ希望の灯「アレグリア」が何よりも必要と、遥かイタリアの地からルミナリエを運んで傷跡深い神戸の街を照らしてくれた彼と彼の周りの人々の慈愛を。
そして、それを当然のこととして日本へ送り出すイタリアという国の懐の深さを。

これがイタリアの真髄なのかもしれない。
そう思った。

イタリアが芸術の国と呼ばれて久しい。
その確固たる地位が揺らぐことがないのは、決して他の国より文化的に優れていることをアピールしているからなどではなく、芸術とは人間を救い人間を生かすものであることを一瞬たりとも忘れることがないからだろう。
そしてその根底には、常にアレグリアが輝いているのだろう。

今神戸では、ルミナリエの準備が進みつつある。
開催期間がクリスマス前から1月17日に近くなったことで、本来の鎮魂の雰囲気がより感じられるようになった気もしている。

「私は深く信じる。これこそが神戸の聖灯だと」
短編エッセイ『ルミナリエ』のラストを毛氏がそう結んだように、グレゴリオ聖歌が流れる中、今年も小さな灯たちが神戸の夜を彩る。
その灯りに慰められる魂の数は、会場を訪れた人々の数よりも六千四百三十四人多いはずだ。


『にっぽん虫の眼紀行』毛丹青 著 法蔵館 / 文春文庫

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