袖擦り合うも。【 他生の縁を生きると、人生の扉が開く 】
その頃私は、プライベートで問題を抱え、始終苦しんでいた。
そうしているうちに、ある映像がしきりに脳裡に浮かんでくるようになった。
それは白装束を身に纏った大勢の女性。
子供も混じっているようだ。
さらには刀を帯びた男たち、人垣をなす見物人、場所は河原だろうか。
(こんなにも…こんなにも尽くしたのに)
そんな声なき声も聞こえる。
「これ何の場面かな?石田三成の最期?」
私は日本史に疎い。そこでプロ並みに詳しい知人に解釈を頼むと
「いや豊臣秀次だよ、きっと」
と教えてくれた。
そうか。
で、豊臣秀次って誰だっけ。早速ググってみた。
すると「秀次公は二代目関白となった後、叔父の豊臣秀吉の命で非業の死を遂げ、その数日後には正室 側室 子供達など合わせて40名が京都三条の河原で処刑された」という。
折しもNHKの『英雄たちの選択』で特集されたばかりの、歴史に残る残酷な出来事らしい。
さて、それはそれとして、私は相変わらず自分の身に降りかかった問題で悩み続けていた。
暗い気持ちで三宮の額屋さんの前を通った時、ふとカラフルなポストカードに目が止まった。
近づいて覗き込むと、穏やかな表情の観音様や如来様が描かれている。
すがるようにして数枚買い求めた。
帰宅して改めて観音様の姿をじっくりと眺めた後、ひっくり返してカードの隅に視線を移した。
絵葉書を買うといつもやるように、作者の名前を探したのだ。
と、妙な感覚をおぼえた。
あれ? この名前、どこかで見たことがあるような……。
急いで頭の中の記憶の引き出しを引っ掻き回す。
思い出した!
それは、発売当時、今までにない新しいタイプとしてメディアにも取り上げられた、ある絵本の作者だった。
そしてこの絵本を世に送り出したのは、自ら出版社を立ち上げ社長を務めていた私の幼馴染だ。
この幼馴染の彼は、私が悩み続けている問題をずっと一緒に考えてくれた人でもある。
古い友人ゆえの遠慮のなさと、専門家らしい知的さで的確なアドバイスをくれる唯一の人だった。
記憶違いかもと再度確かめたが、やっぱりそうだ。
幼馴染と一緒に絵本を出版した中川学氏に間違いない。
「中川さんの絵はどこか温かみがあって、とっても好きなんだ」
彼がふと口にした言葉が甦ってきた。
よく覚えてたなと我ながら驚きながら作家紹介のページを読み進める。
すると、さらに意外な事実に出くわして思わず息を呑んだ。
「中川氏はイラストレーターであると同時に、豊臣秀次公と、京都三条河原で処刑された秀次公の正室 側室を弔う菩提寺の住職でもあり…」
え、秀次公の菩提寺の住職⁉︎
慌ててお寺の名前で検索をかけると、河原に引き据えられた大勢の白装束の女性たちが描かれた絵巻物がヒットした。
ああ、これ…!
頭の中の幻影の解像度が一気に上がった。
さらに、このお寺瑞泉寺は、秀次公の首と処刑された女性たちがまとめて埋められた「畜生塚」の真上に建っているという。
スマホを持つ手が震えた。
瑞泉寺は今、クラウドファンディングを行っている。
豊臣秀次公430回忌に京都国立博物館で行われる『豊臣秀次公と瑞泉寺』で展示予定の寺宝を修復するためだそうだ。
寺宝の中には、まだ15歳だったという側室 駒姫の辞世の句の掛け軸もある。
その軸は、彼女たちが身につけたと言い伝えられる豪華な着物地で表装され、我が身に起こった悲劇を嘆くでもなく、ひたすら彼岸に行くことを望む句の内容と強いコントラストをなして哀れを誘う。
そして今なお、ごく少数の権力者の思惑から逃れられず右往左往している私達に強いメッセージを発している。
翻って、自分の人生の行先は…。
多くの書籍を世に出した幼馴染、彼との長年のやり取りと苦境を救ってくれたアドバイス、彼が関わった絵本、偶然手にした観音様のポストカード、白装束の女性達の幻影、秀次公430回忌のクラウドファンディング…
全く別々の方向から集まった幾つもの小さな流れが、一つの大きな奔流になろうとしていることを感じずにはいられない。
袖擦り合うも他生の縁。
何層にも重なり交じり合う縁を手繰り寄せつつ進んでいくのが人生ならば、今しばらくこの流れに身を任せてみようと思う。
偶然の一致やシンクロは、今の方向で間違ってないことを伝える合図だと思っている。
だとしたら、きっと今までよりも広く明るい世界へと私は導かれるだろう。
悩み抜いた日々も無駄ではなかったと、心から思える時が来るだろう。
確たる証拠はないけれど、必ずそうなると思えることが何より嬉しい。