私が93歳になったらどうなるか問題 〜認知症のミチさんの訪問より〜
はじめに
私たち看護師は、実に色々な方と沢山出会わせて頂いている。
30年以上も看護師をしているともはや何千人、何万人の人にお会いしているのかもわからず。星の数ほど・・・という表現をしておこうと思う。
こうやって出逢わせて頂いた人のことや仕事で経験した事を最近は特に書き留めていきたいと思う気持ちが強くなっている。
その時、私はどんな事を感じたのか、その折角の出逢いを私だけに留めておくのが勿体無いような気がずっとしていた。
以前、違うblogでは書いていたことがあったが、このnoteという場で改めて書いてみたいと思う。
ミチさん93歳、「私、仕事に探そうかしら」
最近、訪問させて頂いたミチさん(仮名)のお話を少し。
公営住宅で一人暮らしの認知症があるミチさん。
認知症がある方の訪問に行く場合は、
訪問の少し前にお電話を入れて訪問している。
短期記憶障害がある方は、あまり早くお伝えするとすっかり忘れて出かけてしまうことが多い。
「聞いてなかった」と言われる。
きっと一般の人たちは、認知症なのに一人で暮らせるの?って
思うかも知れない。
でも、訪問看護では、実に多くの一人暮らしの認知症の方の訪問に伺っている。認知症の程度が色々あるので、この先、一人暮らしが継続可能なのかは見極めが必要。
ミチさんは、なんとかお買い物もいけているし、時には料理もできているので、まだなんとか住めている。
訪問するといつもなんらかの探し物をされている。
ちゃんと片付けておかなくては!と言うお気持ちが強いので余計にどこかにしまい込んでしまうようだ。
毎回、印鑑を探していることは、記憶の片隅に残っているようで
「いつも印鑑を探していて、私は認知症になっちゃったのね」と言う。
なぜか壁のカレンダーも毎回違う月が掛かっていたり、
昨日は、裏向きにかかっていた。
ある時は、ゴミ出し用のカレンダーが半分にカットしてあった。
カレンダーには関心がおありのようだ。
少し前までは、新聞をとっていたが、もう見なくなったので中止したらしい。
この為、日にちの感覚が掴めなくなりカレンダーが気になるのかも知れない。
近年は、在宅療養の認知症の方の救世主とも言える「ケアボット」と言う服薬支援ロボが登場している。薬を飲む時間に喋ってくれて1回分の薬をベロンと出してくれる気の利いた奴だ。
ミチさんは、親切丁寧なケアボットに対して最初は嫌悪感を感じ、悪態をついていた。
ミチさんに限らず、導入時は気に食わず電源から抜いてしまう事件が勃発する。
私たちも少しずつ賢くなり、ロック式のコンセントに切り替え、簡単には抜きにくいものを利用。
ミチさんも最近ではすっかり仲良くなったようで、あのロボットに日にちが書いてあるから助かるわと言われていた。
話が少し逸れるけど、ケアボットの導入が、うまくいかない場合は、ケアボットに名前をつけることで何人か成功に導かれた。
『○○ちゃん♡』みたいな感じで。
時には顔を描いたりして。
そうすることで頼りになる存在に昇進していく。
しまいには、あの子呼ばわりもされるくらいな仲良しぶりだ。
話を元に戻そう。
そのミチさんが、昨日は
「もう、父も母も姉も夫もいなくなったし、私もいつでも逝きたいと思っているの。だっていつかは死ぬんだからもういいわ」と言った。
息子さんもいらっしゃるが、息子さんと弟さんがごちゃ混ぜになっている会話が続くことも度々だ。
これは、何度もそう言う気持ちにもなっているのだろうと思う。
このセリフは、何度か聞いたので。
ちょっとしんみりしていたかと思った次の瞬間、
「私ね、仕事を探そうかなぁと思ってるの。あ、でももうちょっとで90だから無理ね」と恥ずかしそうに自己解決された。
いやいやもう90超えてるけどねとは決して言わない。
ここは、私のお口にチャック!
一方で、そう思えるエネルギーがあることにちょっと安心して嬉しかった。
そんなミチさんに唐突なインタビューをしてみた。
「もし今、お金持ちになったら何をしたいですか?」と。
迷うことなく即答だった。
「私ね、貧乏が嫌なの。昔は一軒家に住んでいたのよ。こんな公営住宅じゃなかったの。住んでいる人たちも嫌なの。お金持ちになったらここを出て、引っ越ししたい」と。
本心なのだろうなぁと思う。
この先、息子さんとの同居も望めないみたいなので、ゆくゆくは、施設ということになりそうだけど、もしかしたら綺麗なところに住めたら少しは嬉しいかなぁ。
ミチさんが一人で暮らせなくなる時期を見極めて、人生の最終章が、少しでも満足のいく暮らしにつながるようにお手伝いできますように。
私が93歳になったら
私が、93歳になったら・・・と考えると心がザワつく。
ザワつく原因のひとつが甥っ子。
結婚もしなかったので、子供はいないけど、氷より冷たい甥たちがいる。
そして彼らに間違いなく姥捨山にポイって捨てられてると思う。
私が死ぬ時、このnoteを甥たちが見るかも知れないので、どれくらい冷たいかという事を書いておこうと思う(笑)
私には興味がないので見ない確率が高まっているけど。
認知症になっていたら私も忘れてしまうかも知れないので書いておくことにしよう。
冷たい甥の記事は、沢山書けそうなのでまたいつか書いてやるので、甥っ子よ、待っておくがいい(笑)
先日も甥っ子2人とお嫁ちゃんの4人でうちの近所の美味しいお店をチョイスして1年ぶりくらいにみんなで食事をしようということになった。
2つ候補を挙げてちょっとおしゃれなお店をLINEで送った。
帰ってきた返事は
と、こんな感じだ。
大切なのは自分のお財布で私のお財布の中身はどうなってもいいと。君は、『おごりなら星人』か?
はいはい、私は、30年前から君におごり続けている。君は、お返しという言葉を習わなかったのか。と、言えば、いい大人が見返りを期待するなんて!と言われるに決まっている。
ある日は、家電製品を買いたくて、ついてきてとお願いしてみた。
返事は、今までの流れで予想はついていたけど案の定だった。
甥っ子の住んでいるところから片道1時間くらいかかるのだけど
「俺(どうも、私には、毎回この部分は俺様と聞こえる)が
往復2時間もかけて会いにいくだけの価値があるのか」と。
私に逢える特典があるではないか!!とは言えない。
「あ・・・それほどの価値はありません」となる。
損か得かと言うことが彼の大きな価値基準のようだ。
災害時避難の話をしていた時にも助けに来てくれる?と聞いたら、「いや、俺が助からないといけないから足も遅そうだし、悪いけど置いていくわ」とぬかした。いつか呪ってやると本人にも伝えてある。
甥の話をしていると免疫はついているもののムカついてくるので
これくらいにしておこう。
ま、かわいいけど。マゾか、私は。
話は元に戻り、と言うわけで、クセ強めの甥ばかりなので期待はゼロにするのが苦しまない秘訣だと思う。
私は、体はそれほど丈夫でもなさそうだけど、
手相によると長生きらしい(笑)
祖母は、元気で認知症もなかったが、骨折を機に93歳であちらに逝ってしまった。
両親も80歳代になったが、病気はあっても比較的元気過ごしている。
と言うことは、家系的には長生きを想定しなくてはならない。
でもミチさんも言っていたように気がついたら両親も兄弟も誰も周りにいなくなってる可能性もある。
寂しすぎてうさぎのように死んでしまうかも知れない。
(うさぎは寂しくて死ぬと言うのは俗説らしいけど)
早く逝きたいって思ってしまうだろうなぁと思う。
最期の最期まで自分らしさを失わずに生きていくって結構大変だとは思う。
体も思うように動いてくれなくなるだろうし。
ましてや認知症になってしまうと「自分らしさ」を表現できなくなりそう。
まとめ
先々の事を思い悩んでもどうしようもない。
ミチさんの今は、もしかしたら私の未来の一部かも知れない。
でも、ミチさんが先に体験して教えてくれたことでちょっと対策も練りたい。
1、最期に「この家は嫌、引っ越したい」と思うのなら、環境は、選べるチャンスがある時に心地よい場所に身を置きたい。環境選びは重視する。
2、モノが多くて探し物ができないのなら、やはり早めにモノを少なくして、本当に必要なモノなのかを選択していきたい。
断捨離をするとマインドが整理されスッキリしてくる感覚になる。
モノのことをごちゃごちゃ考えなくなる。
3、お金さえ貯めておけば特にアイツ(甥)は私の言いなりだ。
今日からお金を少しずつ貯めよう。今日からかーい。
歳を重ねて、どんな状況であってもいつもそこに笑いがありますように。
色々教えていただきありがとうございます。
感謝。