勇気を出せば人生は、変わる!/180度違う人生になったおじぃさんの話
<はじめに>
2年半前にこんな記事を書いていた。
ギャンブルの果てに廃人のようになってしまったしげさんの話。
実は、このほぼ寝たきりだったしげさんにはこの後ミラクルな人生が待っていた!!
その前にちょっとしげさんのおんぼろぼろぼろアパートのおさらいをしておこうと思う。
<おんぼろぼろぼろアパートの住人しげさん>
そのおんぼろぼろぼろアパートは、雑草が鬱蒼とした陽の当たらない住宅街にあった。外もジメジメしているけど、中は、ジメジメ度が増していて、なんとも形容し難い匂いがする部屋だった。
このアパートに住むように言われたら私は、間違いなく…申し訳ないけどテント生活を選ぶ。
ベッドの端にようやく起き上がれるしげさんに訪問の度に〈ここを出てもう一度、新しい人生を歩きましょう!私達が全力でサポートしますから!〉と訪問の度に話していた。
その会話になると「もう年だからいいよ」と乾いた小さな声で言っていた。
でも、後にこの時の会話はしげさんの心に届いていたことがわかった。
しげさんは、外にあるトイレに行く時だけゆっくりと起き上がり、トイレが済むと手も洗わずにベッドに転がりこもうとする。
「ご家族は?」ときいても「もうこんな俺なんかのところに誰も来やしないよ。こんな兄のことは恥ずかしいと思っているだろうし、関わりたくないと思っているよ」と力なく言うしげさん。
因みにこの長いフレーズは、何日分かの言葉を繋ぎ合わせてカギ括弧の中におさめた言葉。当初のしげさんは、声も小さくボソボソと言うので何を言ってるかわからなかった。
私達の訪問看護ステーションは、担当制ではないので、私もしげさんに毎回訪問できているわけではなかった。他の看護師から見ても〝動かなくて喋らないしげさん“という印象のようだった。その喋らないしげさんとなんとか喋ろうとしつこい私だったと思う。
最初に食いついてきてくれたのは、Google mapでしげさんの地元の知ってる風景を見せた時だった。
「え?ちょっとちょっと見せて!」と珍しく自発的な発言だった。
ずっと使ってないような汚れた老眼鏡をかけて画面を覗き込んでいた。
懐かしく嬉しかったようだった。
「時代は、こんなに進んでいるんだね。俺はこの部屋でぼーっと寝ているだけでテレビも見ないから時代に置いていかれてる」と笑った。
ある時は、
志村けんさんの話になり、スマホで彼の写真を見せたら二度見をしていた。
「え?え?これ誰?これが志村けんなの?」とかなり驚いていた。
しげさんの知っているババンババンバンバン♪の彼とは、毛髪量がかなり違っていたようだった。一体いつから見てなかったんだろ。
こんな感じで、少しずつではあるけど近づけた感じがし始めていた。
そんな中、都営住宅には応募してみようと言う気持ちになってくれて、年に何回かある応募をしてみることになった。
しかし、毎回、<ハズレ>のお手紙がやってきて「人生、そんなにうまくいかないよ」と何にも期待しないモードに入っていた。
このひどい環境の中にいるだけで病気になってしまうのは無理も無い。
とにかくここを出よう!と必死で説得した。
「絶対人生変わるから!!」とまた私に魔法の呪文をかけられるしげさんだった。
*
<しげさん新居に住む!>
そして、しつこくてお節介だけが取り柄の看護師についに負けたしげさんは、ついに引っ越しを決断してくれた。ケアマネジャーや市役所の担当の方も加勢してくれた。
生活保護を受けていたので、部屋探しや引っ越しには、役所の方にかなりお世話になった。とても気持ちのいい青年が担当で、フットワーク軽く動いてくれた。
私は、この引っ越しが嬉しくて嬉しくて興奮していた。
みんなでしげさんの新しい家に必要なものを家から持ち寄って新しい生活が気持ちよく開始できるように整えていった。タオルや食器や洗剤や…まるで新婚生活でも始まるかのように。あのしげさんの生活が変わると思うとワクワクした。
新しい家は、前の家とは違い、明るすぎるくらいの日差しが入り、お風呂もあれば、トイレも家の中にある。洗濯機だってあるし、クーラーだってある。キッチンも比較的広々としている。何よりも網戸があり窓を開けても虫が入ってこないし、さわやかな空気しかない。新居ではじめて入浴介助をした時にあーあのしげさんが、自宅でお風呂に入ってるー!と感慨も一入だった。
前の部屋は、クーラーがない上に網戸がなく、夏は地獄の暑さで、窓は開けても色んな虫やネズミが同居していた。もうネズミに石鹸を齧られることもないし、沢山の蚊除けを置いておく必要もない。「歩けてた頃、あのひどい部屋に帰るのが嫌でいつも駅のベンチでお酒を飲んでいたんだよ」と話してくれたこともあった。
しげさんは、「自分のようなものがこんなところに住んでいいんだろうか?」と泣き、眩しそうに窓の方を見て「太陽を見たのは久しぶりだよ」と言った。
もちろん住んでいいのよ、しげさん!
<新居での1つめのプレゼント>
新居に移った時に私は、1つプレゼントしたいと思っていたものがあった。
それは、しげさんのサンクチュアリだった。
以前、しげさんは、家族にも顔向けできないほど生活が荒んでしまい、田舎にも帰れず、ましてやお墓参りには行きたくても行けないよと言っていた。
それがずっと気になっていた。
たとえ田舎に帰れなくても亡くなったご両親に「ごめんね」や「ありがとう」と手を合わせる場を作ってあげれないものかと考えていた。
ネットを色々検索し、短冊に「○○家先祖代々・・・」みたいな言葉を書いたものを書き、飾ってお線香をあげればいいと書いてあった。お線香は、危ないと思ったのでお線香をあげた気持ちになって手を合わせるだけでいいと思った。
そしてその文字を書いた短冊を準備した。しげさんのところにサンクチュアリを作りたいんだと話すと同僚が仏様の新しいかわいい仏像がなぜか余分にあるから持ってくると言ってくれた。
こうして、いきなりサンクチュアリが出来上がった。宗教とかなく、神さまであったりご先祖さまであったり、とにかく、しげさんにとって手を合わせる場所を作ってあげたかった。
周りも赤と金の和紙を敷き、少しサンクチュアリ風にして特別感を出した。
そのサンクチュアリをみてしげさんは、嗚咽して大号泣した。
「ずっとずっと両親には申し訳ないと思っていたんだよー。こんなのを作ってくれるなんて本当にありがとう・・・うう・・・」と。
当然こちらももらい泣き。
その後訪問した時には、ちゃんとお水も供えてあり、サカキまでどこかからか準備されていた。「毎日お水を替えて手を合わせてるよ」と嬉しそうだった。
後にしげさんは、こう話してくれた。
「実はお正月に初詣に行ったんだよ。あんな生活をしていた時には神さまなんているわけないと思っていた俺が、神社に行くんだから笑っちゃうよね。あの時、にゃむさんが、環境を変えたら絶対に人生が変わるから!と言ってくれた時に無理なんじゃないかと思ったけどにゃむさんを信じてよかったよ。まさかじぶんがこんな生活ができるようになるなんて、ここは天国だよ。本当にありがとう。」と恥ずかしそうに笑った。
それからのしげさんは、すっかり表情も変わり数ヶ月後にはなんと何キロも離れたホームセンターに1人で歩いて行けるようになっていた。そして、着々と自分の城を住みやすく自ら改善していかれた。訪問する度に何かが増えていて、100円ショップの品揃えに興奮していた。
<新居での2つめのプレゼント>
そして、私はもう一つのサプライズ作戦も考えていた。
何年も会っていないという妹様に連絡をとりたいと思った。
なんとかしげさんから住所を聞くことができた。
そして、しげさんが新しい家に笑顔で暮らしている写真を何枚か撮り妹様にお手紙を添えてダメ元で送ってみた。
長年、連絡をとっていない関係だったので吉と出るか凶とでるか全くわからなかった。
そこには、願いも込めて、しげさんの電話番号と住所も書き添えていた。
すると、4〜5日経った頃だっただろうか・・・妹様からしげさんに電話があった。
しげさんは、本当にびっくりしたらしくその時の話を泣きじゃくりながら話してくれた。
「い・・・い・・・妹が、で、でん、電話・・・ohoooo・・○×※$♂〻∞・だよ」
しげさん、もう何を言ってるかわからないやーん(笑)
鼻水もボトボトになって凄いことになってるし、嬉しいのだけはいっぱい伝わってきた。
そして、更なる奇跡は続き、なんと、それから程なくして、妹様が会いにきてくださった。妹様は手作りのおかずを沢山タッパーに詰めて遠方から数時間かけて来てくださった。
積もり積もった兄妹の話を何年ぶんもしたんだと話してくれた。
そして、妹様もしげさんのサンクチュアリをとても喜んでくださり、お礼の電話を頂いた。
しげさんは、毎日が楽しいと言ってくれた。本当にそうなのだとわかる笑顔で。
こんなに自分が歩けるなんて思わなかった。
もう昔のあの部屋のことは思い出したくもないと言った。
<しげさん〝行きつけの公園“へお散歩>
訪問した時に500mくらい先にあるしげさん行きつけの公園まで一緒に歩いて欲しいと言われた。行きつけの公園までできてしまっていた!
道を歩いてる時にしげさんは、前の部屋で喋っていた頃の10倍くらいの声量で沢山話してくれた。道路に面した民家の人が、うるさいと思わないかな?とこちらが心配するくらい大きな声で話続けた。
しげさんも「俺は、前の家にいた時に声も出なくなっちゃったのかと思ってたんだよ。そしたらこっちに来たらこんなに大きな声が出るし、喋れるようになってビックリしてんだよ」と笑った。
あの時、しげさんがまさかのお喋りなおじぃさんだと誰が想像しただろうか。
散歩に行くと幼稚園の子達が、沢山遊んでいて目を細めながら「かわいいね、この子達いつもこの時間にきてるんだよ。帽子の色でクラスが違うみたいでね」と説明してくれた。幼稚園の子たちを見るのが楽しみだと言った。声をかけてくれたりもして嬉しかったようだ。
毎日毎日汚れたベッドにうずくまっていたしげさんが幼稚園児を見て笑ってる。
そして、しげさんと公園のブランコに座りながら話した。
色々、話したかったようだった。
「前の古い家の時ににゃむさんは、いつもあの汚い炊事場の周りをいつも掃除してくれた。ヘルパーさんの仕事なのにいつも綺麗にしてくれていたのを知っていたよ。あんなに汚い家だったのに一生懸命綺麗にしようとしてくれていたことが本当に嬉しかったんだよ。ありがとう。こんな生活が送れるようにしてくれて」と言ってくれた。
その前の家の掃除のことはちょっとびっくりした。私達の30分間の訪問中も腰が痛いのもあり直ぐに目を閉じてベッドに横たわるのが常だったから…そんなふうに思ってくださっていたのかと少し驚いた。
そして、それをこんな長文で感謝を述べてくださった。
あのおんぼろぼろぼろアパートの中で少しでも気持ちがいい環境で暮らして欲しいと言うのが私の願いだった。
そして環境を変えることで何かが動くとどこかでわかっていたから。
それにしても
こんな日が来るなんて・・・。
私も幸せだ。
<引っ越し1年経ったしげさんの近況>
こんな時代だから会いに来るのも妹様は少し控えていたようだった。
先日、しげさんが簡単な手術をすることになったので簡単とはいえ全身麻酔だった為、妹様にお電話したら、その後、すぐに手術前に泊まりがけで来てくれたらしい。
その話をしてくれたしげさんは、また鼻水垂らして泣いていた。
もう泣きっぱなしやないか・・・しげさん。
お礼のお電話を妹様にしたら「また近いうちにいきますね」と言われた。
また泣くからしげさんには言わんとこ(笑)
今度来る時には、妹さんが映った写真を持ってきてあげて欲しいとお伝えした。
アナログのしげさんは、携帯電話を持っていても写真をみれないから・・・いつでも大好きな妹さんが見れるように・・・。
<さいごに>
人生って面白い。
あんな廃人のようだった寝たきりのしげさんが、自分で買い物に行き、部屋の中のインテリアについて考えたり、自分で調理したものを晩酌しながら食べているなんて!
日の当たらない寝たきり生活をしていたしげさんが、毎日太陽の下を自分の足で歩き、今では、すっかり日焼けをしてニコニコしているおじぃさんに変身しているなんて!
一歩踏み出す勇気さえあれば、きっとお節介な誰かが手を差し伸べてくれるはず。そして、SOSを発して欲しい。
この奇跡が実現した背景には、言うまでもなく私以外の多くの方の協力や関わりがあってのこと。素敵なチームでしげさんの新しい生活を応援できたことを嬉しく思う。
70歳代後半になり引っ越しを決意してくれたのは、決してちょっとの勇気ではなかったかもしれない。それでもしげさんの場合は、勇気を持って決意さえしてくれたら部屋の片付けや書類上のことも全て応援団が動き出した。
自分1人では何もできなくても意思表示してくれたらきっと何かが動く!
私達は誰もが
応援団になることもできれば、応援してもらう側になることもできる。
そして、今、
567の世の中で生き辛い人たちも出てきているのではないかと思う。
それでもなんとか生き抜いて欲しいという願いも込めてこの記事を書いてみた。