【挑戦】3年後を見据えて行動する日々
昨日でnoteの連続更新が2週間を超えた。内容のクオリティにはいつも自分自身が納得しているわけではない。むしろ納得した日があるのかが怪しい。ただそれでも更新するのは、一度でも更新を止めてしまったら、再び更新できなくなりそうで怖いからだ。
"人はなんとなく辞めていく"
もちろん会社や役場で行なわれていることは違うだろう。仕組み化したものを止めるには、大きなエネルギーと痛みが伴う。ただ、仕組み化されていない、言い換えれば習慣化されていないものは、なんとなく辞めていく。私が行っている日々のnoteの更新なんか、習慣化していないものではないのだから、すぐに辞められる。
だけど今、クオリティに満足していなくても、更新する理由はただ一つだ。内容を考え、記事にして、時間いっぱいまで推敲を重なる、このことを習慣化したいからだ。
この感覚は4年前、はじめて社会人の方がいる勉強会、フェアウッド研究部会、森づくりフォーラムなどに参加し始めた頃と似ている。あの時は、名刺の渡し方を知らない、基礎的な林業用語を知らない、質問のレベルが低いなどで、酔っぱらった先輩方に詰められた。今でも夢に出るくらいだ。
詰められるのが怖くなった私は、勉強会に行かなくても良い理由を探し出した。課題が終わってない、バイトがある、そんなくだらない理由で、はじめのころ2回ほど休んだ。けどなんとなく上手い言い訳が思いつかず、研究部会にまた参加しだした。相も変わらずに頭の悪い質問はするし、それで相手にされないことも多々あった。それでもなんとか通い続けていたら、私の1年休学して林業地を旅する企画に興味を持ってくださる方が増え、実際にアポを取れることが多くなった。
結局何物でもない私は、企画実現まで3年かかった。もしかしたら大学の制度を使ったら、インターンシップなど使ったら、その名前を使ってもっと早く実現できていたかもしれない。
けど、とことん自分の名前にこだわった。自分の足と手と頭を使った。だから今の私がある。
4年前のダメダメな私を覚えている人はほとんどいないだろう。
けど今のダメダメな私を今見ているのだろう。
ただそれも1年もすれば、みんな忘れてしまう。SNSの過去を振り返る機能なんてなければ、1年前の自分が何を考えていたかなんて絶対に忘れている。だから少しずつでいいからクオリティを上げていけばいいのだ、それよりも何かに怯えて更新しない方が成長しないのだから。
私はまた、3年後への挑戦を見据えて日々考え行動している。
もう感づいている人はいるかもしれない、先日ある方からの電話で言い当てられてドキッとしたことがある。さすがの一言だ。
3年後の私はどうなっているのだろう?
あなたの3年後はどうしたいですか??
本日も読んでくださりありがとうございました。