【感性】感性が死んでいく状況と感性を取り戻す方法を言葉にしてみる
先日大学時代からの友人と久しぶりに電話をした。友人は社会人2年目を迎え、あることに悩んでいた。ちょうど一年前同じテーマで話していたのだが、その時の意見と変化していた。
別に意見を変化させることを否定するわけではない。これだけ常識がはやく変化する時代だ。変化を否定しては、未来がない。このことはだれもが感じるところだろう。ただ、その変化は自主的に起こしているものなのかを考える必要があるのではないか。
もし、それがなんとなく周囲の環境によって、引き起こされているものだったら、その変化は一度見直してみた方がいいと思う。そして少しでいいから自主的に環境が変化させた方がいいはずだ。自主的な変化に重要なのは、私の場合違和感だったりした。これでは何か違う気がすると感じて行動している。このnoteの連続更新も、今までの自分ではなにか違うと思い、パソコンに向かっている。
結局、友人はある意味なにか見えない同調圧力などによって、感性が死んでいく途中だった。それは多くの同種の人間と会うことで、自身の声に耳を傾けることができなったからのようだった。
タイトルに戻そう。
私も感性が死んでいっているなという状況によくなる。例えば満員電車とか、同じ道を歩くとかだ。これはある意味変化がないときに起きている状況になる。それと同じように同質のコミュニティにいるときも同じよう状況になる。少しでいいから違うコミュニティにいると、感性の再発見につながる。
別にこれはなにも平凡な集団にいるからではない、いわゆる意識が高い人が多い集団でもそうだ。同質のコミュニティに属すると、感性が死んでいくというのだ。
私は異質のコミュニティを横断することで自分の感性を磨いていった。ただ、今この言葉に自身を当てはめてみると、今は同質なコミュニティに属していることが多い気がする。もちろん周りにいる方はいい人ばかりだ。しかし、価値観が偏向していくのを感じると危機感を、過去の自分から煽られている気がする。
このnote連続更新も3週間を超えた。また別のチャレンジを少し始めようと思う。