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オムライスが「ゴール」だったあの頃
おそらく私は「何かの目標」を立てることが得意なのだろう。
自分を上手に騙してその気にさせ、「うっかり頑張らせる」ことが得意なのだ。
◇
目標の立て方にはコツがある。
目標を達成する前に小さなご褒美をあげること。目標を達成するためのゴールを明確にすること。
だが、このコツには、それほど拘りもない。
ただ、「漠然と楽しみ」を感じることに向かって進むとき、その道を進み切る「理由」を「目標」という言葉に換えているだけ。「目標だから」といい切って、辛い気持ちや苦しみを和らげる効果といってもよいだろう。
◇
私はこれまでの人生で度々入院して手術を受けてきた。
手術で入院すると、必ずといってよいほど経験する「絶飲食」。ただ1回の食事を抜かれるというだけでなく、数日間にわたって「普通の食べ物」を口にすることが禁止される。
それは「とても辛いこと」なのだそうだ。
◇
どうして伝文形式で「......なのだそうだ」というかというと、私は、「まぁ大変だけどね」くらいにしか思ってこなかったから。
もちろん何度経験しても平気ではいられない。
「絶飲食から無事に復活できるかしら?」という不安を毎回抱く。
「夜の9時からは、お水もとらないでくださいね」といわれると、8時すぎくらいからそわそわする。
だが、自分でなんとかしようと工夫をしてきた。回数を重ねて「楽になる」方法を考え、それらを実践してきたのだ。
◇
工夫というのは「目標を達成するための小さなご褒美」のこと。だが、一見してご褒美とは思えないコトかもしれない。
具体的には、絶飲食前、最後の水分は「白湯」にするということ。
ぐいぐい飲むのではなく、じわじわと口の中で味わいながら飲む。
飲み終わりが絶飲食開始時刻の1分前になるように、5分くらい前から口に含み、ゆっくりと飲むようにする。
大きな手術の前では、よく眠れるように「入眠を促す薬」を勧められるから、場合によっては、薬を飲んでから白湯という流れもあるが、そのあたりはケースバイケース。
いずれにせよ、白湯で胃袋を温めることが工夫なのだ。
「胃袋はここにあるよ。ほくほく」という状態で寝床に就く。これが、なんとも気持ちがよい。
「自分を幸せな気持ちで眠りに就かせるために気にかけてあげる」という意識そのものがご褒美なのだと思う。
◇
それ以上にもっと大事なことがある。
ゴールを明確にすることだ。具体的には、「普通食に切り替わるタイミング」を自分の心で決めること。
絶飲食の期間から普通食に戻るまでの流れを予め尋ね、普通食に戻る「見込みの日」の病院食を確認する。
そして、「順調に回復して、このメニューを食べるぞ!」と自分に誓う。
かつて入院したとき、「この日の朝から普通食に戻れるかも」という日の昼食はオムライスであった。
だから、私は、オムライスのために頑張った。
術後の麻酔から目覚めようかという頃に、
「オムライスがあるから。オムライスがあるから」
と「うわ言」をいっていたと聞く。
それくらい心の支えにしていたのだろう。
◇
「病院食のオムライスなんてどんなモノなんだろう?」
オムライスというメニューが用意されていること自体に興味もあった。期待半分で心待ちにしていたのだが、その期待を遥かに超えるオムライスを目の前にして、私は泣いてしまった。
心の底には辛さも苦しさも感じていたのだと思う。だが、それ以上に、辛さを乗り越えた喜びの嬉し涙であったと思う。
オムライスも美味しかったが、デザートのマンゴーも美味しかった。冷凍モノで半解凍の状態で提供されていた。最高に美味しかった。
オムライスまでに普通食に戻れたことが嬉しい!
心からそう思えた。
◇
オムライスを食べる頃には、
「今日のお昼は美味しかったね」
と、世間話ができるほどの関わりが生まれ始めている。
そこまで来たら退院はもう間近だ。