母の涙と1万円
それは、初めて仕事に就いた頃のこと。紆余曲折あってようやく勤めた職場は、時給でお金が支払われるパート雇用だった。
取り壊し寸前のボロアパートに住んでおり、日々の生活で精一杯。けれども、「自活する自分を自分で褒めてあげたい!」という気持ちであったから、心はとても満たされていた。
あるとき、「新生活の暮らしぶりを見たい」といって母が訪ねてきた。
久々の母の手作りご飯に舌鼓をうち楽しい会話を楽しんだ後のことだ。食器洗いの洗剤を使い切ったといって、買い置きをストックしている場所を母が尋ねてきた。
「買い置きはないよ。そんなお金の余裕はないから。」と、愚問だとでもいいたげな口調で私は返すと、
「情けない!」といって、母が突然泣き出してしまったのだ。
母の主張はこうだった。
不測の事態がおきるときは、本当に不測の事態だから、心身的にも余裕がないことや、金銭的にも余裕がないことが想定される。
だから、せめて予測ができるときには、最大限、予測に従って備えるよう行動するべき。
小さいことを疎かにせず、予測されることに備えることは、生き延びる術。「人として自立する」とは、これを習慣的にできることでもある。
洗剤、トイレットペーパー、米、塩、等々。生活必需品は、常に備えるようにしなさい。
このように私を諭しつつ、母は私に1万円を手渡したのだ。
これをキッカケとして、私は「買い置き」の習慣を身につけることができた。
そして今、備えていることが「心のゆとり」となり、不測の事態に受けるストレスを軽くすることに繋がっている。