見出し画像

冬を耐えて花が咲くことを信じるしか道はなかった


病名を調べれば調べるほど、恐ろしい話が掘り起こされてきた。だが当時の私は、ただひたすらに「治癒」することだけを信じ、そのために自分ができることを考えて行動していた。

受け止め方で変わる「病名」を知る意味

米国から帰国した私は、自分の病について調べ続けていた。病を克服するためにどういう行動を取るのがよいのか模索していたからだ。


当時は、心の不調の具合を理解して、寛解を治癒へと近づけていけると信じていた。一時の不具合があっても、それはあくまでも一過性のもの。だから、底を脱したら、すぐにもよくなるだろうと思っていた。

梅雨の頃くらいまで実家に身を寄せよう。その間、アルバイトで、少しでもお金を貯めよう。来年の夏から、米国留学に戻れるかもしれないから、準備を進めよう。

そんな考えすら持っていた。

実際、米国を離れるとき、次年度に出願することを勧められていた。そして、「あの時の私です」といった内容でカバーレターを書いてくれたら、優先的に資料を見るからと、出願締め切りの期日も伝えられていた。だから、私は、次のチャンスはすぐ目の前にあるという感覚でいたのだ。



ところが、冬の初め、私の人生は厳しい冬を迎えることとなる。

強烈な疲労感に襲われた私は、寝たきりの生活になった。心の問題があれど身体は元気と自負していたが、状況は一変した。心ではなく身体の不調で、病と闘うことになったのだ。

心がやっと上向きになってきたところで身体に問題が起きるとは。情けなくて泣きたくなった。だが、泣いている時間などないと自らを戒めて踏ん張った。

今は人生の冬。だから、耐えて耐えて耐え抜こう。身体に不調が起きたとはいえ、心は健やかさを保持できていたため、未来を信じることができたのは幸いだった。

何より、生きる気力を得るためには、冬を耐えて花が咲くことを信じるしか道はなかったのだ。



未来のために、具体的に何かができるとも思えなかった。

このままで一生を終えるかもしれないとも思った。

けれども、花咲く未来があると信じて、そこに至る道を探したいと思った。

何の確証もなかったけれど。

それでも信じたかった。

信じるしかはなかったからだ。