人は何故、自分と違う人を排除したくなるか―自分と違うタイプとも仲良くなれる方法―
私たちは子どもの頃から、スポーツでも他の分野にしても、グループを作って競い合うということをすることで、仲間意識を高め合うとともに、その競争のゲームを楽しむことで学ぶことにつなげてきました。しかし、何故チームを作ることが楽しむことにつながるのか、改めて考えたことがありますか。おそらく多くの人は、幼いころから、そのようなものだ、と自然に受け入れていたことと思います。
ある研究によると、人は自分と異なる人々を敵視し排除することで、脳の報酬回路が活性化しドーパミンという快ホルモンがでるというのです。これは、もともとは動物的種の保存の本能から来ていると考えられます。つまり、自らの種を守るため、他の種を撃退することで、自分たちが守られることとなり安心感をもたらすというわけです。また、その多種の撃退に活躍できた者は、仲間からすると英雄となり一目置かれることとなります。
その種の保存の観点から考えると、昨今のダイバーシティの考え方、つまり様々な人種や考え方・趣向を持つ人々が共存することを許容し仲良く生きて行こうとする考えは、本能とは拮抗した考えということになります。にもかかわらず、何故昨今そのような考え方が尊重されるようになったのでしょう。
先ほど、ドーパミンは快ホルモンであると表現しましたが、実は前頭前野といった脳の前の方では不安を生じさせることもあるのです。またドーパミンが快刺激と働いた場合でも、それほど長く喜びは続かないため、また次の快刺激が欲しくなります。この作用が、薬物依存にもつながっていることは知られています。
そこで、ドーパミンほど刺激的な快感でなくてもよいので、もっと緩やかで長続きするホルモンを味わう方が、より幸福感を味わえると脳が判断することもあるのです。それはセロトニンやオキシトシンといった幸せホルモンです。これらホルモンは、抗うつ作用や子どもなどを愛する作用として働くことが知られています。
敵対して種の保存をすることで、確かに仲間の英雄になれ自尊心が保たれるかもしれません。しかし、撃退した相手の気持ちやその家族のことを考え、それを自分のことと置き換えて想像すると心が痛みます。また、撃退された相手から恨みを買って、再び応酬されないとも限りません。そのように、落ち着いて、長期的、全体的に考えると、結局敵対するより程よく仲良くした方が、自己や仲間の利益につながるかもしれない、と考える力も人間には備わっているのです。それは、つまり理性的思考の力です。
見かけは全く異なる相手であっても、仲間であるかのように振る舞うことで、仲間であるように相手に感じさせ、相手の敵対心を減らす方法もあります。それは、相手の行動や言動を(わざとらしくない程度に)少しだけ真似るという行為です。例えば、相手が頬杖をついて話をしたら、自分も同じように頬杖をつくとか、相手の口癖を自分も使ってみるといったことです。そうすることで、相手の中に無意識に仲間意識を生み出すことができるかもしれません。あるいは、少なくとも警戒心を解くことができるかもしれません。
また、初対面の人であっても、少しだけプライベートな話をして、互いの共通点を見出すことで、同朋意識が芽生え、緊張をほぐすことができるかもしれません。特に、同郷であるとか、共通の趣味といったことは、仲間意識を作りやすいといわれます。
互いに違うということが敵対意識を作るというのは、私たちの本能として備わっている部分と考えられます。しかし、それでも人は理性でその敵対本能を乗り越えることもできるのです。これは、個人と個人の問題だけではなく、民族と民族、国と国の間でもいえることかもしれませんね。
写真提供:SwitchBox
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