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第五章 西田幾多郎の他者論 (+参考文献)

ブーバーと西田

 西田幾多郎の「私と汝」に先駆けて九年前、マルティン・ブーバーが『我と汝』と題する本をドイツで発表した。この一冊は弁証法神学、ゴーガルテンの思想を介して西田に影響を与えたと言われている。だが筆者はここでその思想の影響関係を分析しようと考えているのではない。そうではなくてブーバーの他者論と比較することによって西田幾多郎の他者論がいかなるものなのかを明らかにしようと考えているのである。
 西田とブーバーはまずその思想の目指すものを全く異にしている。西田が「事実其儘の現在意識」から出立し終始この「今」を問題とするのに対し、ブーバーは汝との関係から出立し終始この「汝」を問題とする。
 この二者の方向性の違いは『我と汝』の冒頭で歴然としている。ブーバーは第一に〈われ‐なんじ〉と〈われ‐それ〉の二つの根源語を提示する。そしてこのいずれかをとることで世界のあり方は全く変わってしまうと言うのだ。この調停しがたい「根本的な二重性」(ブーバー, p. 21)の考えは思惟と経験の区別さえ相対的とみる西田の考え方と相容れない。彼らの方向性の違いは随所にあらわれている。たとえばブーバーにとって「経験」という概念は対象的な知識の蓄積とその利用を意味し、〈われ‐それ〉の世界に属する。だが西田はあくまで経験に密着する。この経験はブーバーの言う「経験」とは異なるがしかしそれを含んだものである。ブーバーが「メロディーは音から成り立っているのではなく、詩は単語から成り立っているのではなく、彫刻は線から成り立っているのではない。これらを引きちぎり、ばらばらに裂くならば、統一は多様性に分解されてしまうにちがいない。」(ブーバー, p. 15)と言うのに対して西田は『善の研究』において次のように述べる。

具体的真実在即ち直接経験の事実においては分化と統一とは唯一の活動である。たとえば一幅の画、一曲の譜において、その一筆一声いずれも直に全体の精神を現わさざるものはなく、また画家や音楽家において一つの感興である者が直に溢れて千変万化の山水となり、紆余曲折の楽音ともなるのである。(I, pp. 191-192)

 もちろん西田にとっても「一幅の画、一曲の譜」がその「統一」を失うならばこの「一筆一声」は無意味になってしまうだろう。その点からいえば両者は同様のことを述べていると言える。だがこの同じ事態を両者は正反対の方向から語っている。
 ブーバーと西田の違いをもっとも明瞭に示しているのは『善の研究』の最終章「知と愛」であろう。知は「非人格的対象の知識」で愛は「人格的対象の知識」(I, p. 198)である。つまり、知は〈われ‐それ〉に相当し愛は〈われ‐なんじ〉に相当するはずである。そんな「知と愛」は次の言葉からはじまる。

 知と愛とは普通には全然相異なった精神作用であると考えられている。しかし余はこの二つの精神作用は決して別種の者ではなく、本来同一の精神作用であると考える。然らば如何なる精神作用であるか、一言にていえば主客合一の作用である。我が物に一致する作用である。(I, p. 196)

 「物に一致する」とは自己の妄想・臆断を絶対に否定する物の顕現に立ち会うことである。すでに触れたようにここでは山や花が汝としてその本性を自ら顕すのである。このように知の根本的な〈われ‐なんじ〉性を西田は示す。「愛は知の極点」(I, p. 199)なのだ。
 このように西田とブーバーは大きく異なる。しかし二人の独特な思想家の思索が大きく異なるというのは当然のことだ。興味をそそるのはにもかかわらず二人の思想家が大きく相似する点である。
 「私と汝」と「我と汝」という表題だけが似ているわけではない。ブーバーの他者論と西田の他者論はほとんど同様のことを述べている。ブーバーは次のように述べる。

精神は〈われ〉のなかにあるのではなく、〈われ〉と〈なんじ〉の間にある。精神は身体を流れる血液のようなものではなく、あなたが呼吸する空気のようなものである。人間は〈なんじ〉に応答できるとき、精神のなかに生きる。(ブーバー, pp. 50-51)
〈なんじ〉との関係に立つものは、〈なんじ〉と現実をわかち合う。たんに自己のうちだけでも、またたんに自己の外だけでもない存在をわかち合うのである。(ブーバー, p. 80)

 我と汝とはこのように同じ空気を吸い同じ存在をわかちあう。この根本的な共感の事実をブーバーは強調する。だがそれだけではない。ブーバーはこのようにも言う。

むしろ特別に対立的な〈なんじ〉が問題なのだ。なぜなら真に異なる他者であり、別のことを考える存在者であるがゆえに、この〈なんじ〉となるのである。それゆえ、このことは空中楼閣の塔の一室における将棋のゲームの問題ではなく、他者の他者性が容赦なく厳しく迫るこの地上に束縛する生活上の仕事が問題なのである。(ブーバー, p. 219)

 「真に異なる他者」と彼は言う。単に共感のうちに融け合うだけではない。「他者の他者性が容赦なく厳しく迫る」ことこそ汝について考えるとき重要になるのである。どこまでも融け合いどこまでも相対立する我と汝こそブーバーにとって問題となるものなのだ。
 そして西田もまた私と汝に関して同様のことを考えている。「非連続の連続」と西田が実在の構造について述べることはその他者論的側面においてブーバーと全く同じことを述べているといってもよいだろう。
 だがこの共通点はそれほど驚くべきことではないかもしれない。むしろ他者との関係を真摯に論ずる場合、他者との共感の事実と他者との対立の事実に触れないことこそ不可能である。他人と心通わせるような瞬間について触れない他者論はありえないし、自己とは全く異なる対立した他者の異質性について触れない他者論もありえない。そのいずれかを錯覚とみなす他者論はありうるがしかしこれらに触れない他者論はありえない。そして関係の事実から出発するブーバーと純粋経験の事実から出発する西田にとって、これらのいずれかを錯覚とみなすことは不可能だった。というのはある事実を錯覚とみなすのはその事実以外の何かからの判断によるからだ。その道を自ら封じた彼らはそれゆえ共感と対立の双方の事実を矛盾を恐れることなく同時に認めるほかないのである。
 だが西田とブーバーにはそれ以上の相似がある。西田は「今」から、ブーバーは「汝」から出立するといった。だがこの二つの行路はすぐさま合流する。

 現在とは、しばしば思惟の中で〈経過していった〉時間を措定し、その結果生ずる一点とか、固定し経過の見せかけが示すにすぎないような時点ではない。それは、現存、出合い、関係があるかぎりかならず存在する真に充実した時間である。ただ〈なんじ〉が現存していることによってのみ、現在は現在となる。
 〔中略〕
 現在とは消えやすく、過ぎ去りやすいものではなくて、つねに〈そこに居合わせるもの〉であり、〈持続するもの〉である。対象は持続ではなくて、静止せるもの、休止せるもの、中絶せるもの、孤立し硬化せるもの、関係や現存の欠如である。
 真の存在性は、現在の中に生かされ、対象性は過去に生きる。(ブーバー, p. 21)

 つねにそこに居合わせる「現在」とはつまり「永遠の今」ではないか。この「永遠の今」、真の存在性をその中で生かすような「現在」をブーバーは「永遠の〈なんじ〉」と呼ぶ。
 「今」から出立した西田が「永遠の今」に辿りつき、「汝」から出立したブーバーは「永遠の〈なんじ〉」に辿りつく。ここで両者は合流するのである。
 『我と汝』の第三部から登場する「永遠の〈なんじ〉」はあくまでも汝との関係から考えられる。我々は個々の汝を「かいま見の窓」(ブーバー, p. 93)として「永遠の〈なんじ〉」と交わる。逆に言えば個々の汝が汝として見られるのはその根底における「永遠の〈なんじ〉」の支えがあってこそなのである。個々の汝、個人的他者との関係はつねに〈われ‐それ〉の関係に堕す危険を伴っている。「永遠の〈なんじ〉」は決して〈われ‐それ〉の関係に堕しえないものとして我々がつねに〈われ‐なんじ〉の関係に入りうることを支えている。そしてこの決して〈それ〉にならないものこそ人々が「神」と呼んできたものなのである。
 さて西田にとって「神とは、この直接経験の事実即ち我々の意識現象の根柢でなければなら」(I, p. 181)なかった。ブーバーにとって神はいかなるものか。

 たしかに、神は〈全き他者〉である。しかし神は〈全き同一者〉でもあり、〈全き現存者〉でもある。〔中略〕わたしの〈われ〉よりもはるかにわたしに近い自明の神秘でもある。(ブーバー, p. 99)

 「わたしの〈われ〉よりもはるかにわたしに近い自明の神秘」にして「〈全き他者〉」。この考えはすぐさま西田の「絶対の他」を想起させる。すでにみたように、この「絶対の他」に於て自己を見ることにより自己の原罪が意識され、そこに「アガペ」の意義があるのだった。「場所的論理と宗教的世界観」の中で西田は自らの見解を「万有在神論的Panenteismus」(XI, p. 399)と表現している。これはすなわち神を我々の「於てある場所」としてとらえることであり、また神に於て自己を見るということである。この「於てある場所」としての神という考え方は実はブーバーにもみられる。

 神は一切を包む。しかし、神は一切ではない。神はわたしの〈自己〉を包む。しかし神は〈自己〉ではない。(ブーバー, p. 119)
 このような神の前に立つ時、人は「〈わたしは任せられた存在である〉と同時に、〈わたし次第できまる〉ことを認める」(ブーバー, p. 121)ことになる。彼は言う。

 純粋な〈われ‐なんじ〉の関係においてこそ、あなたは他のいかなる関係においても感ずることのできない直接的な依存感情を感じ、いかなる場所、いかなる時にも感じなかったような直接的な自由を感じている。すなわち、被造的な感情と創造的な感情とを感じている。この場合、あなたはもはや一方が他方の感情に制約されることなく、双方を無制限に共に包含しているのである。(ブーバー, p. 103)

 「被造的な感情」と「創造的な感情」。これは西田のいう「解くべく与えられる課題」と「何時もすべての過去を消し、すべての未来を始める意義」にほぼ相当する。神の前において、人は絶対的に限定されるとともにゼロからすべてをはじめるべく立たせられるのである。
 二人の独特な思想家のそれぞれ独自な問題意識に発する思索の旅路はこのように合流する。
 私と汝の「非連続の連続」についての両者の相似は他者論の問題から考えてさほど不思議なものではなかった。だがこの「永遠の今」と「永遠の〈なんじ〉」の相似は当然とはいえない。普通に他者論、人と人の関係について考えるとき、即座に個々人を超越した「永遠の〈なんじ〉」の発想に辿りつくものではないからだ。
 おそらく、ここでマルティン・ブーバーの文化的背景を想起すべきなのだろう。ブーバーはハシディズムに関心を持つユダヤ人できわめて宗教的な人間だった。それゆえ西田幾多郎というこちらもまた禅の実践を重ねたきわめて宗教的な人間と、「永遠の今」「永遠の〈なんじ〉」の思想で共鳴するということは決して驚くべきことではないのかもしれない。
 だが、筆者はこのような文化的な影響関係によって説明することは避けたいと思う。そのような影響関係の類比だけではその思想そのものを理解したことにはならない。「芸術史は芸術でなく、哲学史は哲学でない、却って芸術があって芸術史があり、哲学があって哲学史があるのである。」(V. p. 449)と西田は言っている。哲学は単なる歴史的影響関係のなかに生まれるのでなく「理性自身の自省」(V, p. 464)により生まれるのである。それゆえ筆者は原理的な次元から考えてみたい。
 そもそも他者と向かい合う、他者と交わるとはどのような事態だろうか。それはあくまでも「今」を介して行われることでなければならない。たとえ文字を介した非同期なコミュニケーションだったとしても、そこには必ずアクチュアルな愛、感情の生まれる「今」があるはずである。ブーバーは〈なんじ〉=関係性=現在と〈それ〉=対象性=過去という構図を描く。対象的な知識は過去を結びついている。「過去と感ずるのも現在の感情である。」と西田は言うがしかしそこで対象となっているのはあくまでも過去、あるいは過去から理解された現在でしかない。それに対し〈なんじ〉との関係性はまさに関係しているという「本質行動」においてあるのである。まさに関係している、汝と向かい合っている、というところに〈われ‐なんじ〉の意義がある。そのようにブーバーは考えた。
 まさに他者と関わり合うことそのものを問題とする以上、それはすぐれて「今」の問題でなくてはならない。相関図や勢力図で表せられるような他の個々人との関係は他者論の本質ではないのだ。あくまで今私が行為し応答し決断するそのことが問題となるのである。だがそのように考えたとき、この本質行動の対手を個々の人間に限ることはできなくなる。事実、ブーバーは関係の世界をつくっている三つの領域として「自然と交わる生活」と「人間と人間の交わる生活」、そして理念・理想と交わって思索や創作にふける「精神的存在と交わる生活」とをあげている(ブーバー, pp. 11-12)(ただし「自然と交わる生活」についてブーバーはもっぱら原始人のアニミズム的な生活を念頭においているようである。一方西田にとっては花を「研究」することがすでに花という「汝」の顕現を待つことであった。ここに〈われ‐なんじ〉と〈われ‐それ〉をあくまで「根本的な二重性」ととらえるブーバーと〈われ‐それ〉の根底にあくまで「今」という〈われ‐なんじ〉をみる西田との違いがある)。「関係する」という事実、「本質行動」から出立するとき、個々人との関係だけが他者論の問題なのではない。自分が自分に関係するということがすでに他者論の問題であり(これは逆説的である。だが、自分でどうにでも利用することのできる可処分所得のようなものとして自己に接するときには隠れているが、自己の固有性・一回性に向き合うとき、他者論的事態がすでに自己の内にあらわれていることに気づかされるはずだ。西田の自己論における自己はこの次元における自己でなくてはならない)、自分が世界に関係することもまた他者論の問題である。つねにそこに居合わせる現在はただ私の行状を眺めつづける。そこに我々は神の視点を感じ、アガペを感じ、原罪を自覚することになる。他者論は他者論である以上、そのような事態につねにつながりうる。「永遠の今」と「永遠の〈なんじ〉」の相似はこの他者論の問題圏そのものの必然的性格に基づくのである。
 ここに西田幾多郎の他者論の意義がある。彼は決してはじめから他者論に関心があったわけではなく、またその哲学は決して他者論として組み立てられたものではない。そのような哲学から他者論を考えるということは、あくまでアクチュアルな「今」を忘れずに他者論を考えるということである。
 西田幾多郎の他者論をあえて一言で言えば「一期一会の他者論」である。一期一会の一回性において他者と出会うこと、ここに「無限の責任」が生まれる。今別れたら二度と会えない、そんな他者に私が出来ること・しなければならないことは何だろうか。そこに「使命」があり「課題」がある。
 ところで「一期一会」とは本来茶道の思想のなかで生まれた言葉である。井伊直弼はその著『茶湯一会集』のなかで次のように述べている。

そもそも、茶湯の交会は、一期一会といいて、たとえば幾度おなじ主客と交会するも、今日の会はふたたびかえらざる事を思えば、実に我一世一度の会なり、去(然)るにより、主人は万事に心を配り、聊かも麁末なきよう深切実意を尽し、客にもこの会にまた逢いがたき事を弁え、亭主の趣向、何壱つおろかならぬを関心し、実意を以て交るべきなり、これを一期一会という(井伊直弼, p. 9)

 ここで興味をそそるのは「主客」の文字である。これはもちろん茶会における主人・客人を意味し西田の著作で頻用されるような「主客」とは当然意味が異なる。小林敏明は西田の「主客」の頻用に主と客のシニフィアンがその本来の意味「主人」と「お客」をはなれて主観・客観の略語として使用できるほどこの二つの哲学用語が定着したことを読み取る(小林, 2010, p. 68)。だがここで想像をたくましくすればそもそも主観・客観という翻訳語の対が他の様々な翻訳案を淘汰しこれほどの定着をみせたのはそれが茶道における「主客」に淵源したからではないか。すると、こう言ってよければ、西田においてこの隠れた起源がよみがえったのかもしれない。西田にとって主客が相交わるこの現実はその根底において人格的なのである。
 (もちろん、茶道において主人・客人の意味の「主客」が古くから用いられていたことが主観・客観の「主客」のペアの定着に仮に一役買ったとしても、両者はまったく意味が異なる。単純に二組のシニフィアンを類比するならば主観たる私が客観を客人としてもてなす、ということになるがこの寓意には何の意味もない。あえてこの寓意に固執しようとするならば、西田にとって我々は主人の地位でなく客人の地位に立たざるをえない。我々のもとに経験が来てこれをもてなすのでなく、経験に我々がもてなされるのである。この意味での主人たる経験は『自覚に於ける直観と反省』で中世哲学的な響きをもって用いられた「認識作用の背後に横たわる具体的基礎」という意味での「主」体に相当する。この意味での主体の「深切実意」(≒アガペ)のもとにもてなされ、我々はその「趣向」をできる限り汲み取ろうとするのである。)

「転落」と西田の文化論

 西田が「歴史」と言い「社会」と言うのは以上のような一期一会の「永遠の今」なのである。それゆえ小林敏明の「転落」の指摘は即座に正しいとはいえない。「歴史」は単に「特定の「一般者」」ではないからだ。しかし、だからといってこの指摘を見過ごすこともできない。「無の場所の転落」で小林は西田の「日本文化の問題」を取り上げる。「皇室は何処までも無の有であった」という悪名たかい言葉において無はどうみても実体化されている。ここではたしかに無は存在者へ「転落」しているのではないか。それは誤解だと西田は言うかもしれない。だが小林は言う。「しかしこの「誤解」はもとはと言えば、「存在=無」を「存在者」と混同する西田本人の理論的な「転落」に起因していたのである。」(小林, 1997, p. 121)
 しかし西田にとって「歴史」や「社会」は単純に「存在者」と言ってしまうことのできないものだった。だがそのことを確認しただけでは「転落」の指摘を跳ね返したことにはならないだろう。小林は続く論文「〈種〉あるいはイデオロギーの発生」のなかでこの「日本文化の問題」を中心とした著作を取り上げている。ここで「西田は東西の文化を「対極的」に捕らえ、その上で「日本文化」ないし「日本精神」の独自性を持ち上げる。」(小林, 1997, p. 141)だがこのように東洋と西洋を相反するもののように捉えることは「対決」の心理をかきたてる虚偽意識にすぎないのではないか。彼の東西文化論はセルフ・オリエンタリズムでしかなく、彼の日本人論はナショナリズムでしかない。このように小林は批判する。
 西田にとって「歴史」がどのような意味をもっていたにせよ、彼が東西文化論に走り日本文化の独自性を書きたてたことは確かである。このように独自性をもったものとして日本の「歴史」「社会」が取り沙汰される以上、それはやはり「特定の「一般者」」なのではないか。その「転落」の末に西田の政治的な諸発言があるのではないか。
 西田の政治的な発言の問題について検討するためには当時の時局や皇室の問題にまで手を回さねばならないだろう。これは今の筆者には手が余る。だがその手前の、ある文化をその独自性から語るということそれ自体がすでに問題含みである。ある文化をそのような独自性をもった特定のものとしてみたとき、それはその文化のうちに暮らす人々を包摂する「特定の「一般者」」にほかならないのではないか。日本文化、日本精神を特定の実体化されたものとして描くことは西田のそもそもの立場に反するのではないか。
 この問題について考えるにあたって、筆者は今日の日本文化論・日本人論の現状について一言しておきたいことがある。今日、日本人論はきわめて不人気である。いや、これは言い過ぎだろう。むしろ日本人論的発言は昔とかわらず巷にあふれている。だが今日の社会、というより今日のインターネットのコミュニケーション空間はそのような発言を即座に揶揄する。誰かが日本人の美点を称賛して語ったならば、あるいは欠点を批判して語ったならば即座にそれぞれの反対の立場の者が「それは日本人にかぎったことではない」「すべての日本人がそうであるわけではない」と口々に言うだろう。ここでネットスラングのように多用されるのが「主語が大きすぎる」という言葉である。「日本人は・・・・・・」と言う。だがそれはあまりに主語が大きすぎるのではないかと彼らは指摘するのである。もちろん、「フェイクニュース」という言葉の流行が情報に対する慎重さとリテラシーの成熟を意味するより虚偽の情報の止めどのない拡散を意味するようにこの「主語が大きすぎる」という言葉の流行も「日本人は」「欧米人は」「中国人は」「韓国人は」「男は」「女は」から始まる粗雑な発言の横行を意味している。だがその背後では日本人論を代表とした「主語が大きすぎる」言説への不信が着実に成長しているのである。
 筆者があえてこのことを付言するのはこの「主語が大きすぎる」という表現を取り上げるためだ。この言葉は自然と西田の「主語となって述語とならない基体」「述語となって主語とならない基体」といった表現群を想起させる。そこで「主語が大きすぎる」という言葉を西田哲学的に考えてみたい。
 現実に存在するものは何だろうか。それを指すにあたって「日本人」という主語は大きすぎる。実際に存在するのは個々の多様な「この」人間だからだ。「犬」それ自体は存在しない。実際に存在するのはプードルであったり柴犬であったりチャウチャウであったりする。だがプードルと一口にいってもそれはスタンダード・プードル、ミディアム・プードル、トイ・プードルといった様々な品種の総称であり、それゆえ実際に存在するのは「この」トイ・プードルのココアちゃんに「この」柴犬のタロウくんなのである。実際に存在するのは私という人間であったり彼という人間であったりココアちゃんという固有名詞で名指されるものである。日本人とかプードルといった言葉はその属性でしかなくつまり述語でしかない。真の実在はそのような述語にはならない「この」個物でなければならない。これこそがアリストテレスの言う「主語となって述語とならない基体」である。
 だが果たしてそれで十分だろうか。このような個物に達することでもう主語が大きすぎるという心配はなくなるだろうか。たとえばこんな一文ではどうだろう。「カンダタは悪人である」。これは普通には正しい。だがすでに主語が大きすぎる。なぜならカンダタは常に悪人であったとはかぎらないからだ。彼は悪事を行うこともあったがある時には小さな蜘蛛を哀れに思ってその命をとらなかったことがあるのである。だがこのために「カンダタは善人である」と言うのも主語が大きすぎる。なぜなら彼は天上へつながる細い蜘蛛の糸に自分以外の罪人がつかまることを許さなかったからだ。真に主語となって述語とならない基体はアリストテレス的な個物ではなくしてその時その時の瞬間でなくてはならない。この瞬間こそ西田にとって「この」が示すものである。

しかし「この」という言葉は大事な言葉であるが「この」はわかったようでわからぬ。例として「この花」の概念を分析して見よう。いま「この」と云うものをここで認めるには、赤い、重い、匂う・・・・・・何かの性質に由るのである。「この花」の花をAとしその性質をA=a+b+c+・・・・・・として示す。この性質はどんなに分析してもつきぬ。一般概念をいくら合せても「この」は出てこない。そこでアリストテレスの言うところは矛盾に陥る。アリストテレスのいう個物がそれについて判断することが出来るものであるなら、プラトンの言う如く、何か一般概念の中に入ってしまわねばならぬ。一般概念の中には入ると「この」ではなくなる。即ち「このもの」ではなくなり、プラトンにかえってしまってアリストテレスの意味はなくなる。そこで私の上にのべた時の瞬間という如きものの意味が重要なものになってくると思う。「この」という瞬間の意味である。(XIV, pp. 145-146)

 西田にとっての「主語となって述語とならない基体」とは、このようにその瞬間においてただ「この」と指し示すことしかできないような現実なのだ。
 さて例として出したカンダタだが、蜘蛛の糸に他の罪人がつかまることを許さなかったことをもって悪と断するのはあまりに酷ではないだろうか。この行為はたしかに悪といってもよいだろう。だがそれ以上に彼の人間としての弱さ、臆病心、傲慢、焦燥を示している。「悪」とはその行為を一側面から判定したものでしかない。しかしそう考えると蜘蛛を助けた一事を単に善と見做すこともためらわれる。カンダタはなぜ蜘蛛を助けたか。「命を無暗にとると云う事は、いくら何でも可哀そう」だからというのがこの行為についての彼自身の説明である。だがこれまで同じ人間の命を奪うことをためらわなかった彼が本当にそれだけの理由で蜘蛛を助けたのかは疑わしい。命を尊んだと言うこともできる、ただの気まぐれだったと言うこともできる、あるいは地を這う蜘蛛の姿に自分を重ねたということもありうる。これを「善」と言いきってしまうことはこの行為の妙味をすべてそぎ落としてしまうことではないか。ここでは「善」「悪」という述語はあまりにも小さすぎるのである。
 述語が小さすぎる。「私は日本人である」、「彼は中国人である」と言うことはあまりに述語が小さすぎる。なぜならそれはその人の一側面でしかないからだ。ある一瞬の出来事を「良いこと」とか「悪いこと」とか言うことすらすでに述語が小さすぎる。現実の出来事はそのような小さな述語に収まりきらない。良いとも悪いとも言い切れないのが我々の現実である。
 ここに西田の言う「述語となって主語とならない基体」がある。西田はこの基体を意識と同一視するがここで重要なのは「私の」意識ではない。ある出来事を前にただ「ああ」と嘆息して感受することしかできないような現実こそが「述語となって主語とならない基体」と言われているのである。
 主語と述語からなる我々の言語は現実を示すにはあまりに主語が大きすぎ述語が小さすぎる。それゆえ西田は現実を示して「主語となって述語とならない基体」と言い「述語となって主語とならない基体」と言った。そしてついに「絶対無の場所」に辿りついたのだった。この西田の本来の筋から考えるならば「日本人は」というのは既に主語が大きすぎ、「情的である」というのは述語が小さすぎる。そうすると、本来西田は日本人論を書くことができないはずである。
 しかし西田は書かなければならなかった。
 西田の東西文化論の端緒は『働くものから見るものへ』の序の「形相を有とし形成を善となす」西洋文化に対し東洋文化を「形なきものの形を見、声なきものの声を聞く」(IV, p. 6)ものとして性格づけるところにある。だがこの時点で西田は特に積極的に文化論を構築しようとする意図はなかった。この言葉は東西文化の性格を明らかにするという意図に基づいているのではなく、西洋文明がプラトン・アリストテレスの昔から築き上げてきた物の見方に対して別の見方をとろうとする西田自身の立場を後押ししようとする意図に基づいている。
 では「日本文化の問題」といった彼の一連の文化論はどこからはじまったのか。それは「私と汝」を経てさらに『行為の世界』『弁証法的世界』で自己でなく世界を中心に考える立場に立とうとしてからのことである。『弁証法的世界』の最後に収録された「形而上学的立場から見た東西古代の文化形態」、この論文こそ西田が文化論をそれ単体で描こうという意欲をみせた最初の事例である。
 西田の文化論への意欲について単に政治的背景から考えるのではなく彼自身の哲学的背景から考えなければならない。『善の研究』から『行為の世界』『弁証法的世界』にいたるまでの彼の哲学的道筋はすでに見たとおりだ。『善の研究』のなかで神の「無限の愛」と言われたものがついに「アガペ」として開花する。ここで重要になるのはそのような世界からの視線をうけた我々が背負う「使命」「課題」である。「形而上学的立場から見た東西古代の文化形態」は以下の文で終わる。

東洋文化と西洋文化とはその根柢に於て如何に異なるか。日本文化は東洋文化に於て如何なる意義を有するか。長所は直に短所である。深く己を窮め又よく他を知ることによって我々は真に我々の進むべき途を知り得るのである。(VII, p. 453)

 日本文化の美点を取り上げて「だから日本人は素晴らしい」と自賛することも、日本文化の欠点を取り上げて「だから日本人はダメだ」と卑下することにも西田は興味がなかっただろう。そのように単に静的に日本人のもつ属性をきりだすことに意味はない。日本人の長所をきりだす必要があるのはそこに「使命」をみるからだ。日本人の短所をきりだす必要があるのはそこに「課題」をみるからだ。このような動的な行為として西田は日本人論を必要としたのである。
 (しかしそのもくろみが成功したかどうかは別の話である。小林敏明が指摘するように西田の成果物は結果的に「ナショナリズム」「セルフ・オリエンタリズム」と区別しがたいものとなった。それがどのように失敗だったか。またどうすれば成功しえたか論ずべきことはまだ多いだろう。だがそれはもはや西田幾多郎の問題である以上に現在日本に生きる我々の「使命」であり「課題」である。それゆえ「西田幾多郎の他者論」と題する本稿についてはここで擱筆させていただきたい。)

参考文献

井伊直弼『茶湯一会集・閑夜茶話』戸田勝久校註、岩波文庫、二〇一〇年。
『西田幾多郎全集』岩波書店、一九六五年-一九六六年。
小林敏明『西田幾多郎 他性の文体』太田出版、一九九七年。
小林敏明『〈主体〉のゆくえ‐日本近代思想史への一視角』講談社選書メチエ、二〇一〇年。
小林敏明『西田哲学を開く 〈永遠の今〉をめぐって』岩波現代文庫、二〇一三年。
檜垣立哉『西田幾多郎の生命哲学』 講談社学術文庫、二〇一一年。
マルティン・ブーバー『我と汝・対話』植田重雄訳、岩波文庫、一九七九年。

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