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人生のピーク・四季・生きがい。葛飾北斎・吉田松陰・フランクルと生きていく

地図をみるのは、旅行と出張のときくらい。

まして人生の地図、キャリアの地図は、だれももってません。

「悔いなく、賢く、迷いなく生きたい」そう誰しも思うもの(もちろんたまの寄り道はたのしいですが、いつもそうしていると迷子になります)。

そんなとき人生の地図の『補助線』になる本があります。その本のなかからいくつかの地図を先人の歩みとともに紹介します。


葛飾北斎と人生のピーク

『富嶽三十六景』などの有名な作品を残した浮世絵師、葛飾北斎。彼は75歳になって、自分の人生をこのようにふりかえったという。

自分は6歳のころから絵を描き始め、50歳からはたくさん描いたけれども、70歳よりも前に描いた絵は、どれも取るに足らないものであった。73歳になって、ようやく禽獣虫魚の骨格や、草木の出生を理解して描けるようになった。これから先、80歳になれば自分はもっと進歩するだろう。90歳になれば奥義を極めるだろう。100歳になれば神妙になるだろう。110歳になれば一点一画を生きているように描くことができよう、と。

「人生の地図」のつくり方 p.83-84

北斎が『富嶽三十六景』を描いたのは72歳のとき。生涯で3万4千点を超える作品をつくった北斎は、88歳で人生のピークを迎え、この世を去った。

人生のピークはいつごろだろう。新しい言語を学ぶ能力や情報処理は若い頃のほうが優れている。けれど、いくつか未来に希望をもてる能力がある。

  • 集中力:43歳

  • 感情を理解する力:51歳

  • 語彙力:67歳

北斎は人生で30回以上、雅号(ペンネーム)を変えたという。20代は春朗(しゅんろう)、30代なかばで宗理(そうり)、45歳 葛飾北斎、50歳 戴斗(たいと)、60歳 為一(いいつ)そして75歳 画狂老人 卍(がきょうろうじんまんじ)。とんでもない語彙力だ。彼のネーミングセンスの歴史はこちらのnoteに詳しく書かれています。

組織や家庭の人間関係の悩みも50を超えると解消されるのかもしれない。あるいは、集中力がほどよくダウンして気にならなくなるのかもしれません。

吉田松陰と四季

明治維新。数多くの志士を育てた吉田松陰は、老中の暗殺計画を安易に告白してしまい、弱冠30歳で投獄され死刑となりました。

彼が残した遺書には、こんな言葉が。

私は三十歳で人生を終わろうとしている。いまだ一つも成し遂げることがなく、このまま死ぬのは、これまでの働きによって育てた穀物が花を咲かせず、実をつけなかったことに似ているから惜しむべきかもしれない。だが、私自身について考えれば、やはり花咲き実りを迎えたときなのである。
・・・人間にもそれにふさわしい春夏秋冬があるといえるだろう。十歳にして死ぬ者には、その十歳の中におのずから四季がある。二十歳にはおのずから二十歳の四季が、三十歳にはおのずから三十歳の四季が、五十、百歳にもおのずからの四季がある。

「人生の地図」のつくり方 p.107

松蔭とちがって死期がわからない我々は、四季とかさねて人生をふりかえることはない。けれど、松蔭がいうように秋の実りの時期がだれしもあると思えると、とても穏やかな気持ちになれます。

松蔭はじぶんのことを「僕」とよび、弟子を「君」とよんだ。当時の「僕」については以下の本にくわしいらしい(未読です)。互いに尊重し合う関係をつくる松蔭だからこそ、人生の段階を四季にたとえ、充足感をえながら冬を迎えられる教えを残したんでしょう。

『夜と霧』と生きがい

第二次世界大戦。ドイツのユダヤ人強制収容所で生き抜いた心理学者ヴィクトール・E・フランクル。彼の著書『夜と霧』を私は読むことができない。
収容されたひとびとの過酷な経験がのっているその本のエネルギーを、受け止められない気がして、いまもまだ怖くて開くことができないでいる。

極限状態の生活の中でも、人びとは生きがいを感じながら生きていました。

ある夕べ、わたしたちが労働で死ぬほど疲れて、スープのワンを手に、居住棟のむき出しの土の床にへたりこんでいたときに、突然、仲間がとびこんで、疲れていようが寒かろうが、とにかく点呼場に出てこい、と急き立てた。太陽が沈んでいくさまを見逃させまいという、ただそれだけのために。

「人生の地図」のつくり方 p.272

沈みゆく太陽をみて「世界はどうしてこんなにも美しいのだろう」と言った彼らは世界と一つになり、満たされた感覚を得られていたのかも。

生きがいという言葉には日本特有の意味が込められています。精神科医神谷美恵子の『生きがいについて』では、その特徴が6つ挙げられています。

  1. 生きがいは、いきいきとした生存充足感、生きる喜び、張り合いを与える

  2. 生きがいは、必ずしも生きていくために必要、というわけではない

  3. 生きがいには、やりたいからやる、あるいは神のお告げを受け入れる自発性がある

  4. 生きがいは、個性的で、内奥の本当の自分にぴったりしたものである

  5. 生きがいは、その人の価値体系をつくる性質をもつ

  6. 生きがいは、その人がのびのび生きていける、独自の心の世界をつくる

生きがい=自分だけの生きる意味という捉え方は、1・4・5・6と整合する。一方で2と3は非常に微妙なニュアンスを含んでいる。

生きがいは人生そのものであり、それなくして生きれないものではない
生きがいは自分で選び取るものであり、自分が選ばれるものでもある

生きがいのとらえどころのなさを、本ではすぽんっと捉え直してくれる。

生きがいとは、生きる甲斐である。では甲斐とは何か。語源をたどると、それは何かの「代わり」という意味である。生きがいとは、自分の行為の結果として得られた価値ではなく、自分の行為の代わりに得られた価値の兆候である。(略)生きがいとは、自分の行為ではどうにもならなかったことが実現したときに、自分が「生きたことの価値」としてその状態を受け止めることができるものであえる。言い換えれば、自分ではできなかったのに、生きていてよかったと思えることである

「人生の地図」のつくり方 p.283

太陽が沈んでいく光景に、自分はどうすることもできない。その失われる輝きをどこかに取っておくことはできない。けれど、その温かさや眩しさを全身でうけとめ、それを感じられる生を肯定することはできる。

あるいはまた、こう考えてみてはどうだろうか。真に価値ある人生とは、誰かが果たせなかった目標を、代わりに自分が成し遂げることであると。私たちは、自分の人生に生きがいがなくても、他人の生きがいを生きることができる。他人の人生のためになることはできる。そう考えてみると、私達は「生きがい」を探求することの重荷から、少し開放されるのではないだろうか。

「人生の地図」のつくり方 p.284

人生にはどうすることもできないことはいくつもあります。けれど、そんな中にも大切にしたいもの、心から価値があると信じるものはある。

「自分にしかできないこと」や「これだけが人生に意味をもたらす」といった一対一の関係ではなく、代わり映えのない「だれしもが享受できるもの」を喜び、代わる代わる「誰かのために日々を重ねる」という循環と共有のある関係性に生きがいを見出す。そうすることでこそ、霧は晴れ、夜は明けるのかもしれません。

「人生の地図」のつくり方

今回紹介したのはこちらの本でした。

京都の出町桝形商店街にあるcava booksでひとめぼれした本。「どう生きよう?」とおもったとき、歩みを進める勇気がほしいときおすすめです。