見出し画像

「会う」ということばの定義

今まで、私は「人に会うこと」を最も重視してきた気がする。
そんな私にとって「会いたい人に会えない」というこの状況は結構な苦痛でもある。
平日の夜の過ごし方においても、週末の過ごし方においても、
友人と食事をしたり、友人と旅行にいったり、友人に会いに行ったり、
そんな日々を送っていたからである。

そう感じている人は私だけではなく多くの人がそうだろう、と思う。

一方で、時間ができたことで今までおろそかにしてきた大切なことに気づいたりもする。
時間があれば料理もするし、掃除洗濯だって、きちんとする。
料理なんて楽しくていろいろやってみたくなる。

在宅ワークが推奨となれば、部屋の環境を整えることが楽しくなり、
デスクやチェア、TVボードまで新調して(レンタルだけど)、気分一新。
今まで「狭くて嫌だなぁ」と思っていた部屋が、それなりに快適になったりする。
(かなり断捨離もしたからではある。その断捨離ができたのも時間があって、考えるきっかけになったおかげ)

日々状況が変わっていくこの頃、順応力だけは長けていると思うので、
それなりに対応できている気もするが、これが長期間続けばまたその時自分がどう感じるのか、どうなっているのかもわからない。

少なくとも3月中旬頃まではあまり危機感が自分になかったことも確かである。

今の考えとしては東北との関わりは、つながりを実感しながらECで購入することでできることもあるなと感じて、
どこから何をお取り寄せしようかな〜なんて考えているフェーズ。

ただこの先、会いたい人に本当に会えないままだったらどうなるだろう?
オンラインで会えたら、姿を見れたら、それは会ったことになるのだろうか?
「会う」ということの定義ができないまま、今を過ごしている。
連絡をとっていることで、つながりを、感じることはできているという感覚はある。
でもそれは実際に触れたわけでもなく、手触りを感じることもなく、
体験しているとは言えないだろうと思っている自分がまだいる。

この感覚も変わっていくのかな…

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?