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文披31題:Day11 錬金術

 魔法は芸術にも等しいのだよ、と眼鏡の奥の瞳とともに告げられた。
「美しく、力強く、万物にあふれる力に働きかける。なんて素晴らしいんだ!」
 ぐつぐつと煮える鍋に棒を突っ込み、ぐるぐるとかき回しながら熱弁する様子は狂気を含んでいる。ありていに言えば、怖い。狂人じみている。
 正直、就職先間違ったかなと思うには十分すぎるほどだった。どおりでやけに好待遇なわけだ、と。給料なんて前の仕事より倍以上になっているはずだ。
 それが目の前のものへの対応というには、少し足りない報酬ではないかと考えかけて、やめた。初月の給料はすでに受け取ってしまったのだ。
「今月だけはいてくれるよね?」
 アカデミーの総務課窓口にて、「主任」というプレートをつけた職員が必死な形相で聞いてきた意味を、今まさに体感しているところだ。
 当たり前ですよと返したその時の自分を殴りたい。これを目の当たりにするとわかっていたら、止めていたと思う。
 ……たぶん。
 あのときは、前の仕事の退職金使い果たして明日からどうしようって思ってた時だから、逆に殴られて強行突破されたかもしれない。そして自分で自分を殴りたくなるんだろうな、今よりも。
 そんな、現実逃避する間にも目の前の狂人もしくは変人―あるいは両方―はおかしな笑い声をあげながら鍋をかき回している。鍋の中には紫色の液体がどろどろぐつぐつ煮えていて、指でも突っ込んだ日にはやけどどころか指自体が解けて消えそうだなと思うくらい、毒々しいものが煮えている。
 何作ってるんだろ、この人。
 高名な研究家、とは聞いている。魔法そのものを探求・研究しており、「魔法を愛し魔法に愛された男、それがワタシ!!!」と叫んでいるのを目撃したのがなんと、ドアを開けて初対面というなんともいえない状況だった。
「ハジメマシテ、サヨウナラ」
 カタコトで言ってドアを閉めようとしたところを案内してきた「主任」プレートの職員にがっちり肩を掴まれて部屋に放り込まれた時点で、運命は定まってしまったのだ。まだ窓口でなら、引き返せたはずだ。
 きっと。たぶん。
 と、また現実逃避しかけてしまったことに気づき、改めて現状を分析することにした。
 魔法研究家の助手、それが今の自分の身分だ。目の前のおかしな叫び声をあげているのが上司に当たる魔法研究家。仕事は彼の研究を手伝うこと。給料は高い、休みは週に必ず二日、初めから有休あり(ただし上司の許可必須)、夏季と冬季は長期休暇あり(ただし上司の都合による)、メンタルカウンセリングは随時利用可能。
 改めてみると、やばい待遇だし条件がエグくないか……?と気づいた時点ではもう遅いのだろう。
「新入り助手さんんん……水を、瓶に水を汲んできてくださ~い……」
 部屋の奥からへろへろと現れたのはピンク色のふわふわした髪を二つに結った女性だった。ふらふらしながら机にもたれかかってうなだれたまま、動かない。
 確か、初めは助手だったがいつのまにかメインでも仕事を担うようになった研究員だったはずだ。拡大鏡の役目をする眼鏡を付けたままだったせいで「うわっ! なんかめっちゃでかい魔法線が見える!」と騒いで、またうつぶせた。それ、木目です先輩。
 一瞬見えた紅色の大きな瞳の下には濃いクマが浮いていて、徹夜記録更新~と聞こえた気がしたが気のせいにすることにした。
 きっと、綺麗にしていたら美人さんなんだろうなと思ったが、へろへろふらふらぼろぼろの姿では、笑いながら鍋をかき回す変人とそんなに変わらない気がしてしまう。哀れすぎる。
 いつか自分もたどる道では、とも、思いついたが考えないことにした。好待遇、休みはいつでも、メンタルヘルス管理はばっちり。なんて素敵な職場!
 言い聞かせながら瓶に水を汲み、ついでに水差しとコップも用意してテーブルに置くと「ありがとぉぉぉ……」とへろへろ声で言われた。声も可愛い。へろへろだけど。
 起き上がる気配は見せなかったので、どうしようかと思っていると、後ろから「助手! 助手!」と呼ばれた。変人、いや上司である魔法研究家だ。
 やけに嬉しそうに呼ばれて、嬉しいとは思えずむしろ恐ろしかったが、上司に呼ばれたならば向かわねばならない。仕事、仕事と言い聞かせる。
「助手! これを見ろ!」
 名前は名乗ったはずだが、呼ばれるまでは時間がかかるだろうとは「主任」プレート職員からの情報だ。研究に没頭している間は、外からの情報のほとんどをシャットアウトしているとのことなので、新しい助手と認識されているだけでもすごいことだよと言われた。正直、認識なぞせず放置しておいてくれたほうがよっぽど精神安定上よかったのだが。
 助手と呼びながらほらこれを見ろ、と鍋の中身を指さしている。自慢気なこどものようだな、と思いながらさきほどまで奇怪な叫び声を聞かせられながら中身が混ぜられていた鍋をのぞき込む。
「え……」
 毒沼のような紫色の液体は、いつの間にか柔らかい白色に変わっており、表面にはきらきらと輝く金の粒子がいくつも浮かび上がっていた。
「ほれ、ここに魔力を注ぎ込め。魔法を使え、助手は魔法使いだろう!」
 ここ、こう手をかざして、と両の手首を掴まれ力任せに鍋の上に手のひらを向けられる。奇怪な叫び声に気を取られていたが、案外華奢なひとなのだと手首をつかまれて気づいた。
 改めて見ると白い髪はきれいに整えられており、まつ毛も生えそろっていて美男子と称されるにふさわしい。これだけ綺麗なら研究発表のときとか人がわんさか聞きに来そうだなあなどとぼんやり見惚れていた。
 だが、金色の目がぎらぎらと輝いて鍋の中身とこちらを見ているところはやっぱり変人、狂人、あるいは両方という呼称がぴったりだなと思う。
「先生がやらないんですか」
「ん?」
 金色の目が瞬いた。キラキラしいまばたきだな、とまぶしさに目を細める。美人というものは凡人にとって、破壊力が強いしまぶしすぎる。
「んんん~?」
 美丈夫が、変な声をあげて首を傾げておかしな角度に体をひねっている。台無しだな!と叫びたくなる。
 しばらく待っていると、ああ!とぽんと手を打たれた。
「助手、知らんのか! ワシは魔法が使えんのだ! だから助手を頼んでいる!」
 胸を張って言われ、ぽかんとした。口が開いたままふさがらない。
 魔法が使えないのに魔法研究家。いや、魔法が使えないから「こそ」魔法研究家、なのか……?
 考える合間も上司は魔法を使えと促してくる。否ともいえる雰囲気でもなく、仕事であるかと言われればそうなので、しぶしぶ手に魔力を込めた。
 サアァァァ、と涼し気な音と共に魔法が具現化し、鍋に吸い込まれていく。金色の粒子が魔法を吸って大きくなり、ころころと白い液体の上に浮かび上がってくる。魔法を使い終えると、金色の粒子は薄青い結晶となって鍋の中にいくつも浮いていた。
「おお、おお。助手の魔法は霧かね! 水よりも微細な粒子にして、雨よりもしっとりと湿度をもたらすあの繊細な!」
 感激したように上司が自分の魔法を分析するのを、不思議な気持ちで聞いていた。霧の魔法にこんなに感激してくれるとは。
「ワシはな、魔法が使えないがこの金色の粒子を生み出す技術を見つけた。粒子は放っておくとただの金の粒に過ぎないが、魔法を吸わせるとその魔法そのものの力を蓄えることができるんだ」
 薄青い結晶をひとつ掴み、手の中に握りこむと霧が生まれた。ぶわりと大きく広がり視界を覆いつくしかけたところで桃色の風が吹き払っていった。
「室内で魔法金使わないでくださいよ、せんせぇ……」
 風はよく見れば花びらで、霧を吹き払うと消えた。いくつかは消えず、テーブルにうつぶせていたピンク色の髪の女性のの髪にはらりと花びらが落ちる。
 顔をあげて不満げに訴えると、そのまままたテーブルにうつぶせる。
 とがめられた当人はと言えば「成功! 成功!」と小躍りしていてまったく聞いていない。ほれ、次だ!とぐいぐい手首を引っ張ってくる。
「鍋の中身はすぐ作れるから、次も頼むぞ!」
「え、いや、魔法、使いましたし。霧の魔法、金? まだ作るんですか?」
「いんや、霧じゃないほうの魔法だ。助手はもうひとつ、使えるだろ?」
 にんまり笑われて、絶句した。なぜ知っている。通常、魔法使いはひとりひとつ、得意な魔法を持つのみとなっている。けれど、例外はある。実のところ、誰にも言っていないはずなのに。
 おかしいだけの上司じゃないのか。いや、こんな魔法まがいの研究成果をあげているのだから侮れない人物なのだろう。
 警戒心もあらわに上司を見つめてくる部下を、魔法研究家は笑顔で受け止めた。
「ワシと、ほれ、あっちしか知らんぞ。だから安心して励め! ほら、研究は待ってくれんぞ、早く始めよう!」
 詳しい事なんてどうでもいいと研究にのみ興味と知識と技術を注ぐ魔法研究家は、助手の腕を引っ張り誘う。嬉しそうに、無邪気な笑顔を向けてくるものだからついいいかと思いそうになる。
 いかん、油断してはいけない。この職場は魔窟だ。気を付けないと。
 そう気を引き締めながらも、この空気感と、上司と同僚の空気にすでに飲み込まれているのだろうなと思いながら仕事を再開するのだった。

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