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建築士不在のビル建設:やっぱり日本の政治に設計図は無かった…

図書館のリサイクル図書は「本当に古すぎて今は役に立たないもの」もありますが、中には「時代が変わっても参考になる不変のもの」も存在します。
『なぜ日本の災害復興は進まないのかーハンガリー赤泥流出事故の復興政策に学ぶ』を1-3章まで読み進めました。

本書籍で取り上げられているハンガリー赤泥流出事故は2010年に発生した産業事故。この事件の後、日本で東日本大震災に伴う福島第一原子力発電所爆発事故が起きたことから、「災害対応に関して両者が比較されている書籍です。
ページ数の多い図書なんで、4章と5章を読む前に少し今の日本の状況と比べながら感想を整理してみたいと思います。

🦠「復興五輪」とは言ったけれど…

来週には東京オリンピックが(強行)開催されますけれど、こうもトラブルだらけの五輪なんて寧ろ開催が楽しみですらあります。
「オリンピック楽しみですね!(o^―^o)ニコ」
なんて職場でお客さんに言ったりしてますけど、反応はみんな白けてます。誰一人「ええ楽しみです」なんて反応は返ってこないのです。
緊急事態宣言下で無観客開催になってるんですから、白けるのも無理はありません。
そんな東京オリンピックも「復興五輪」なんて言われていましたが、東日本大震災からの復興を象徴するのに対して被災してない東京で開催するというのも可笑しな話です。
もし「復興五輪」というのであれば、仙台・盛岡で開催しなければいけないんですよ。被災したのは東北なんですから。
本当なら仙台・福島と言いたいところなんですが、福島はこまち・はやぶさ号が通過しますからね・・・。
空港があり、地下鉄もある仙台がありますから、仙台オリンピック2020なら「復興五輪」の理屈も一応辻褄が合います。
で、その「東日本大震災からの復興」は未だ終わっていません
双葉町は未だ帰還できない人が6000人もいるのです。
原発事故というのはそれほどまでに強烈な事故なのでして、私がツイッターで政治アカウントやるようになった当初は「原発事故=領土を失うことだ」と言われていました。
放射性物質には「半分に減るまでに30年掛かる」ものがあるわけですから早々復興なんて終わらないですよね。

📓ハンガリーは災害復興の設計図を作っていた

本書を読み進めてみて一つ気付いたのは、ハンガリーは赤泥流出事故の復興に対し、都市ビジョンを持って対応していたということです。
この辺はあまり書くと長くなるんで、詳細はリンク先を見ていただけると助かります。

ただ、ハンガリーのやり方を見てると、復興のビジョンとして「こうありたい」という姿がキチンと言語化されていて、キチンと復興の姿をデザインした上で政策が作られているのです。ここが日本と大きく違います。
もちろん運の要素というのもやはりあります。集まったお金の中には「ある程度自由に使えるお金」もあったので、単なる災害復興ではなく、平時に戻っても恒久的に役立つものへの投資が出来たというのが、ハンガリーの赤泥流出事故における事後対応の良かったところです。時の政権も対応が早かったこと、住民と真摯に向き合い、要望に沿った対応が出来たことも評価されていますが、被災した筆頭自治体の復興プランは確かに「復興にあたってありたい姿」がデザインされたものとなっていました。

🏥結局今の感染騒ぎも個別最適化しか考えてない

高橋洋一が「日本の感染具合なんてさざ波」と言ったことがバッシングされたものになっていましたが、欧州やアメリカに比べれば日本は本当にさざ波です。
尤も、さざ波で決壊する堤防に問題があるのであって、実は日本におけるパンデミックの問題はウイルスそのものより、社会設計の脆弱性を突かれたものであります。

何度緊急事態宣言をやっても上手く行くはずはありません。
そもそも日本の弱点は大都市(とりわけ東京)に一極集中しすぎたことであり、医療の弱点も民間医療が多いことでもないんですよね。
よって国土デザインこそ政治家が手を付けるべき重大な感染症対策なはずなんですが、与野党共に・・・ねぇ。
うーん、一体いつになったら国土デザインの話を出来る政治家が現れるんやら。
赤泥流出事故に際して「ありたい再生の姿」を描いたハンガリーに対し、原発事故やら疫病やらに際して何の社会デザインも出来ない日本の政治。
正に建築士不在のビル建設、アーキテクチャー不在のシステム開発って感じで滅茶苦茶ですな。

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センチュリー・大橋
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