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[弱者男性]問題にイチ新自由主義者として思う事

ツイッターではサイゼデート問題と併せて炎上しやすい問題に「弱者男性」のネタがあります。
最近炎上したのに東大の「我々に婚姻の自由をー生殖の自由を奪うな!」なんてプラカードがあって、何故か野比のび太が使われてたのですが(何故のび太・・・)、まぁ「それヘイトスピーチ同様、言うたらアカンやつや」と言う気しかしてません。

まぁ若気の至りということにしておきたいと思いますが(良くない)、その一方、世の中に〖弱者男性が存在する〗ということ、それ自体は事実だと思っております。

この〖弱者男性〗も発信者によって恋愛か経済かが、意味合いも異なっている気がするのですが、もし統計が嘘でないなら、日本の住民の6人に1人が貧困がいると言うことになっています。
つまり男性も女性も6人に1人が貧困と考えるならば、弱者男性がいると言うそれ自体は、なんら間違いはありません。

💱弱者男性との関わり方と経済思想

日本には男性にも女性にも6人に1人が貧困であるということ。当然、弱者と言う観点で言えば、女性にも男性にもいるわけです。
そして、女性の弱者に対して「救いの手が必要だ」と言えば、これは十中八九が「そうだ」と言うでしょう。

では男性はどうでしょう?
これは逆に十中八九が「自己責任だ」と言うんじゃないかなと思います。
で、政治に関わっていると、ここで不思議なことが起こるんです。
普段の政治発言で「新自由主義は悪だ!」とか「竹中平蔵や橋下が日本を壊したんだ(彼らは新自由主義者とされている)」と言っている人間の一部が、こと弱者男性の部分だけ「自己責任」の論調になるんです。

一方、私は経済思想の面では新自由主義思想を信奉しています。ですから、私が弱者男性に思うのは「自分で選んだ道でしょ」と思ってますし、これはフリードマンシップに照らし合わせれば、何も矛盾しません。
「悔しいなら這い上がるべきでしょ」という、ただその一言に尽きます。

💷新自由主義に反対する人への違和感

繰り返し言うと私自身は新自由主義思想の人間なので、弱者男性に関しても「弱者のままでいることを選んだのは自分自身だよね?」っていう考え方をしています。
その一方、新自由主義に反対する人間が「弱者男性などいない」みたいな感じで切り捨てるのは、矛盾があるのではないかと思います。
少なくとも、報道などに嘘がないならば、女性も男性も6人に1人は経済的には弱者であることになります。

新自由主義に反対する人は概ね社会民主主義という施策を支持していて、これは「国家が積極的に福祉に投資することで国民が自由になれる」ということから、私のようなネオリベラルとは異なる意味で「リベラル」と呼ばれています。

社会民主主義者は「弱者を国家の出費(即ち税金)で救済することで皆が平等かつ自由になる」という発想なんで、弱者男性を否定してしまうというのは、可笑しなことになってしまうのではないでしょうか。
少なくとも弱者男性がいるということ、それ自体は事実なのですから。

💶サイゼリア論争に対する違和感

尤も、サイゼリア論争を見てると「本当に日本には6人に1人も貧困おるんかいな・・・」という疑問が無いでもありません。
本当に貧困の人間から見ればサイゼも贅沢品です。
私は幼少期、毎日食べるものの中で最も高級な食事は学校給食でした。

母子家庭で母は毎日仕事していて、夜は毎夜カップ麺。一ノ割(春日部市)のボロ家には冷暖房なんか無いですから、夏の夜なんてゴキブリが出ない日は無かったですね。

そのせいか、今でもクロゴキブリはダメです。
チャバネゴキブリなんかは大人になってから見たのもあって、割と苦手意識はないのですが、どうしてもクロゴキブリはダメなんですよ。スズメバチ以外の大抵の虫は大丈夫なんですけどねぇ・・・。

で、ガスと水道も止められた経験がある中でサイゼ論争見ると「随分みんなお家柄よろしいなぁ」と思ってます。
私は19歳の時に仕事3つ掛け持ち、20代前半は佐川で蹴飛ばされながら歯を食いしばって金を貯めてたんで、こうした育ちの悪さから見ると、サイゼ論争は理解し得ない世界です。
まぁ貧困を経験してない人間がそれだけ多いってことなんでしょうね。

💴向き合うのか切り捨てるのか

弱者男性に関しては向き合おうが切り捨てようが、どっちも間違いでは無いと思います。
「これが正解」って言うものがあるわけでは無いと思うんでね。

日本と言う国はその昔、社会主義の国だったのです。その時代と言うのは結婚に関しても社会主義的で、どちらかと言うと結婚は自由というより義務に近かったと言えます。
そんな時代には見合い婚も全く珍しいことではなく、今既婚のオジン達も多くは決して恋愛強者だったわけでは無いと思います。

しかし、今は人間の価値は市場によって決められる社会です。
例えば私の生きてる価値を決めてるのは私ではありません。市場によって決められています。私にできることは「市場価値(他人の評価)を高める」ということだけです。

そして、この記事を読んでる貴方もまた、貴方の価値を決めてるのは貴方じゃありません。市場です。他人の評価で貴方の価値が決っている。貴方に出来ることは「市場価値(他人の評価)を上げること」だけです。

最近、私のタブレットにはオーネットの広告が頻繁に表示されるようになりました。
「うわウゼ!」と思いながらYoutubeでは広告をスキップするのですが、しかし本気でパートナーが欲しいなら、オーネットに登録すれば、登録料116600円で他に〖婚活市場〗に参加している女性プレーヤーの中から全力でマッチングして貰えます。あくまでも〖市場〗ですからね。
参考までにオーネットの月謝は16500円です。高いですね(でも結婚相談所って基本的に本気度が高い人が登録します)。
逆に言うと「金を積めば高確率で結婚まで辿り着ける(つまり結婚を金で買える)」と言うのが資本主義的な考え方です。

そして、資本主義にはどうしても付きまとうのが「職業には貴賤がある」ということです。

かつて炎上した「底辺職業ランキング」は、掘り返すと「結婚したくない男の職業ランキング」でも上位に来るものが多く並んでいます。
中でも介護職男性と言うのは、極めて女性からは不人気な職業でした。

これは介護職の給料の安さ、労働時間の長さと不安定さからくるものがあると考えられますが、ある意味でそういう市場主義社会の中で「介護職男性は女性から差別されている」という位置付けになります。

流石にヘイトスピーチのような憎悪を向けられる差別とはまた方向が違いますが、介護職男性がパートナーを探すための出発点にすら立たせてもらえないというような現状というのはあるのですね。

そもそも資本主義社会では弱者と強者がいるのは当然のことです。
それは性別関係なく弱者は存在する。
これに対して「何が弱者男性だ☠ね!」みたいなね、言ったりするのは、発言に対する責任を取れる限りに於いて自由です。ただし、その口で新自由主義を批判する資格は無いと言っておきます。何故ならそれは新自由主義の価値観にこそ合うものであり、新自由主義に反対する人間は口にしてはいけないからです。

まぁ弱者男性の意味合いは発言者によって、恋愛か経済かの意味合いは違うことがあります。ただ、金銭に困ってなくて、純粋に「俺は恋愛(恋愛)弱者男性だ」と思ってる日本人の場合、9割方が単なる努力不足か理想が高すぎるかです。
逆に経済弱者を噛んでる場合、社会民主主義の観点に立つと、救済しなければならないと考えることもできるんではないでしょうか。

尤も、新自由主義の世界じゃ、性別だけで強弱なんて測れないですけどね。
例えば、川崎重工の社外取締役の1人にジェニファー・ロジャーズさんがいます。結構いろんな会社の社外取締役をされてる方なんで、日経225に投資してる人なら、知ってる人もいると思います。
ITベンチャーの世界は女性だって出世してますよ。まぁ体育会系の会社が多いので、そもそも人が続かないんですけどね!

尤も、私は「女性だから救済しなければならない」という考え方は無いんですよ。男女問わず、努力をしない人は切り捨てる。ただそれだけです。そこに関して新自由主義者としては矛盾は発生してないと考えてます。

「結婚したくない男の職業ランキング」で介護が上位に食い込むことから見てもわかる通り、弱者男性が存在すること自体は事実であり、それを切り捨てるのが正とするなら、新自由主義を批判する資格は無いと、イチ新自由主義者としては思うのですが、いかが思われますか?


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センチュリー・大橋
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