中心帰納の武術=フィードバックがすぐもらえる瞑想
中心帰納=ある種の瞑想技法
武術的な意味での中心帰納をすごくざっくり言うと、物理的危機に対して安易に反応せず、自身の内発的なものに耳を傾けるテクニックと言えると思います。
ここで「武術的な意味」と注釈をつけたのは、この自分の安定を乱す刺激と言うのは、何も物理的暴力だけでなく、
日常に潜む不安であったり、社会情勢であったりして、そういったことに人々は無意識的にもずーっと心が乱されているんですね。
心にさざ波が立つと言うやつです。
一般的な意味での瞑想法は、この心のさざ波に自覚的になり、不安の原因を客観視すると言う形になると思います。
よくあるテクニックとして、心が思考にとらわれた時、呼吸をしている自分を客観視して思考を鎮めると言うやつがあります。
どうでしょう?似てませんか?
つまり、どちらも脳の中をかける刺激に対処する訓練法なのです。
心法は視認できない崩れを催す
皆さんは武術的な意味での崩しと言うと、例えば身体の安定を崩すだとか、明らかに視認できるものを指すと思っているでしょうか?
しかし、成田伝合気道では、そのような目に見える崩れの前に、意識上あるいは無意識上の崩れが起きると考えています。
そして、この心の崩しと言うものは、物理的な挙動でやろうとするのはかなり難しいのです。
そもそも崩れとはなんでしょう?
崩れとはある種のズレであると思います。
目に見える崩れとは、基底面の真ん中から重心がずれていることを言います。
では心の乱れとは?
それは多岐にわたりますが、一例をあげると
何かしらかの目的意識と現状とのズレがあるでしょう。
このズレは現状が視認できるものであるなら、容易に修正できてしまいます。
であるので、本質的な心の崩しは物理的にやるのはかなり難しいのです。
何故なら見えるからです。
しかし、ここからはやや胡散臭く思うかもしれませんが、人間は案外、目の前の人間の意識状態に事前に反応しているもので、目の前の人間が実際に動き出す前から、準備をしているのです。
この性質を逆利用して崩しをかけるのを
「気と気の対応」と言います。
フィードバックがあることで妄想を防ぐ
でも、それって気のせいじゃないの?と思われるかもですが、そのために受けの人には割と強めに抵抗してもらうなどをやるのです。
初心者の方で成果が全くでない場合は受けの人が誘導してやることも必要ですが、検証の場合は、忖度をしてはいけません。
この検証ですぐにフィードバックがとれるのが中心帰納の武術の強みです。
ただ一人で座る瞑想より断然簡単だと思います。
ただ本格的に悟ろうとか思ったら、物理的フィードバックよりさらに繊細な感覚を追う必要があるだろうし、やはり禅寺に行くなど本格的にやらないと難しいのでしょうね