見出し画像

【産後3〜4ヶ月】認知的不協和

矛盾した気持ちが襲ってくる日々

娘の目と耳の診断がおりてから、いろんな気持ちが湧き出てきた。
このまま娘と一緒に死んでしまったほうがいいのではないか?とか、障害者というだけでかわいそうと思われるのではないか、そんなのまっぴらごめんだ、など。
こんなこと人には言えない。
薄暗い気持ちになることがたくさんあって苦しかった。

一方で。

娘はとてもかわいい。大好きだ。
この子の将来が楽しみだ。もちろん不安もたくさんあるけれど、盲ろう児の教育ってどんなのだろう?とか、実はワクワク感もあるほどである。

希望と絶望。娘と二人きりになると、ふとこの気持ちがぐちゃまぜになって襲ってきた。
いろんな方向の気持ちが一度に押し寄せるから、それが不協和音となって心が苦しい。

湧き出る気持ちを感じきる。それがきっと将来、自分の助けになるときがくる」。そう思ったことは前回のnoteで書いた通り。でも、ただ感じきるというだけでは、日々の生活を凌げそうになかった。心が耐えられない。

薄暗い気持ちが一気に解消することは当分、ないだろう。
だけど、自分なりの解釈や折り合いをつけることは、きっとできるはずだ
でも、一体どうすればいい?

産後3ヶ月。内田舞さんを検索する

私は内省したいとき、本や動画、音声コンテンツなどを読んだり聞いたりすることが多い。いろんな考え方や言葉に触れることで、自分の気持ちも整理しやすくなる気がするからだ。

生後3ヶ月の時期。
ふと、なぜか内田舞さんを思い出した。
日本人で、ハーバード大学准教授。ドクター。母親でもある。
数年前、テレ朝の「あいつ今何してる?」という番組に出演されているのを見た記憶があった。
自分とは違う世界のすごすぎる経歴に加え、「ドラえもんのしずかちゃんは能力もあるのに、リーダーシップを発揮する場面がない。しずかちゃんのようになりたくない」という思いから、渡米したという内田さんのエピソードが印象的で、覚えていた。

私はドラえもんを見てそんなことを思ったことがなかったが、よく考えたら本当に内田さんのいうとおりだと思った。
自分の高校時代の聡明な同級生の女の子たちが何人も頭に浮かんだ。
彼女たちはものすごく勉強ができるのはもちろんのこと、面白くて、思いやりもあって、コミュニケーションも素敵な人たちだった。私にはないものばかりを持っているように感じており、いつも尊敬していた。
実際に、偏差値の高いトップ層の大学にみな進学し、大手企業や国際的な仕事、医療や教育関係の仕事などに就いていった。
しかしよく思い返せば、たしかに彼女たちが目立って共学である学校でリーダーシップをとる場面はほぼ見た記憶がない。ちょっと前に炎上していた、いわゆる「わきまえる女の子」でいるしかなかったのかもしれない。

話がそれたが、そんなことをふと思い出し、YOU TUBEで内田舞さんを検索してみた。
直接的に障害に関する話はないだろうが、内田さんの話を通して、何か自分に今必要なキーワードが見つかるような気がした。

いろんな対談動画やインタビューの動画を見つけた。その一つが、内田也哉子さんとの対談動画。しかも今年にアップロードされたかなり最近のコンテンツ。①〜③まで全部見た。

内容は割愛するが、育児関連の話題。対談の中で、内田也哉子さんが「多角的にみることが大事」ということをおっしゃっていて、はっとした。
今自分に必要なキーワードはこれだ。この言葉を受け取りたかった

今私が置かれている状況、直面している現状は、きっと、もっと多角的に見ることができるはずだ。
気持ちは気持ちとして感じきりつつ、それを否定せず、どんなふうに解釈できるかを多角的に考えよう。

そう背中を押してもらった気になった。内田舞さんを検索してみてよかった。


産後3ヶ月、選択の科学を読む

また別の日、たまたまぼんやりと見ていたYOU TUBE動画で、この本が紹介されていてはっとする。

動画内で内容や著書についての言及はなかったのだが、思い出したのだ。
コロンビア大学ビジネススクールのシーナ・アイエンガー教授。
10年ほど前だっただろうか?おぼろげだが、NHKの白熱授業という番組を通して何度か見たことがあった。
内容が面白かったので、この番組を未だに覚えていた。しかもたしか、この先生は全盲だったような。
すぐにスマホで検索して確認する。
そうだ、全盲の教授であっている。
すぐに選択の科学をオンラインで購入した。

アイエンガー教授の体験もさることながら、彼女の「選択」に関する研究には、今の私に必要なヒントがたくさん詰まっていそうじゃないか?

認知的不協和

数日もたたず、本が家に届いた。
家の中では集中して読めないから、散歩がてら娘をベビーカーで連れて、近所のカフェで読み込んだ。数日かけて、付箋をはったりメモを書き込みながら読み進める。

この本で私が得たキーワード、それは「認知的不協和」だった。
本の中では、「自分の願望と実際にとった行動との間に不愉快な矛盾が生じている状態のこと」だと説明があった。

このワードを読んだとき、私は今この状態にあるのかもしれないと感じた。

元気なかわいい赤ちゃんを産みたいと願いながら、妊娠生活は完璧とは言えなかった。
目や耳の障害に影響していそうな行動を何度か取ってしまっているように思えるからだ。

私の妊娠生活における行動との娘の障害の因果関係など、証明しようもないことなのは分かっている。
だが、証明できないという状態こそが、因果関係があったかもしれないという可能性の扉をずっと閉められない原因でもある。それが苦しい。

アイエンガー教授は本の中で紹介したとある実験について、こう言っていた。

行動は過去のもので、もう変えることはできない。そのため不協和を避けるには、願望の方を変えるしかなかった

選択の科学 P.302 シーナ・アイエンガー

まさに。私の過去の妊娠生活を変えることはもうできない。
ならば、願望の方を変えるという方法があるのか、と思った。
私にとっては、一筋の光のような考え方だ。

この認知的不協和の状態にどう折り合いをつけるか。
完全に解消はしなくていい。揺らぎながら、苦しみながらも、今のところはこんな落としどころに収まりました、という程度の着地点を見つけられないだろうか…?

すぐにその着地点を見つけることなどできようもないが、この方向性の心持ちでいれば、なんとか日々をしのげるかもしれない。

そう思いながら、生後3~4カ月を過ごした。

いいなと思ったら応援しよう!