【何故、カフェを作ったの??】エピソード3
こんにちわ!
前振りなく、前回の続きから書いて行きます。
前回は音楽活動を辞め、地元の工場で就業するも早々と退職し、4ヶ月後には東京で生活をしているという所まで書かせて頂きました。
悶々と地元での工場勤務をしている時、ひょんな事から東京行きが決まりました。東京行きへの理由も含めお伝えしたいのですが今回は控えさせて頂きます。
東京行きの片道チケットを購入した後の私の全財産は1万円。
壊滅的な所持金なのは知っていたのですが、”行動したらどうにかなる精神”に突き動かされ迷わず東京行きを選択致しました。
東京行きの当日、東京でお世話になる方へ差し入れの焼酎を熊本空港で購入し預金残高は7千円。
そして、みすぼらしい服装からは似つかわしくない高級焼酎と小さいボストンバックを片手に持ち。複雑且つ現状を打破したいという気持ちを交差させながら空港の検査ゲートを通過しました。
飛行機から見る空は青くてよどみがない。
洋服は破れたジーンズと5年前から着古したジャケット。ボストンバックに入っている洋服は使い古された洋服ばかり。髪の毛は切る事も出来ず肩まで伸びきった状態。悲しくも全財産7千円。
そういう状況から私の東京生活が始まったのです。
東京について早々と始めた事。
それは仕事探し。
今ではインターネットを使って求人サイトへ登録して仕事を探します。求人サイトも数多くある上、求人サイトを利用して採用を行っている企業も沢山あるのですが、当時はそこまで求人サイトが活発ではありませんでした。
まだ紙媒体が強い時代です。
それと、今なら多少なりとも、どの仕事でも出来るという自信があるので仕事の選択肢が広がるのですが。
当時の私は敬語も世間話も出来ないような、ビジネスマンとしての対人折衝能力も無い、思考能力も無い、自分にも全く自身が持てていないマインドの持ち主。
今考えたら良くこんな状態で行動してたなと思えるほどでした。
仕事探しの情報がまったく無く、どうやって仕事を探すのか手段も不明なまま、コンビニに行っては求人誌をあさり。。。街に出ては求人を探し回る日々。。。
前述した通りの身なりをしていたので採用してくれる所もなく。。。ただただ日々が過ぎていきました。
そうした日々を送って行くと。。。
ここから先は
【連載_完結済】カフェ創業までの道のり
何故カフェを出店しようと考えたのか。 ちょっぴり恥ずかしいけど本当の事を書いています。 やっぱり、少し自分の都合の良いように書いちゃって…
いつもありがとうございます。皆様の支え合っての活動でございます。いただきましたエールはちゃんと仕事や文学活動の肥やしとしてしっかり使わせていただきます。ほんとうにありがとうございます。たくさんエールをいただけるともっと良いものを作ることができます。