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Pay forward. 清濁併せ呑むことで生まれるバランス

車が壊れました。

かなり久々の帰省で、いざ高速道路に乗ったらプスーッ、プスーッ、と変な音が鳴り出し、踏んでも踏んでもスピードが出ない。

それどころか、坂道に差し掛かるとそのスピードは落ちるばかりで、メーターはどんどん下がっていく。

やばいやばいやばいやばい…

正直、かなり焦りました。
不幸中の幸いで、事故にはならず無事に家に帰ってこれたことだけは救いだったけど。

夫は仕事だったため、私と子どもたち3人だけの帰省。長時間運転は好きだけど、小さい子ども2人を乗せて高速に乗りハンドルを預かることに対しては、やはりそれなりに緊張もするもので。

私にしては珍しく、果物好きな母のためにとみすず飴の限定品である三宝柑ゼリーまで買ったのに。

わが家はいわゆる生活困窮世帯で、色々な事情があり、ふつうに暮らしている人からすれば信じられないほどギリギリな暮らしをしている。

まぁそうは言ってもすべては自分たちで決めて選んだことなので(意識的にも無意識的にもね。)、悲劇のヒーローぶっているわけでもなくむしろその状況を楽しみつつ乗り越えてきている自負もある。

とはいえいつまでもその状況でいいかと聞かれれば答えはNoで、なんとかせねばと常に思いながら生きてきているのもまた事実。

車のことに話を戻すと(笑)、8年近く使ってきたエヌボックスは、軽なのに走行距離はあと少しで15万キロをこえるところだった。そりゃ壊れるわな。

車がなければ暮らせない地域に住んでいる人間にとって、車は生活必需品であることは言うまでもない。そろそろ買い換えねばとはずっと思っていたけれど、まさかこんなタイミングでこんなことになるとは…なんてこったぃ。

高速を降りてとりあえず駆け込んだガソスタに点検をお願いし、運良くすぐ近くにあったマックで検査結果を待つことに。子どもたちは初めてのマックで、ハッピーセットのおもちゃに夢中だ。センキューマック!

子どもたちの嬉しそうな声を聞きながら、リュックのなかに入れていた『ヤドカリハウス・ブックレット』をなにげなく開いた。友達でライターのくりもときょうこちゃんにたまたま先日もらったものだ。

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私より少し前にサラッと読んだ夫が「なかなかおもしろかったよ」と言うので、実家でゆっくり読もうと持ってきていたのだ。

ヤドカリハウスは、2020年に犀の角ゲストハウスを拠点としてオープンした、アート✖福利のシェルターで、社会のなかでなにかしらの理由で困窮している人を支援する場として始まった居場所だ。困窮歴が長い私(笑)にとっても、けして他人事ではない話である。

読みながら、なんだかジワジワと感じるものがあった。急に寒くなった冬の夜に、温かいスープを飲んでホッとするあの感じ、と言ったら伝わるかな。

福祉の現場というのは、どちらが“救う側”で、どちらが“救われる側”か、という話ではなくて、どちらもが救い救われる関係性にあって、清濁併せ呑むことでバランスが取れるものだ。

そしてまたアートや表現の場も、正しいのか正しくないのかよく分からないようなことに無限にエネルギーを注いで何かをカタチにしようとすることという意味で、福祉の現場との親和性は高い。(※一部インタビュー記事から引用)

私自身、ダンスの仕事を始める以前は教育機関や障がい者福祉の現場でずっと働いてきた経験があり、福祉や教育の場とアートや表現の場の親和性やボーダレス性はかなり感じてきた人間である。

主催のNPO法人場作りネットも、犀の角も、どちらも『のきしたおふるまい』やダンスの仕事を通して直接関わりのある団体であり、ここに出会えたことで私自身が救われたと言っても過言ではない場所だ。


ああ、私もPayforwarder(回せる人)でありたい。と、読みながら無性に思った。

私たちが生活に困っているのは事実だ。今こうしてこの文章を書いている間も、もう一方の頭ではどうやって車を買うためのお金を工面しようかと頭を悩ませている。いただける支援はもちろんありがたくいただきたいし、とにかくどうにかしてなんとかしなければいけないのだ。それも、待ったなしで。

しかしその一方で、わたしたちが一方的なTaker(救われる側)であるかと言えばそうではなくて、やはり同時にどこかでGiver(与える人)でもあると思っている。

Give&Takeという言葉は誰しもが聞いたことがあるだろうけれど、その言葉の文脈に沿って話すのであれば、「自分はGiverか?それともTakerか?」という、あたかもどちらか一方でなければならないような話になってしまうのだけど。

私はGiverでもTakerでもなく、Payforwarderでありたいのだ。

Pay Forward. 
与えてもらったら、その豊かさを、与えてくれた人ではなく他の誰かに回していくこと。そうやって温かなエネルギーが広がって、世界に回っていくこと。そうしてそれがまたいつかどこかで、新しいエネルギーになって返ってくること。

なにかを“してあげる”のではなくて、“してもらう”ばかりでもなくて。

それをするためには、私自身がちゃんと満たされてなければいけないな。「私なんかが…」とかじゃなくてさ。

このタイミングでこのブックレットが手元にあったこと。それ自体に、なんだか少し救われたのでした。

チープな揚げ物の香りがただよう店内はけしてイヤな感じではなく、ハッピーセットについてきたおもちゃも、温かい店内で待機できることも、すべてがありがたく思えた。まるでどこかで誰かが小人が「ガンバレ−♪」って言ってくれているような、そんな気持ち。

点検が終了したガソスタから連絡が入り、家までだったらなんとか帰れるだろうということ。

「くるま、こわれちゃったの?」「じーちゃんとばーちゃんトコ いけないの?」と、舌足らずな口調で聞いてくる子どもたちに、「車さんね、いっぱい走って疲れちゃったんだって。残念だけど、また行こうね。」と伝えて店を出た。

ガソスタまで数メートルの道を、子どもたちと手をつないで歩く。外は思ったより風があって寒い。

「オレはじーちゃんとばーちゃんトコいきたかった…」とつぶやく悲しそうな息子と、状況はよくわかっていないけど兄のマネっこをして「いっちゃんもー」と言いつつ、なんだか楽しそうな娘。(笑)

そんな言葉はあまり気にならず、「まぁなんとかなるさ」と、誰に言うでもなくつぶやいていた。さっきまでの心細かった気持ちは、少し小さくなっていた。

後はとりあえずこの小さい人たちを無事に家まで送り届けるだけだ。

ま、下道で帰ったら、峠で20㌔しか出なかったけどな!!(笑)雪道運転かと思うくらい抜かしてもらったけどな!とにもかくにも無事に帰れたよ。

ということで、上田市近郊にお住まいの方がいたら、『ヤドカリハウス・ブックレット』、ぜひお手に取って読んでみてくださいね。表紙のイラストもとっても素敵。

とりあえず、車買わなきゃ!w 


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