怒られることへの耐性なんて一生つかなくていい/コントロールしなくてもいい人間関係を築くために
【Book Talk】最近なぜか体育会系人間に見られることが多いのだけど、バリバリの文化系人間である。
体育会系人間と文科系人間の違いは、他者からの抑圧や強要に耐えられる人間かどうかってところが大きいのだと思う。その最たるものが先輩後輩や上司部下といった上下関係で。
日本の文化はこのグローバルな世界において未だ他人の抑圧に耐えられる人間の方が偉いという無言の風潮があるし、それに耐えられない人は無意識に下だと思い込んでいるフシがある。
その裏には、抑圧されずに育った人間はダメ人間になるという思い込みがあり、耐えられる人間は精神的に強いとか、耐えられない人間は弱いか、というジャッジが入っているのだと思うけれど。
他者からの抑圧に耐えられる人間は偉くて耐えられない人間は弱いなんて陳腐な一般論なんてドブに捨てちまえ、とわたしは昔から思っているし、そういう考えを他人に押し付けてくる人には普段から近づかないようにしている。…と、こういう風にキッパリ言い切るところが体育会系と言われるのかもしれないけれど。(笑)
これはけして、体育会の人を批判しているものではなくて。
「厳しい環境に身を置かなければ上がれない」という前提が日本の教育文化全体の根底にあるのだと思うのだけど。
そもそも“上がる”ってなに?
世間一般に認められることが“上がる”ってことなの?
私の中で目指したい高みはあるけれど、それは他人に強要されることじゃないし、強要していいことでもない。逆説的ではあるけれど、そんな他人軸的考えにしか頼れない方が、精神的に弱いのではないかとさえ思うのだ。
惑わされやすいこととしていつも違和感を感じるのが、「普通の人があまり言ってくれないことをハッキリ指摘くれる人ってありがたい」という風潮。それを自分のなかだけで思っているだけであればいいのだけれど、同じ考えを他者にも強要してくるとなると話は違ってくる。
いやいや、他人にお尻をたたかれないと前に進めないなら、きっと一生前には進めないよ。前に進むときは誰かに背中を押してもらうことを期待するんじゃなくて、自分自身のチカラで進むんだよ。と、私は思う。
その人にとって必要なことなら、いつか自分で気づくものだから。
そしてもしその人が気づかないとすれば、それはその人にとって必要のないことであって、他人がとやかく言うことじゃないのだ。
自分で気づいて、感じて、考えて、動いてみて、その結果を自分で引き受けるという過程そのものが最も大切で尊い経験なわけで。その貴重な経験を、アドバイスを求めてもいない他人が勝手に奪うなよ。と思うのである。
とやかく言いたい人というのはたいてい、そこに利害関係があると思い込んでいるのではないかと思う。相手が失敗したら自分の立場にも傷がつくとどこかで思っているのだろう。上下関係で言う直属の先輩や親がそれに当たる。
そういう人に対して私は思う。「失敗させてやれよ。」と。
「他人が失敗しても、あなたのせいにはならないよ。誰もあなたの顔にドロを塗る人なんていないから。それがたとえ自分の部下でも、生徒でも、子どもでも。だから、いい加減、そんなに怖がるのやめなよ。」と。
幸い今わたしの周りにいる人は年上でも年下でもみなラフでノーガードな人ばかりで、一緒にいて相手を緊張させたりマウントを取ったりする人はほぼまったくいない。
年長者には気を使わなきゃとか、相手に粗相のないようにとか考える必要がない人ばかりなのである。本当に人間力が高い人というのは、他人に上下関係を感じさせない人なのだ。
それはきっと、年上だろうと年下だろうと、人に対する尊厳は変わらないと心でわかっているからなのだと思う。そして興味深いことに、そういう人は関係性を人間の間だけに集約しておらず、モノや動物や空や虫など、周りのすべてに対しても同じ目線を向けている。
つまりこれは、私が私に対して言いたいことなのだ。「何をそんなに怖がっているの?」と。
ついつい子どもをコントロールしたくなる気持ちとか、「言ってあげなきゃいけない」という思い込みとか。それはただただ、自分の中の恐怖心から生まれるものであって。
世間や他人にとってのイエスマンになる必要性など、1ミリもないのだ。必要なのは、自分にとって何が必要で何が不要かを自分で判断して、自分の責任で進む勇気。
そんなことを教えくれてた本。
話の流れでたまたま友人から借りた本が、私の視界を変えた。
読んで何度も感銘を受けたし、同時にザラっとする気持ちにも襲われた。これが正しいとか、そういうことじゃなくて。
「こんな風にうまくいかないよ」とか「でもさぁ」と言いたくなる気持ちも含めて、ぜひ多くの人に味わってもらいたい。この話は育児に限らず、仕事や夫婦などの関係性にも通じるものがあると思っている。
「コントロールしてはいけない」ではなく、「しなくても大丈夫」なのだ。
育児においてもその他の人間関係においてもまだまだ達せれてはいないけれど、目指したい確かな光としてのお守りのような本です。
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