
[翻訳]キャサリン・マンスフィールド「郊外の寓話」(1919)
郊外の寓話
A Suburban Fairy Tale
(1919)
キャサリン・マンスフィールド
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B夫妻は、言うところの「ロンドン中心部のシティから馬車でほんの30分ほどにある、こぎれいで慎ましやかな家」の、赤い壁紙の施された居心地のよいダイニングルームで朝食の席についていた。
B夫妻は、言うところの「ロンドン中心部のシティから馬車でほんの30分ほどにある、こぎれいで慎ましやかな家」の、赤い壁紙の施された居心地のよいダイニングルームで朝食の席についていた。
B氏は大柄で若々しい人物ながら――運悪く――仕事を辞めて入隊するということが叶わなかったが、つまり、4年間²というもの、自分の仕事を引き継げる人間を探す努力をしたにも拘らず、うまくいかなかったのである。彼はテーブルの端の席に腰を下ろし、デイリー・メール紙に目を通していた。B夫人もまた若々しく、丸々として小柄な、ちょっと鳩を思わせる女性である。彼女は夫の正面の席に座り、コーヒー・セットの向こうで毛繕いするかのように身だしなみを整えている間も、その温かく注意深い眼差しを、2人の間の席にちょこんと座り、ナプキンを巻きつけ、半熟の卵の殻のてっぺんをこつこつと叩いているおちびさんのBに向けていた。
まったく! このおちびさんのBときたら、そんな両親が当然に思い描いたような子供ではまるでなかった。太っちょの小さなお馬さんでもなければ、お団子みたいでも、小さなソーセージみたいでもなかった。年並みよりも小柄で、両脚はマカロニのよう、指先はほっそりとしているし、とてもとても柔らかな髪はまるでハツカネズミの毛並みを思わせ、目はぱっちりと大きかった。それにどうしたわけか、身の回りのあらゆるものが、おちびさんのBの身の丈にはしっくりこない――あまりに巨大で、あまりに暴力的なのである。何もかもが彼を圧倒し、そのか弱さにつけ込むように力を奪い、息も継げないほどに追い込み、怯えさせた。B夫妻はこれを防いでやろうにもまるきり無力で、できることといえば、災難が過ぎ去った後でようやく彼を励まし――そして立ち直らせてやろうとすることくらいだった。B夫人は、虚弱な子だけが受けられる愛し方で彼を愛し――B氏の方は、小さいながらに逆境にも怖気付かない根性を思い浮かべて、この子もまたなんと素晴らしいおちび君だろうかと思う時、彼は――つまり、彼は――いや本当に――彼は……
「どうしてたまごは2つのしゅるいじゃないの?」と、おちびさんのBが言った。「どうして、子どもがたべる小さいのと、こんなのみたいな、おとなの人のたべる大きいのとがないのかな?」
「スコットランド産の野ウサギ肉だけどね」と、B氏は言った。「素晴らしいスコットランド産野ウサギ肉が5シリング3ペンスで出ているよ。1つ買ってみたらどうだろう、ねえ」
「それは目先も変わって、素敵でしょうね」と、B夫人。「煮込みにしてね」
テーブル越しに2人が視線を交わすと、その真ん中あたりに、グレービーソースのたっぷりとかけられたスコットランド産野ウサギ肉に、スタッフィングボール、そこにレッドカラントのゼリーソースの入った白いソースポットまで添えられているところがふわりと浮かんだ。
「週末用³に手に入れるというのもいい考えね」と、B夫人。「でも肉屋の人がちょっとした上等なサーロインを用意しておくと言っていたから、なんだか残念ね」……そう、とても残念、それでも……いやまったく、どうしたものかな、本当に決めかねる。野ウサギ肉だなんて素敵な気分転換になる――しかしそうは言っても、上等なサーロインを諦めるだけの価値が本当にあるだろうか?
「野ウサギ肉のスープなんてのもいいね」と、B氏はテーブルの上をリズムよく指で弾きながら言った。「この世で最高のスープだからね!」
「あ、あっ!」と、ふいにおちびさんのBが鋭い声を上げたものだから、2人を驚かせた――「見て、スズメがぜんぶしばふにおりてきたよ」。スプーンを振りなからそう言った。「ねえ、見て」と大きな声を上げた。「ほら!」 そんなふうに言っている間にも、窓は全部閉ざされているというのに、庭の方から鋭い鳴き声が響いて夫妻の耳に届いた。
「おりこうさんだから朝ごはんを食べてちょうだい」と、母親が言うと、父親が続けて、「卵を食べてしまうんだよ、ぼうや、よそ見をしないで」
「でも、これ見て――みんなとびはねているところを見てよ」と、おちびさんは声を上げた。「ちっともじっとしていないよ。ねえ、おなかがすいているのかな、おとうさん」
チークァ・チープ・チープ・チーク! スズメたちは大きなさえずり声を上げている。
「来週に延ばすというのが1番いいんじゃないかな」と、B氏は言った。「つまり、その頃でもまだ手に入るって方に賭けてみようじゃないか」
「そうね、それがいいかもしれない」と、B夫人。
B氏は新聞からまた別の素晴らしい話題を見つけ出した。
「統制品のデーツはもう買ったの?」
「昨日、なんとか2ポンドばかりね」と、B夫人。
「じゃあ、デーツ・プディングなんてのもいい考えじゃないかな」と、B氏。そして2人が視線を交わすと、その真ん中あたりに、クリームソースのかけられた焦茶色のプディングがふわりと浮かんだ。「いつもと違うというのはいいものね」と、B夫人。
外では凍てついた青白い芝の上をおかしなスズメたちがしきりに飛び跳ねたり、羽をばたつかせたりしていた。一時も静かにしていない。鳴き声を上げ、羽を不恰好にばたつかせている。おちびさんのBは、卵を食べ終えると、椅子から下り、窓のところで食べようとマーマレードを塗ったパンを手に取った。
「パンくずを少しやってみてもいい?」と、おちびさん。「まどをあけて、おとうさん、それからなにかなげてやってよ。おとうさんたら、ねえ!」
「まったく、いつまでもうるさくしていないで、ぼうや」と、B夫人が言うと、続けてB氏がこんなふうに言った――「窓なんか開けに行けやしないよ、きみ。頭を噛みちぎられてしまうからね」
「でも、みんな、おなかがすいているんだよ」と、おちびさんのBが大声で言い、スズメたちの小さなさえずりは小さなナイフの刃が研ぎ澄まされているときみたいに鳴り響いていた。チークァ・チープ・チープ・チーク! そう声を張り上げている。
おちびさんのBはマーマレード付きのパンを窓の前に置かれた磁器製の花瓶の中に落とした。それからもっとよく見ようと分厚いカーテンの向こうにそっと忍び込んだが、B夫妻の方はと言えば、食糧配給切符なしに何が手に入るか――5月過ぎには食糧配給手帳の配布がなくなっているから――を見定めようと新聞に目を落とし続けていた――たくさんのチーズ――たくさんの――あらゆるチーズが2人の間で天体みたいにぐるぐると宙を回った。
そのとき突然、おちびさんのBが凍てついた青白い芝の上にいるスズメたちを眺めていると、なお羽ばたきをし、甲高い鳴き声を上げ続けているスズメたちの姿がみるみる大きくなり、その形を変えていった。スズメたちは小さな少年へと姿を変え、茶色のコートを着て、身を躍らせ、外で飛び跳ねるようにして踊り、窓の外側で上へ下への動きを繰り返し、そして高い声でこんなふうに鳴いた、「なにかたべたい、なにかたべたい!」 おちびさんのBは両手でカーテンにしがみついていた。「おとうさん」と、小さな声で呼び掛けた、「おとうさん! あれはスズメじゃないよ。小さいおとこの子たちだよ、きいて、おとうさん!」 しかし、B氏もB夫人も聞く耳を持たない。もういちど呼び掛けてみた。「おかあさん」と、小声で。「この小さいおとこの子たちをみてよ。スズメじゃないんだよ、おかあさん!」 でもそんなバカげた話には誰も注意を向けなかった。
「どこも飢えの話で持ちきりだ」と、B氏は声を上げた、「どれもこれもでたらめ、どれもこれもごまかしだよ」
輝かんばかりの白い顔をして、両腕を大きなコートの中でばたばたと羽ばたかせながら、小さな子供たちは踊った。「なにかたべたい、なにかたべたい」
「おとうさん」と、おちびさんのBは呟いた。「きいてよ、おとうさん! おかあさん、きいて、おねがいだから!」
「本当にもう!」と、B夫人。「小鳥たちの鳴き声ときたら! こんな騒ぎったらないわね」
「靴を取ってくれないかな、ぼうや」と、B氏は言った。
チークァ・チープ・チープ・チーク! と、スズメたちの声。
おや、あの子はどこへ行ったろう? 「こっちへ来ておいしいココアを飲んでしまいなさいな、わたしの毛玉さん」と、B夫人。
B氏は厚手のテーブルクロスを持ち上げて囁き掛けた、「さあ、出てくるんだ、こいぬ君」と、しかし、そこに小さな犬の姿はなかった。
「カーテンの陰にでもいるんでしょう」と、B夫人は言った。
「部屋から出たりはしていないしね」と、B氏。
B夫人が窓の方へと向かうと、B氏も続いた。そして2人は外を見た。凍てついた青白い芝の上、か細い両腕を羽のように上下にばたつかせている白い白い顔をした小さな男の子、このおちびさんのBの姿は、ほかの皆の前で、ひときわ小さく、ひときわひ弱げだった。B夫妻は、「なにかたべたい、なにかたべたい」と訴えるあらゆる鳴き声の中におちびさんの声を聞いた。
どうにか、どうにかして2人は窓を開けた。「食べさせてあげるよ! みんな1人残らず。今すぐ、こっちにおいで。ぼうや! おちび君!」
でも後の祭りだった。少年たちは再びスズメに姿を変え、そして遠く飛び去って行った――もう見えないところまで――もう声も届かないところまで。
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訳注
¹ 食糧配給制度
rationing business
第一次世界大戦中の1918年1月に一部品目から(場当たり的に)開始された食糧配給制度は品目を拡大して戦後まで続き、肉は1919年に、制度自体は最終的に1920年に終了した。
² 4年間
for four years
第一次世界大戦期(1914年7月〜1918年11月)の4年間のこと。
³ 週末用
for the week-end
サンデーロースト(Sunday Roast)のこと。イギリスには日曜(教会帰り)の昼過ぎに家族(や知人)で集まり、ロースト料理を食べる習慣がある。ローストした肉(牛、羊のほか、鶏、豚、時にジビエも)にグレービーソース、ヨークシャー・プディング、ジャガイモなどの野菜を添えた一皿が定番。しかし、日曜日にローストした肉料理を食べるという伝統はヨーロッパに共通したものであり、ドイツでは「Sonntagsbraten」(サンデーロースト。「Sonntags」は毎日曜日、「Braten」はローストの意味)として、かつては野ウサギ(Hase。飼育用にもされる小型のKaninchenとは異なる大型のウサギ)がよく食べられた。
訳者補遺
本作執筆時期を少し遡る第一次世界大戦期、イギリスによる海上封鎖(ドイツ封鎖。1914年〜19年)のためにドイツは飢餓に陥り(カブラの冬。1916年〜17年)、これを遠因として1918年11月11日の敗戦を迎えたが、戦後も食糧事情の回復は遅れており(本作執筆時期はここに当たる。ドイツ封鎖は19年7月まで継続)、この一連の流れが後のヒトラー台頭の契機ともなった。
底本
底本:Project Gutenberg Australia所収『Something Childish and Other Stories』(1924)所載「A Suburban Fairy Tale」
著者:Katherine Mansfield