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#234 べきねばたい

本日は9時起床。振出しに戻った感がある。堕落の再生。
中途覚醒はなし。
寝汗等もなかった。
ただでさえ起床時間が遅いのに、起き掛けのダラダラスマホで時間を融かす。何やってんだか。やれやれだぜ。
年甲斐もなくこの繰り返しをしてしまう意志の弱さ。私は中学生くらいの生活をただただ再生産している役立たずなバグったロボだ。
長期的な楽よりも目先の快を優先してしまう。アニマルスピリッツ。
ケダモノとマシーンの中間に行けないものか。それが人らしさなのでは。

私は「べき・ねば」を動機として生きて来たような気がする。なので、未だにその感覚が抜けない。反射的にそうなってしまう。
また、「やりたい」という能動的な欲がかなり弱い。元来大した欲がないのもあるだろうが、欲の発揮の仕方を忘れてしまったのだと思う。また、欲を成就させるためには具体的な行動・実践が必要になる。そのプロセスを億劫がってしまうあまりに、さっさと欲を引っ込める癖をつけてきてしまったのではないか、と思っている。
無能で非力だからこそ億劫だと感じてしまうところもあるだろう。
私はとにかく決断や行動が遅い。(ちなみに昔は居残り常習犯だった。)
それで、遅いから嫌になる。ならば速く終わらせればいい。だが、私は頭の回転が遅いから、早くやろうとするとそのプロセス自体が大変つまらなくなるし、雑になる。雑だから質の低い結果となり、それに満足できなくて落ち込む。そして疲労の度合いも強い。こころもからだも弱ってしまう。これでは長続きさせることは困難だ。
うーむ、八方塞がりだな。
頭の回転は恐らく生得のものだろうから、そこを伸ばすのはあまり期待できない。ならば億劫に感じないような環境づくりや、上手くいかずとも続けられるようにメンタル面を工夫するのがいいのかもしれない。
未だに自己の扱い方がわからない。これって経験不足も相当あるだろうな。
私は大人でいて、小学生のような経験値なのだろう。無駄に歳だけ重ねてしまったなぁ。
やらなければ始まらない。ヌルいんだよ、お前の生き方は。

そういえば昨日書き忘れてしまったのだが、先のBandcamp Fridayを大いに満喫した。
再び好きなところに金を落としてきた。金を使う喜びを噛みしめる。本当は金を使うことというのは、楽しいのだ。苦しゅうない。
どうせなら「うれしい!たのしい!大好き!」な消費を。
作り手の顔が見えないからつまらなくなるのだと個人的には感じている。
これも文脈から切り離される弊害ですな。
ただ孤島のように個々人が点在している感じというか。
とどのつまりはオフラインだし、その人に向けられた信用だと思う。まぁ、当たり前のことか。

今日も少しだけ掃除と整理を行った。
やはり本とCDが難関。
そして保管する場所の問題もある。
直射日光があたる場所にはそれらを置きたくない。のが人情ですわな。
が、私の部屋の構造がアレな感じで、備え付けの本棚にビシバシ日が射してくるんすよね。だから本棚なのに本を置く気がしないという本末転倒感。誰だよ設計した奴。
本も嫌だが、CDに直射日光は言語道断だし。箱に入れてしまえば肥やしになること必至だし。特に本はすぐに取り出せることが大事。
それでまぁ、こんな感じで、頼りないオツムによって色々と試行錯誤しているわけですわ。
それから、一度部屋のスペースを占領してしまうと、ものを移動させるのがとても大変だからそれだけで大仕事になってしまうことを痛感する。何事もため込むのはよくない。うん、実に小3レベルの学び。冗談抜きで人生やりなおしだな。
いや、ホント何やってんだか。


今回はこれにて終了。
チャオ。


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