見出し画像

#185 器用貧乏

本日は8時45分起床。流石にこれでは遅すぎるだろう。
二度寝してしまったのがまずかったか。一度目の覚醒時に時刻の確認はしなかったものの、その時点で起きていれば7時くらいだったのではないかと思う。
やってもうたな。
中途覚醒は無し。多分。
そして、昨晩は就寝時間が遅かったのがまずい。やはり早寝は難しい。
相変わらずの、夜型+ロングスリーパー疑惑な。

アイディアとかやる気は何故か夜にやってくることが多い。それこそ歯磨きしている時などに。DMNというやつか?

昨日はレコードの清掃をした。
レコードクリーナーを盤に垂らし、コットンパフで拭いた。
(専用クロスではなく、コットンパフで事足りるのかは良く解らない。もし間違っていたら、どなたかご指摘願いたい)
さて、その結果だが、音飛びは無くなった。目立つノイズもほぼ皆無といってよい。パチパチというノイズが残った盤もあったが、盤面を見ると傷らしきものがあったので、恐らくそれに起因するのだと思う。
とにかく寺尾聡「Reflections」を快適に聴けるようになって満足。
この調子で家に放置されていたレコードたちをコツコツと磨いていこうと思う。

うー。
自分にできることなどたかがしれているのだな。
という現実を突きつけられている。
他者に頼らないといかんなぁ。だが、私は人に頼む、委ねるということがド下手糞である。アワアワして夜も眠れなくなる。やれやれだぜ。
それから、(当然だが)自分のスキルも高められると良い。
とにかく発想がもっと広がってほしいし、それをある程度形にする技術が欲しい。デモを拵えることぐらい自分でやりたいもの。

私は経験が無さすぎる。
要するに無知なのだ。
だから極めて狭い見識の中でしか思考できない。
それが硬直した思考(自動思考を含む)を生んでいるような気がしてならない。
うーむ。認知行動療法で学んだ発想も活かしきれてないな。
精進せねば。

金が無ければ全部自分でやらねばならない。
金が無いと言うのはスキルのない自分にはいいのかもしれない。負荷は成長に不可欠だものね。
器用貧乏というが、「大成することがいい」という価値観に基づけばその通りなのだろうが、大成よりも「主観的幸福の充実」を優先するならば、器用の方が良いと思う。
というか、色々できるからこそ本業も充実するものだ、と私は思うのだが。
これ一本、これしかできない、というのはそもそも危うい。保険はかけないとダメだろう。
ここでもまた選択と集中かよ。アホらし。いい加減そこから脱却せねば(個人も会社も、そして国家もな!)。
器用な人が増えると組織とか国家とか、そういうものが機能しなくなる(=統制/管理できなくなる)ことで支配者が困るから「器用貧乏」などという言葉が用いられているのではないか、などという考えは飛躍し過ぎだろうか。
だって、器用な人は他者に依存せずに済むのだから。小国家でもつくって好きに生きたらいいわけで。
つおい。
色々できるから、楽しみもある。エンタメが無くなっても楽しむ術を既に知っている。
自分で複数のことを出来るってすごい。やはりメリットの方が多いだろう。
他者への依存を最小限に留めることが平等な人間関係に繋がる。
などと、希望を並べてみたものの、器用な人の多くはいちプロレタリアとしてブルジョアに奉仕する、というのが現実なのだろうけれども。

カネこそが人々の思考を停止させている。
器用さを台無しにするのがカネ。
金を自家薬籠中の物としている人物がどれだけいるだろうか。
結局カネに換算してしまったら台無しなのよ。貧しい。

家にあったレコードの一つにシューベルトのピアノソナタがあったから、それを流しながら本稿を書いている。
久しぶりに耳にするなぁ、こういう感じの音楽。
私にとってシューベルトといえば弦楽四重奏曲第14番(通称:死と乙女)なのだが(というかそれしか知らない)、もうずっと聞いていないから冒頭部しか思い出せない。私は忘却の達人だ。

今回はここでお開き。
それではまた。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?