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#16 私は生きるということを知らない

私は生きるということを知らない。
恐らく、それは私に限った話ではない。現代人の多くもまた、生きるということを知らない。
水と食料、家に衣服。
それらがどこから来ているのか、よくわからない。
自分の仕事のことすらわからないのではないか。
どのように社会が回っているのか。
その前に、社会とは、一体なんだ?

それは分業の成れの果てか。
ある者にとっては夢の成就か。
私はマルクスを思い出す。彼のいう疎外ということばを。

人は自給自足しなくなったから強い不安に付きまとわれるようになったのではないか。
生き抜く能力・技術がないから搾取されるのではないか。
雇われることでなんとか賃金を得る、という発想にあまりにも従順ではないか。テンプレ化。
カネ(money)がないと生きていけないなんて、何だか心許ない。
まるで、本当にカネそのものに価値が宿っているような気がしてくる。不思議。

自分にこの世を生き抜く技術があれば、戦争だろうが、パンデミックだろうが、円安だろうが、いちいち振り回されずに済む。
つまり、怒りと不安が無くなる。
それらが無くなると、楽しむ余裕が出てくる。
穏やかになれる。
余剰が出れば誰かにくれてやればいい。必要な者へと。
経済的、とはこういうことなのではないか。
経済とは資源の最適配分なのだと、誰かが言っていたから、私の感じていることはあながち間違っていないのかもしれない。

生きるとはなんなのか。
知識だけでは足りない。
しかも、私ときたら頭が回らないものだから、知識すら無い。デクノボー。
天然資源を調達して、それを使う。加工して、便利の領域を拡大する。そうして生命維持し、死を遠ざける。運動の反復と変容。そして、時に遊び、土に還る。
生きるとは、多分こういうことだ。
営みとしてはシンプルなのだが、言うは易し、である。
自分の無力さが骨身に沁みる。


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