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#133 夜の型を測って道を見通す

本日は7時30分と遅めの起床。
昨晩は早寝に失敗した。何故か夜にテンションが上がってしまう。
昨晩は気分が楽しくなってきてしまって、スマホであれやこれやと検索することで時間をあっという間に経過させてしまった。
就寝前のスマホやPCは控えたい。一般論こそが大事なのだ、、、、、
頭ではわかっているのだが、それがなかなか難しい。明かりを落としてゆっくりアンビエントでも漂わせて就寝に備えたいところだ。
今朝の寝覚めは悪し。だが、小学生の頃に睡眠時の夢を見るようになってからというものの、寝覚めが良いことは稀である。
だから寝覚めが良い時の方が特殊なのだ、と思ったほうが良いのかもしれない。
都合のいい「本当の私」などいない。
夜に頭が冴えてしまうことで寝坊する、寝覚めの悪い今の私こそが正真正銘の本物である。
自分探しに振り回されないこと。間違ってもなんとなくインドに行ってはならぬ。

測ることは大事だと痛感している。
測ることとは把握すること。
曖昧な物事を明確にすること。
すると見通しがつく。
その結果、なんだかゴールまで走れそうな気がしてくる。
そのひと手間。それが大きな一歩だったりする。
見通しが無いと人は無気力になるのではないか。
そういう意味では、公助が充実しない国の民は無気力になりそうな気がする。
そして無気力な連中が家庭や子供を拵えるとは思えない。
はい、少子化の原因解明っと。一丁上がり。これぞ自家製社会学。
何らかの安定した基盤が見通しとなる。
社会が忙しなくぐらついていると、人は見通しが立たずに右往左往する。

今私がやっていることは、小~中学レベルのことだと感じる。
しかし、そこで躓いてしまったのならばそこまで戻らねばならない。
大人のプライドは一旦置いて、再入門する。
事実、私は数年前に中学レベルの公民の参考書を買って自学したことがある。その後に高校レベルの政経の参考書で学んだ。
学生向けの教材は中々解り易くてよいと思う。
それはとても良い経験だったと感じている。
地道こそが王道である。

嗚呼、最近音楽を聴いたり作ったりすることをサボり過ぎている。
こうして文を書いている方が私にとってはずっと楽なようだ。
音楽は結構決まり事も多いし、後天的に会得した第2言語みたいなものだから、少し億劫に感じてしまうのだろう。
私にとって言葉は、自分の裡にあるものをアウトプットするのに一番容易な方法なのだと思う。
それから、音楽においては強く自己批判しがちである。文の方がその点は大分マシなので、そういったところも身軽さに繋がっているのかもしれない。
自己批判や自己否定の念とどう付き合っていくか。

ここ数日ピアノにも触れていない。
折角だからドビュッシーの前奏曲集1の「デルフィの舞姫たち」は感性に叩き込んでおきたいと思ってはいるのだが。
ドビュッシーの音楽的発想はだいぶ解ってきた。
しかし問題はその感性というか、雰囲気というか、そちらだろう。
他者の書法は直接的に私を救ってはくれない。その動機・欲を異にするのだから当然のことだ。自分の動機は自らの手に拠って発見せねばならない。
そこから書法とそれによる推進力とが生みだされる。
・・・などといってみるものの、まずは好きな音楽たちへの理解をもっと深めたい。

さて、もう書くことも無いようだから筆を置こう。
今回はこれにて終了。アディオス。


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