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物事を"内面化"してしまうことの怖さ

こんにちは。音楽と勉強好きのまだまだはじけたい23歳です。

最近卒論に絶賛追われており、なかなか人と会う機会がないということで、「ならば本の作者と対話しよう」ということで読書にハマってます。
著者の歩んできた人生を想像しながら、著者と自分の違いを比較によって分析しています。

昔は大の本嫌い人間で国語なんて言語道断、音読の授業とか何のためにやっているのかわからず無駄な時間だと感じていました。20歳になった頃ようやく、「実際に会話せずとも色んな人の人生が垣間見える!!」と思い本が好きになりました。あとは、SNSを見るのに比べて時間を無駄にしている感覚がないことも好きな理由のうちの1つです。

それはさておき、就活を通して自己分析とか他己分析で、自分をよく知っている気になっていたのですが、色んな本を読んでいるとまだまだ"知らない自分"、ジョハリの窓でいう"自分も他人も知らない窓"があることに気がつきました。人間って本当に面白い。自分はこういう人間であると決めつけていたことからかけ離れてはいなくとも違った自分が出てくると、どんどん複雑化していってまとまりがつかなくなる。MBTIとかでこのタイプはこうだというのがありますが、確実にその文言だけでは表しようのない特徴をみんな持っている。これから自分の強みを先鋭化していこうと思っているのですが、「じゃあ自分の強みとはなんぞや?」ってことで、○○力とかカテゴリー分けはできるのですが色々出てきて、どれが他人と比較した際の自分の一番の強みなのかわからない。迷走中です。

そんな中、昨日久しぶりに中学時代から仲の良い友人2人に会いました。
「本だけじゃなく人と会うことも自分を知る上で大事だな」と改めて気づかされました。それと同時に1つ気づいたのが、私は"何でもかんでも内面化”し過ぎてしまう癖があることです。

何か自分が嫌なこと、批判されたり、直すべきところを指摘されたり、そういうのってみんな基本的に聞いていて気持ちよくはないじゃないですか。そういうときに、ほとんどの人が自分が少し振り返って当てはまっていれば少し受け入れて全くそう思わなければ反論する程度なのかなと思うのですが、どうなんでしょうか。(笑)

私の場合は、それがどんなことであろうと、全てを"内面化"してしまうのです。どういうことかというと、私に対する全ての批判や指摘を真に受けて「私が直すべきなんだ」と思ってしまうということです。つまり、誰もが持っているはずの"盾"が私にはなく、防御力ゼロの状態で生きているのです。
他にもこういう特性のある方がいたらお話をしたい。共有をして、共感して、一緒に防御力を高めていきたい。

何でもかんでも内面化することにおけるメリットとデメリット。
メリット:常に自分に改善の余地があると思えることで、成長の幅を感じられ、それをモチベーションに日々奮闘しながら刺激的な人生を歩める。
デメリット:ただただ苦しい。

私が人生において大切にしていることは、「成長」「野望」「影響」です。かなり解像度が低いままですがこのまま続けます。良くも悪くも自分大好きマンで、自分が成長するためなら何でも厭わずやります。だから、内面化することで、自分を疑い、改善点をまとめ、こうしたらもっと人間として成長できるのではということを考えます。でも、どっと疲れます。しかも、苦しいんです。ほとんど全ての物事において誰が悪いとか誰が間違っているというのははっきり言えなくて、色々な背景があってそれがそういう結果を導いてしまった。それだけだと思っています。だから、私が何を人から言われたとしても、それは「もしかしたら自分を顧みることが必要なのかもしれない」と思うことによって自分の成長を促すことしか施しようがないと思ってしまうのです。

この感覚をこのまま秘め続けていたら、後々自分のメンタルもやられて鬱みたいになりそうですし、会社で何か問われたとしても「私はやるべきことをやった」ではなく「私がいけなかった」と思い、言ってしまいそうです。怖い。生きるの、向いていないかもしれません。(笑)

私はこのような自分の性質を、少しでも自分を守れるように変えていくべく、日々励んでいこうと思いますが、まずやり方がわかりません。
「あなたは悪くない」そう言い続けたら、そういう癖がつきそうじゃないですか。どうすれば良いんでしょうか。考えすぎ?考えすぎって言われることくらい慣れっこですが、そこを指摘するのではなくて、解決策を提示してもらいたいのです。(笑)

どなたか、「こういう感覚が以前あった」、「今あるけれど○○するとよくなる」このような経験がある方、何でもいいのでご教示ください。笑

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