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私がパイを投げられたなら

元旦の西武百貨店の新聞広告をテーマに書きました。内容的に掲載が見送られてしまったのでこちらに本文掲載します。

こういったジェンダー的なテーマには少しずつトライできたら、と思っています。無意識に“女”という枠で自分の可能性を狭めてしまっているのだとしたら、一刻も早くそれを開放していきたい。


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2019年、元旦の新聞全面広告での百貨店の広告が炎上した。
女性が真っ白なクリームパイを顔面に被っている姿はなかなか衝撃的で、正直気分のいいものではなかった。

しかし夫に聞くと、パイを投げられた女性を見て不愉快になるのは女性なわけで、男性がパイを投げられた姿を男性である夫が見ても、なんとも思わないとのこと。

それはつまり、まだ女性が社会で虐げられているということの証なのではないか、このビジュアルは私たち日本人の踏み絵のようなものなのではないか、ということだった。

日本で女性として生きている人なら誰しも、「女だから」という理由で生きやすいこともあるだろうし、生きづらいこともある。それは男性も同じだ。ただ、女性は結婚、出産による環境の変化が男性よりも仕事や家庭に影響しやすいこともあり、「女性だから」ということがネガに働きがちで、“損だ”と思う場面が多いこともまた事実なのだと思う。

「おい、そこの女、ゴミ捨てとけ!」

私は最初、その言葉が自分に向かって発せられているということがわからず、すぐに日本語を理解することができなかった。数秒経って意味を理解してから、しかたなしにゴミを捨てたのだけれど、あまりの衝撃にその日は眠れなかった。

え、うそでしょ?と思った。私、昭和初期くらいにタイムトリップしちゃってる?

「女性だから」という理由でその人を名前で呼ばず、何のリスペクトもなく「女」という総称で呼ぶ。
当時の勤務先ではいいポジションにいたおじさまからの言葉は、もはや暴力だった。

20代半ばだった私にはこの出来事があまりにも衝撃で、私は即日その会社を辞めた。

「ここにいてはいけない」

誰かにそう言われた気がしたから。
この信じられない現実を全部リセットして、もっと輝ける場所で仕事をしたかったから。

パイを投げられたらどうする?

これは、世界「男女平等ランキング 2018」でジェンダー・ギャップ指数が110位と先進国では最下位レベルの日本の女性にとって、これから先も、永遠のテーマとなっていくだろう。

「これなんか、おかしくない?」と思いながらも、ほとんどの人が笑顔を崩さないようにして、まるでなにもなかったかのように振る舞い、人がいない所でパイのクリームがべとつく気持ち悪さに怒ったり泣いたりしているかもしれない。

2018年に話題になった、#metoo での女性たちの勇気ある発言には本当に敬意を示したいと思うし、弱い立場としての女性を食い物のように扱っている男性は糾弾されてしかるべきだが、立場的、精神的、経済的にそれができる人とできない人との間の境界線ははっきりと分けられていると思う。

一般企業で普通に働いている女性が、「自分は不当に扱われているから環境を変えて欲しい」なんて、よほどのことがない限り言うことはできないだろう。

だって、仕事を失ってしまったら、生きていけないから。

私が20年近い社会人生活の中でやっと生み出したパイに対する対処法は、
「パイのことは気にしない」ということ。

パイを投げた人を批判しても、つまり直接対決しようとしても、うまくいかない可能性が高く、逆に自分が職場などの環境に居づらくなってしまう可能性が高い。それらに奪われれるエネルギーと時間があまりにももったいなすぎるのだ。

人生100年時代と言うが、時間が経つのは驚くほど早く、また女性が全力で仕事に時間とエネルギーを使える期間は男性よりも限られていることの方が多い。

それなら、その大切な時間とエネルギーと情熱を、自分にとって必要なもののためだけに使いたい。
女性にとって、本当の敵は、パイを投げた人ではない。パイを投げられたことで失うものすべてなのだ。

「不公平だ」と思いすぎると、その問題に自分が食われ、肝心なものを見失ってしまう。

パイを投げられても、気にしない。あまりにパイのダメージが大きすぎるようであれば、逃げたっていい。今、自分が一番エネルギーを費やすべきことに照準を合わせて進んでいく。それが結果的にいい環境、いい仕事、より良い人生に繋がり、女性だからではない、人としての評価、人としての幸せにつながっていくと信じたい。

以前、男女格差がある会社で、私は例によって見ないふりをしていたのだが、とにかく仕事だけは誠実にやろうと思い、ベストの結果を出すべく必死にやっていた。そうしたら自然と、男性も女性も関係なく手を差し伸べてくれる人が現れ、周りの人との関わり方も変わっていった。自分の姿勢次第で、環境は変わる。もちろん、自分だけの力ではどうしようもない状況が多々あることも知っている。

ただ、自分があまりに性差にこだわりすぎていると、大切なものを見失う。見ないふりは、傍観ではない。大切なことを忘れない、ということ。女性としての生き方に尊厳を持ちながら、自分だけはフェアな目線で仕事と、家族と、向き合っていく、ということ。

パイを投げられたらどうする?

投げ返すのだ。それがパイだと気づかれないように、自分にできる限りの強い力で。




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