Cedar_child

東京在住、東北育ちの40sWEBディレクターです。夫と娘の3人家族。 ソマリ(猫)を飼っています。

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マガジン

  • ロスジェネのことば

    「失われた世代」が今どう生きているか、これから先何が必要か。少しでも伝えることができたら嬉しいです。

  • すべてはネタになる。

    よそ者とか、挙動不審とか、HSPとかで、プチ差別がずっと近くにある中で生きてきました。とはいえ、ありがたいことに普段は結構幸せに生きていると思います。タイトルは、たまに攻撃してくる輩をスルーするために自分に言い聞かせている言葉です。

  • 今日の離乳食

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ロスジェネで転職10回超えでも運とご縁で東京23区に家を買った女の話

#創作大賞2023 #エッセイ部門 2001年:ロスジェネが新卒だったあの頃ちょうど就職氷河期の頃に大学を卒業したが、そもそも自分が就職氷河期の道中にいることにすら気づいていない、あまりに世間知らずな地方大学の学生だった若かりし頃のわたし。 「仕事、決まんねーなー。どーすっかなー」 くらいなテンションで生きていた。 出版社志望でいくつか東京の出版社を受けたものの全落ちし、大学がある宮崎の地鶏屋のバイトで稼いだ交通費も尽きてしまったのでとりあえず4月に上京して就職活動を

    • お客様は神様じゃないけれど

      先日、観光地的なスポットに行き、有名な小籠包のお店に入った時のこと。 テーブルは常に満員状態でどんどん回転していく中、メインの料理を完全に忘れられ、1時間程度待たされたにもかかわらず、特にきちんとした謝罪もなく、やっと出てきた麺も味がせず、本当に久しぶりにクレーマーになりそうになりました笑 それはもう良いのだけれど、その時、昔、今はない赤坂のベトナム料理屋さんでバイトしていた頃、あまりにできそこないの私が毎日のようにする失態を、“神対応”でこなし、トラブルを回避してくれた

      • 5/15(日)の日記:d47食堂@渋谷ヒカリエにて

        上京したばかりの頃、真っ先に向かった場所がある。 奥沢のd &departmentだ。ナガオカケンメイという人が作ったその場所は、学生時代に得た数少ない知識の中で、超絶おしゃれ(言い方笑)なスポットで、私の中では聖地のように感じていた。 カリモク60という破産寸前だった家具のデザインの素晴らしさに目をつけ、見事に返り咲かせた(事実は違うかもしれないのだけれど、そう思っていた)というストーリーなども相まって、民藝や、大嫌いだった田舎の郷土料理の素晴らしさに気づかせてくれたのは

        • 4/10(日)の日記:新宿中央公園にて

          なんだか久しぶりの投稿になってしまった。相変わらず続けられない人間だからetc.etc.・・・とぐちぐち思うのは一旦やめて、楽しかった日曜日の日記を書くことにする。 日曜は夫が仕事のことが多く、10日は体調やら締め切りやら大変そうだったので、娘と出かけることにした。 春を通り越して夏のような気候で(最高温度25度くらい)、前に友人たちといった新宿御苑の気持ちよさを思い出し、都営新宿の新宿三丁目駅で降りて伊勢丹地下のアンデルセンでサンドイッチとうさぎのクリームパンとダークチ

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        記事

          昨日のホラーみたいな出来事

          美容院を12:30に予約していたので、1時間前くらいに余裕を持って家を出た。5分ほど歩いてから、最寄駅の改札に向かうため、エスカレーターに乗る。 私の前には、グレーのパーカーっぽいアウターと、明るいブルーのジーンズ、ブランドものの白い春っぽいスニーカーを履いた女性が立っていた。顔は見ていないけど、おそらく20代半ばか後半くらい。髪はロングで、茶色に染めていた。 なぜそんなに鮮明に彼女のファッションを覚えていたかわからない。その後ろ姿を見ながら、春が来たんだなぁと思って映像

          昨日のホラーみたいな出来事

          あの人に会える場所

          そこは都心のど真ん中にありながら、ちょっと昭和レトロな建物の小さな個人病院。いつ行っても先生を頼って集う老若男女で溢れている。 私は小さい頃からアトピーがあり、ずーっと皮膚科難民だった。重度ではないものの、一度悪化すると薬がないと回復できず、全身のかゆみが辛いので、常に薬は常備していないと不安だった。 “リンデロン”という薬を処方され、ずっと塗っていたら、それはかなり強いステロイドで、塗りすぎると皮膚に負担がかかるということを知ったのはずいぶん後のことだったし、1990年

          あの人に会える場所

          いーはとーぼに憧れて

          インスタで流れてきた“&プレミアム”の新刊『喫茶店、100のこと。』をやっと購入した。モトーラかわいい。 あまりに有名すぎるお店だけど、昔行った下北の「いーはとーぼ」が載っていて嬉しかった。 あの頃は西新宿で暮らしていて、夫はフリーランスで日々忙しくしていたので、相変わらず土日はひとり時間を満喫していた頃だったと思う。 その日はひとりで下北をぶらぶらしていて、ジャズ喫茶に行ってみよ〜!みたいなノリで古いビルの2Fにあるそのお店に入った。 私:「ひとりなんですけど〜」

          いーはとーぼに憧れて

          2度と帰らないと決めた土地

          私はその場所で、万年転校生のような立ち位置だった。 母が関東の人間で、父がそれに気を使ってか家庭では標準語で話していたため、 学校でみんなが当たり前に話すその方言を、私は話すことができなかった。 まるで私の周りだけ透明な箱で囲まれているように、静かに無視されていた。 18年暮らしたその土地で、私は常に余所者だったのだ。 演劇部で知り合った友人が、私をなんとか高校に通わせてくれた。 不登校になどなっている暇はない。 とにかく早く高校を卒業して、早くここを出よう。 冬は登

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          大人たるもの洋服ブラシを買うぞ!と江戸屋のHPを見たら

          スタイリストの犬走比佐乃さんがおすすめの洋服ブラシを紹介しているページを読んだ。なんとコートをクリーニングに出すのは、ツヤを消してしまうのでNGなのだとか。毎日洋服ブラシで埃や毛玉を取ることが、美しさを長続きさせる大切なケアなのだという。 そんなこと知らなかったよ……。ドライクリーニングとエマールがおしゃれ着洗濯の正だと思ってた……! 今持っているガウンコートは、Domaniの雑誌広告を見て一目惚れして買った、大好きなRIM.ARKのアイテム。 質の良い洋服ブラシを買っ

          大人たるもの洋服ブラシを買うぞ!と江戸屋のHPを見たら

          三軒茶屋の舞台とポークジンジャーとビール小説のこと。

          今日は友人の脚本家の舞台を観に行く予定だった。 社会派な彼女の舞台は、震災とか原発とか、普段は目を背けたくなるような重いテーマのものが多い。 今回の舞台のテーマは、60年代の安保闘争だった。 難しいことはわからないが、いざ舞台を見ると、「これは私たち庶民の物語なんだ」と思わせてくれるような親しみを感じさせ、セリフがすんなりと体の中に入ってくる。そして気が付くと涙が流れている。そんな彼女の舞台が好きで、時間の許す限り足を運ぶようにしていた。 いつもは旦那に娘を任せてひと

          三軒茶屋の舞台とポークジンジャーとビール小説のこと。

          おブスだった私の人生を間違いなく180℃変えたファッションについて

          ダサい女だった。 そもそも自己肯定感が低すぎて、自分の顔を鏡で静止できないほどだった私は、スキンケアもメイクもほとんどせず、内に内にこもっていた。 髪は常にベリーショートで、「男みたい」にしていた。そしてそれが洗練されている、というわけでもなかった。 高校生の時、安室奈美恵に夢中になってスカートの丈を短くしてルーズソックスを履いていた同級生を冷ややかな目で見ていた。自分を着飾ろうとすることは醜い、とそうはっきり思っていた。 23で上京してからも、ファッションに開眼する

          おブスだった私の人生を間違いなく180℃変えたファッションについて

          アタシ、DV妻になりそう

          以前、西新宿に住んでいた頃、ある夫婦を見た。 軽く億を超えそうな高級マンションの1Fにあるスーパーのレジの近くで、妻は男性のような話し方で夫を罵倒していた。ずっとずっと、罵倒していた。 夫はただオロオロするばかりで、 「わかったよ、わかったから」 そう繰り返していた。優しそうな人だった。それを見ながら思った。 私もああなりそう。 すごく人見知りで、友人は数える程。社会性を保つために外では平静を装っているけど、家ではその緊張が解けて、気を許しすぎて、一番近くにいて一

          アタシ、DV妻になりそう

          桑原あいのピアノで泣いた日

          ラジオから聞こえてきたジャズピアニストの音を聞いて、数年ぶりにコンサートのチケットを予約した。 6/25(金)東京オペラシティでのリサイタルホールでのソロピアノ。 ブルーノート東京のライブもあったが、ひとりで行くには少しハードルが高いし、夜も遅くなる。オペラシティは初台だから行きやすいし、トリオではなくソロピアノというところもいい。 子供はまだ小さいけど、休みを取って旦那に任せればなんとかなる。こんな時だけど、なるべく、今、生で経験できることを大事にしていきたい、そんな

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          コーヒーの“美味しい”が変わった

          20代の頃からコーヒーが好きで、引っ越したり新しい街に遊びに行くたびに、美味しい珈琲焙煎屋を探していた。 中川ワニさんのコーヒー本を読みながら、一杯ずつ豆を挽いて、ひとりで香り立つコーヒーを慈しんでいた。孤独で、質素で、それでも心は豊かな生活だったと思う。 家族ができてからも、美味しいコーヒーを追いかける生活は続いている。 最近のお気に入りは堀口珈琲。 https://www.instagram.com/horiguchicoffee/?hl=ja 通販で800gま

          コーヒーの“美味しい”が変わった

          アレクサにキレた日

          月に2〜3回、どうしても、止められない時がある。 旦那の仕事が佳境になってきて、お迎えとかお風呂とか、娘のお世話を私がほぼほぼしなきゃいけなくなって、仕事との両立がきつくなってきて…。 抑えなきゃ抑えなきゃ、爆発しないようにしなきゃって我慢して我慢して… ある日突然、その瞬間を迎えてしまう。 それが昨日。その理由は、3分のタイマーをアレクサにかけて、時間が来た時に、 「アレクサ、止めて!」 と何度言っても、止まってくれなかったから。ただそれだけ。 イライラしてい

          アレクサにキレた日

          22歳という年齢について

          テラスハウスに出演していた木村花さんの、あまりにも急な出来事について、ずっと彼女の動向を見ていて、微笑ましく、時に怒りのような感情も抱いていた一視聴者として、そして自分が22歳の頃に同い年の親戚を亡くしたものとして、少し思うことを書きたいと思います。 私が22歳の頃、ちょうど上京したてで、新しい仕事に就き、少し先の未来について、いくばくかの期待をしながら毎日を過ごしていたと思います。 そんな中、同い年のいとこの男の子が、ある行動を起こしました。

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