
外国語がくれるキラキラした気持ち
私も30代になって数年が経った。まだまだ若いと思っているし、実際まだまだこれからたくさん経験すべきことが残っているのも理解している。ただ、歳を重ねて、少しずつ、知恵をつけ、「賢く」なってくると日々の生活に何だか既知の出来事が増えてきて、新鮮な気持ちで物事を見ることが少なってくる。
外国語を学んでいると知らないことだらけ!
そんな新鮮さを感じる心を失いつつあるときに、外国語に触れると知らないことだらけの世界にキラキラしたものを見つけることができる。
もうそれなりに長いこと学んできた英語ですら、知らない表現がたくさんある。
例えば、最近知った表現に[an elephant in the room=誰も話題にしたくない問題]といったものがある。確かに、あんなに大きな象なんかが部屋にいたら話題になるはずなのに、見て見ぬ振りするってことは、誰も話したくないことなんだろうなと、その表現のストーリーがなんとなく見えてくる。
他の外国語ならなおさら、知らない文字、知らない発音、知らない表現だらけである。
外国語に囲まれたときに気づく自分の小ささ
海外に出て、外国語に囲まれて日本語が通じない状況になると、自分の外国語能力では伝えられないことが多く、自分が以下に矮小な存在であるかをいつも感じさせられる。
日本にいるときは、自分の母語を用いて、色々なことをエラそうに言っているくせに。
むしろ海外に行くのは、こうやって自分の小ささを再確認するためだとも言えるかもしれない。
外国語のおかげで取り戻すフレッシュな世界
自分の持っている言葉だけで生活をしていると、だんだんとその世界は色褪せていってしまう。自分でも気づかない間に。
「ああ、あのことでしょ。知ってる知ってる。」
「ああ、あれな。大したことないよな。」
こんな風にばかり考えるようになってしまうのは、自分が何でも知っている気になってしまうからだと思う。
そんなときにはひとつまみの外国語。
言葉を通して、自分のまだ知らない世界を覗くことで、まだ見ぬ自分の世界が照らし出される。
もちろん、母語である日本語にも知らないことは多々ある。
外国語は重すぎると感じる人は、新しい言葉を目指して、本を読んでみるのもいいだろう。
いつでもコトバは、私たちにキラキラとした世界を見せてくれる。
今日はどんなキラメキに出会えるか楽しみだ。