きらきらしていない言語学習〜リョウヤククチニニガシ〜
「言語学習でキラキラした世界を見つけよう✨」みたいなことを、前の記事で書いた。
今の自分にとっては、これは真であると思っている。
しかしながら、この「今の自分にとって」の部分が重要だ。
何かを学ぶことは本来楽しいのだけど、いつどこでも楽しいとは限らない。
(今気づいたのだけど、「いつどこでも」と言うけど、「どこいつでも」とは言わない。なんか面白い。)
今の自分の言語学習は道楽だ
今の自分は、自分の好きな時に、好きなだけ言語学習をしても、しなくてもいい。
授業で扱う部分くらいの英語の勉強は求められるけれど、いつまでにこれだけの言語力をつけなければならない!という切迫した状況にはない。
しかしながら、そんな道楽で言語の勉強に取り組んでいる人ばかりではない。
自分の外から求められる言語学習
人によっては、特に学生たちは、言語能力を限られた期間に、誰かに求められるだけ力をつけなければいけない。
そういった外的要因で言語の勉強をしている時ははっきり言って、しんどい。
「○○大学に合格するためにはこのレベルの問題が解けるようにならないといけない。」
「TOPIKで○級以上取らないと留学にいけない。」
「自分が望むポジションを掴むためにはTOEICで○○○点以上必要だ。」
とか色々な求められ方がある。
私にもその経験はもちろんある。
この学習の苦しさは、どれだけやっても、安心感を得ることができないところから来る。
だからこそ、道楽としての外国語学習を薦めたいのだが、そうは事情が許さない人だって少なくないというか、ほとんどの学習者がなんらかの外的要因によって勉強を進めざるを得ないのだと思う。
外的要因を利用しちゃえ!
どれだけその要因を恨んだって、何とかしてそれをクリアしなければいけない現実は変えられないのだから、その要因を学習に向かうエネルギーに変えてしまうしかない。使えるものは何でも使おう。
例えば、
・その目標をクリアすることで得られる結果を想像する
・その苦しみを乗り越えて成長した自分をイメージする
・成長するきっかけができたと感謝する
え、しんど。
はっきり言って、いずれも超人的なメンタル構造をしていないと難しい。
しかも、救われたいのは「今」苦しんでいることなのに、上記のものは本当にそうなるかもわからない「未来」について考えることでしかない。
苦しんでいる自分を受け止めよう
でも、こればっかりは受け止めるしか仕方ない。
「今」自分が頑張っていることは「未来」の自分を助ける、そして「過去」の自分に感謝できるようになる。
すべての点が「自分」につながる。
良薬口に苦し。大きな困難を乗り越えた先に大きな成果が実る。
大丈夫。
今は苦しいけれど、今の苦しみは薬になり、必ずいつかの自分を救うことになる。
いつか、道楽的な学習に足を踏み入れてくることを心待ちにしています。
今はもう少しガンバロー!!