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F.クープラン「クラヴサン曲集」プログラム・ノート 第5オルドル後半

第5オルドル後半の標題付き曲は9曲。うち5曲、半数以上が6/8拍子という特異なラインナップである。それも名作ばかり。ここでベーレンライター新版のみお持ちの方にご注意頂きたい事が1点ある。校訂者ドニ・エルラン氏の意向で、5曲この同じ6/8拍子を続けるために曲順を変更して印刷出版しているのである。ファクシミリ楽譜など持っていない方が序文(英仏語)を読まずにいると、こういう順番なのだと信じてしまうだろう。筆者は初めて見た時まさかの乱丁か?と驚いたのだが。クープランはジーグの後、6/8拍子の 「La Tendre Fanchon 優しいファンション」を置いているのだが、エルラン版では 「La Badine」になっている。そしてその右隣のページには参考として他の「La Badine」1707年、という曲が掲載されている。これはクリストフ・バラールによる選集(クープランの真作も含まれる)に載っているものだが、クープランの作品かどうかは不明だ。筆者は曲想からみて違うのではと考えているが。。。そしてその後に 「La Tendre Fanchon」 が来る。つまり6/8拍子を5曲続けるのが良いというわけだ。正直なところ筆者はあまり共感できない。他のオルドルで譜めくりを避けるために明らかに曲順を変えたのでは、というものがない訳ではないが、ここではその必要もないのだから。
肝心の「La Tendre Fanchon, Gracieusement 優しいファンション、優しく」 は3つのクプレを持つ魅惑たっぷりのロンドー。ファンションとはフランソワーズの愛称で、そう呼ばれていた当時の人気歌手、モロー姉妹の姉のほうという説もある。イ短調の嘆くように4度上行するテーマが右手、左手と追いかけるように始まる。第1、第2クプレでは一瞬の日差しを投げかけるような長調の響きも束の間、またすぐ曇ってしまう。音をいくらか遅らせて演奏する記号suspensionが多出、毎小節に溜息が漏れ聞こえる。最後の第3クプレは一変して16分音符のダイナミックなフレーズが物語を盛り上げるが、それも最後は諦めがついたかのように主題に戻ってくる。人生の一場面を追体験しているような繊細な音のスケッチである。
「La Badine, Légérement et flaté 戯れ 軽快に、得意げに」 ほぼ2声だけで書かれた、まさに音やリズムが「戯れ」るロンドー。ロンドー主題も2つのクプレも少しどこかひょうきんで、ちょっぴり間抜けな人物が思い浮かぶのではないだろうか。当時、折りたたみの杖を badine と呼んでいたようだ。
「La Bandoline, Légérement, sans vitesse バンドリーヌ 軽快に 速くなく」 ここからは短調系6/8拍子での名作が3曲続く。初めはロンドー。題名に関しては未だに決定打はない。マルメロ、麻の実から作った整髪料などとも言われてきたが、南フランス、トゥーロン近くの港町バンドールの誰かという説もあり。エクアドルのギターのような楽器の名前、というのも見つけたが時代的に違いそうだ(未確認)。さて、この曲はある点で「有名」になってしまった。曲集全4巻を通じて最低音である F0 音が出現するのだ(サムネイル参照。どこにあるか是非お探し下さい!)。それも m14 の1回のみ!ファクシミリでは◆で表されている。その直前 m11 にも Si♭0音が同様の形で印刷されている。これは直前の Gigue で出てきた◇と同じ意味である。巻末の装飾表、右ページの中央少し上、小さな四角に囲まれた文章によれば「四角い音符は下方にラヴァルマンされたクラヴサンでのみ使われる」。つまり低音の方に拡張され、当時最大の音域を持つ楽器が想定されているわけだ。「え、この音私の楽器にはない。いいところなのに弾けない!」と文句を言った人が多かっただろう。実は私もそうなのだ。手持ちの楽器に F0 は無いのである。クープランはこのあと2巻以降ではこの F0 を使っていない。逆に上の方には音域を延ばして d3 が使われるようになる。購買層の楽器事情をおもんばかったのだろうか。
全体を通じて音域は低く、marquée 拍子を守って、という指示のある左手は、オクターブを用い毎回立ち止まるようなリズムで曲を導いて行く。これは何の描写だろう。それに対して右手の8分音符の連なるでこぼこしたメロディーには coulée 流れるように、レガートで、という対照的な指示がある。最後のクプレで右手が華やかに16分音符で駆け回るのも定番だが、やはり期待通りで嬉しかったりする。前の曲のタイトルBadine とBandoline というのも何かわざとらしい気もするところである。
「La Flore, Gracieusement フローラ 優美に」花と春の女神としてとして君臨するフローラに相応しい、繊細かつ威厳さえ感じられる、短いが中身が詰まった小品。前曲と全く同じ音を用いた左手のオクターブによる上行形低音(これも何か意味がありそうだ)の支えの上、いきなり10度もダイナミックに下降する右手にまず心を鷲掴みにされてしまう。
「L’Angélique, D’une légéreté modérée アンジェリク 中庸な軽さをもって」 前半は短調、後半が長調の2部に分かれ、それぞれが2つのクプレを持つ二重ロンドーとなっている。前曲フローラの最後のフレーズをしりとりするように密やかに始まるのだが、後半長調に変わった時の至福感といったら半端ない。アンジェリクとはリュートに似た楽器の名前、または何人かの実際の人物の候補もいるようだが、曲があまりに素晴らしいので心底タイトルなどどうでも良い、と思ってしまう。
以上、まるで小型のトリプティークとも考えられるような、燦く3部作である。
「La Villers, Gracieusement ヴィレール 優美に」 この曲集はこの人の援助のおかげで出版することができた。郵便局長だったクリストフ=アレクサンドル・パジョ・ド・ヴィレールは楽譜印刷の資金を、近所に住んでいたクープランに提供したのだ。第1巻まるごと彼に献呈されており、表紙のすぐ後に「貴殿が望まれ、私は従った。」という有名な文章に始まる献呈文が美しく彫られている。ヴィレール氏は1713年にアンヌ・ド・マイイと結婚しているのでそのお祝いでもあろうか。左手は分散和音が続き、もっともクラヴサンらしいエクリチュールの一つと言える。毎拍起きる微妙な音の膨らみを大切に味わって弾きたい。短調で始まるが後半は長調に変わり「Un peu plus vivement より少し活き活きと」の指示がある。最後の部分でいきなり付点音符の新しいモティーフがやってきて、さらに元気度が増してゆく。支援のお礼にこんな曲を作ってもらったとは!幸せこの上ないだろう。
「Les Vendangeuses 葡萄摘みする人々」 葡萄を足で踏む時の労働歌かもしれない。説明不要のわかりやすい快活な短いロンドー(手抜き解説)。繰り返し音形の使い方の巧みさはさすがである。
「Les Agrémens, Gracieuesement, sans lenteur 装飾 優美に、遅くなく」 ファクシミリでは2ページ見開きにぎゅうぎゅうに押し込まれているが、その見た目と違ってゆったりした、珍しく長い曲である。前半は短調、後半で長調になると活気を帯び、終末はドラマチックな展開を見せる。日本では普通「装飾」と訳される題名には楽しみ、愛想、善意などという意味もあり、アクセサリーを付けた優しい人物のポートレートかもしれない。余計な解説は一切したくない名作。
「Les Ondes, Gracieuesement, sans lenteur 波 優美に、遅くなく」 1巻を締める最終曲は6/8拍子で得意のロンドー。クープランは海に行った事があっただろうか。第3クプレになってようやく水がチャプチャプするような描写音が出てくるまで、何をもって「波」なのかと思うのだが、当時 ondes は河、海また嵐による大波、という意味があったという。ヴェルサイユ宮の庭の運河で船遊びをしている貴族たちの描写なのかもしれない。

去年バーゼルでクープランの誕生日11月10日に小さなフェスティヴァルがあり、エルラン氏が新エディションに関しての講演を行った。オンラインで全て無料とは太っ腹であった。保存もできたので時差も気にせず見ることが適った。いろいろと見つかった楽譜などのために出版が遅れに遅れている第4巻は今夏刊行目処、ということで首を長くして待つことにしよう。

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