球跡巡り【なんばパークス篇】
今回から2日間にわたり、1泊2日の旅行記を書いていくこととする。初回は「あぶさん」でお馴染みの南海ホークスの本拠地の跡地となっているなんばパークスについてだ。
閑古鳥が鳴いた「昭和の大阪城」
名古屋から近鉄電車で大阪へと向かい、大阪難波駅で降りて南へと向かうとかつての大阪球場跡地に「なんばパークス」という商業施設がある。そこに南海ホークスの展示物があるので今回はそこへ向かうこととした。
まずはホームベースとマウンドのプレートがあった場所にタイルで目印がされていたので、そこに立ち野村克也氏と杉浦忠氏になった気分を味わった。当時の面影は街並みに全く以てないものの「こんな大都会に野球場が鎮座していたのか」という驚きを持った。名古屋で例えるのならば、ナゴヤ球場よりももっと都心に近い金山橋の辺りか栄に中日の本拠地があるようなものだろうか。電車1本で他府県から足を運べるということは大きな強みである。
しかしながら、このような一等地に球場を拵えながらも集客に苦しんだことこそがホークスというチームが大阪から消えてしまった要因なのではないかとも感じた。おそらく、スポーツマーケティングが発達した現代であれば、軽く観客動員数200万人を越す大人気チームとなり、阪神と強い人気闘争をしていることだろう。
南海ユニフォームを観察しよう!
洗練された南海グリーン
それでは30余年の時を超えて、リアルタイムの南海を知らない僕がユニフォームを観察することとする。
まず、非常にセンスを感じることは緑色をチームカラーとしているということだ。現在、企画ユニフォームやビジター・ユニフォームのチームカラーに緑色を採り入れている球団はちらほらと見られるが、143試合にわたって緑色のユニフォームを着用している球団はない。緑色という色は自然が連想され、「優しさ」の印象があるので戦う男の集団に使う色としては物足りないのか。しかしながら、南海のユニフォームがそれは間違いだと示している。
前述の通り、目に優しい色を使いながら、散らか強さを感じる理由は肩から袖にかけられているラインにあるのではないか。優しい色だからこそ、戦う男を屈強に見せるために施されている工夫であると考える。
古き良き帽子マーク
また、帽子のNHマークも非常に秀逸であると感じる。Nが人間、Hがダンベルのようなシルエットとなっており、まるで戦いに向けて鍛錬を積んでいるような見た目である。消化プリントや化学染料の技術が発達していなかった昭和のユニフォームを見ると、華美な柄や色を施すことが難しいのでこういったマークで個性を出していることが分かる。近年作られたユニフォームには感じられないこだわりである。
最後に
上記の野村氏のコーナーを見ると、「野村克典氏所蔵品」と書かれていることがわかるだろう。選手生命晩年の野村氏と南海球団の関係を知っている方なら「あれ?」と感じることと思うが、やはり家庭の問題はあれど野村氏は南海ホークスを愛していたのだなと感じた。「サッチー」こと野村沙知代氏が亡くなってからの野村氏は随分と耄碌していたが、南海愛を解放できたことを考えると彼の最晩年は幸せだっなのではないか。