『なにを自らの手で握るか』雑感400_65
毎日の読書から、だいたい400文字の雑感を。
他不是吾(たこれわれにあらず)
他人がしたことは、自分がしたことにならない。
社会の分業がますます進展している。仕事・生活を問わず、他人やテクノロジーへのアウトソーシングが可能となり、専門的な営みに自分の24時間を注げるようになってきた。
とても素晴らしいことであり、誰もが大きな恩恵を受けている。
その一方で、全体性に欠けていく自分や、他者(自分ではないもの)への依存が強まっていく状況に違和感を抱くこともある。生きる直接的な営みの欠如が、そのまま生の実感を奪っているようにも思える。
この数年で楽しくなった掃除や料理、2021年から始めた畑作業は、生に直結する営みである。毎晩の坐禅で感じる自分の呼吸は、生きる直接的な営みの最たるものだ。これらの行為を通して心が受け取る恩恵は計り知れない。
その1つの理由は「自分がしたこと」だから。生きるという本質的な営みに、自らの手で働きかけている何にもかえがたい充実感がある。
なにを他者の手に委ね、なにを自らの手で握るか。
『他不是吾』の精神がその判断を支えてくれる。
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