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「死にたい」という人にちょっとひとこと言いたい

最近、景気も悪いし生きにくい世の中になってきて、身近な人にも「死にたい」と言われることがあります。その度に私はかなり頑張って反論していますが、なかなかこちらの伝えたいことが伝わっていないようにも感じていて、Xでおかしなポストが流れてきたり、時折連絡がつかなくなったりするので困っています。メンタルコーチや心理相談員をしている以上、覚悟の上ではあるのですが、私も大切な人を立て続けに病気で失った経験があるので、この「死」ということには非常にこだわりがあります。それをちょっとまとめておこうかと思い、この記事を書いています。

まず、「自殺」についてはいくつかの理由から明確に否定しておきたいのですが、今の日本でも、人間関係や仕事、経済的理由などから自殺を選ぶ人が数万人います。人間には寿命があるのに自ら死を選ぶということは、おそらく「これ以上生きていても良い事が無いから」ということなのでしょうが、でも「死んだらそれが無くなる」「死んだら楽になる」などと誰が言ったのでしょうか?死者とはたぶん明確な会話はできないので、誰もそれは断言できないはずです。
そして、もしそれに反論する人がいたとしても、「人間はいつかは死ぬ」わけですから、自ら死を選ばなくても生き物の死は自然の摂理に組み込まれて確実にいつかやってくるのです。

つまり「死」について、生きている限り我々には選択権があってそれを保留されているとも言えます。死後どうなるかはわかりませんから、死後の選択権は生きている我々にはありません。運命に従うしかありません。
しかし死んでしまったら生きている時間をどう使うかの選択権は失われてしまいます。不幸な人生を変えられるチャンスがあるかもしれないし、うまくやれないかもしれない、でもいつか必ず死は来るのです。なんでわざわざ生きている間の自由を全て手放して、自ら死ぬ必要があるというのでしょうか。

生きている苦しみや辛さがどんなにひどくても、そう感じるのは人体の機能が働いているからです。物理的には神経伝達物質によるものでしかないのです。それらの機能が全て停止する「死」の概念を超えるような苦しみや辛さというものは基本的に無いのです。言い換えれば人類は脳が発達し過ぎていろいろな錯覚を起こしてしまっているので、どこかで生命の尊厳を忘れてしまっているのでしょう。

自殺にはもう一つ大きなデメリットというか、リスクがあります。それは、死ねなかった時、です。

実際、医療技術も発達して延命や救急措置も進化しているので、死に切ることは容易ではありません。「死にたい」という人はもしかしたら病人の看病の経験が無い人か、想像力の乏しい人なのかもしれません。もし救助されて後遺症が残り、痛みや障害が一生続くようなことになれば、五体満足で世の中に不満を言っていた頃の自分がいかに恵まれていたかを知ることになるでしょう。再び自殺する機能も失われて、拷問のような人生が何十年も続く可能性があり、しかも延命には多大なお金がかかります。日本では安楽死は認められておらず、延命を止めることも難しいのです。生きていた間に親身になってくれていた人たちにも心身ともに大きなダメージを与えることでしょう。

余談ですが、私は自殺志願者には寛大な気持ちになれません。最近、首を吊った後遺症で箸がうまく使えないというポストを見ましたが、事情を話すと優しくしてもらえるが、事情を知らない人からはバカにされるといったニュアンスでした。同情や応援のコメントもたくさんありましたが、「首を吊った」というところがどうしても私は引っ掛かります。自分で行った行為の結果ですから、お気の毒だけど受け止めるしかないと思ってしまいます。そして、自分では言わないだろうけど、その過程でたくさんの人に多大な迷惑をかけているはずです。Xなので本当かウソかはわからないわけですが、自殺やうつや発達障害のネタでこういったインプレッション稼ぎの投稿が拡散されているのを見かけるとやり切れない気持ちになります。

翻って見ると、私たちの「いつか死ぬ人生」っていったい何なんでしょうか。「期限付きのロールプレイングゲーム」みたいなものなのかもしれません。ゲームだったら辛いことも苦しいことも経験値に変えて楽しめるのに、リアルだと楽しめないのはおかしな話です。肉体も精神も借り物でいつか寿命は尽きるのですから。
競争では無いから時間がかかっても良いし、別にクリアできなくてもいいんです。リセットボタンはいつか勝手に押されるのです。肉体や精神を借りている間、いろいろな経験を味わって、できれば楽しく少しでも毎日を幸せにしていければよいと思うのです。

仕事がうまくいかない、人間関係がうまくいかない、と悩んだとしても、誰か支援者や保護者がいればそれで何とかやっていけます。東南アジアでは家族の誰かが稼いだらその人に乗っかって生活していくのは当たり前と聞いたことがあります。別にそれでもいいじゃありませんか。私も家族の誰かが食えなくなったら食わせるくらいはするでしょう。ただ、私が死んだらそれもできなくなるので、生きている間は「頑張って働け、稼げ、自立しろ」とは言うでしょう。もしそれも嫌だと言われたら見限るしかありません。どんな世の中だろうとそれぞれ頑張って生きるしかないし、ずっと誰かの面倒を見続けられるわけでもありません。私だっていつかは死ぬのです。



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