GWの終焉とファル子への思いと主観世界の限界と他者許容の着眼と呪われし姫君の話。
もうちょっとでウララちゃんの担当になれます。
皆さま、GW(ゴルシウィーク)は如何お過ごしでしたでしょうか。
もうGW終わって1週間近くなるのに何言ってんだコイツと思われるかもしれませんが、ここのところ更新をサボッ……滞っていたのには理由があります。それは余りに律儀に毎日更新し続けると、映画版デスノートよろしく更新時間から身バレする可能性が棄却できないからですね。決して字を書く習慣が定着しなかったとか、そういうことではないのです。
GWの単発ガチャで良いものは引けましたか? 引けた方はおめでとうございます。私は引けませんでした。友人が神引きをしてる裏で、私は6枚目のダイタクヘリオスを蹄鉄に変換していました。
そんなことより、明日からいよいよ新イベのCM(チャンピオンズミーティング)が始まりますね! マッチングの方式にもよりますが、廃課金勢にボッコボコにされて1勝もあげられない可能性も考慮して上級を選択しました。ジュエル使って挑んでも参加賞でいくらか返ってきますからね(消極的)。
ファル子ちゃんはえらい
さて、本日の議題はスマートファルコンことファル子ちゃんです。ファルコンだと厳ついからファル子って呼んでほしいらしいです。可愛いね。
ファル子ちゃんは先日ガチャに(例の如く☆3で)実装され、人材不足のダート界に光明をもたらし、ウララちゃんの枠を奪い去りました。ゆるせねぇよ……
いえ、ファル子ちゃんは何も悪くありません。むしろファル子ちゃんは我々ハルウララ後援会(非公式)の希望の光でもあるのです。上の画像をご覧ください。ファル子ちゃんは世界をダート中心に回るように変えてくれると宣言しています。ファル子世界であれば当然、あの憎き有馬記念を開催する中山競バ場もダートに変貌することでしょう。ダート長距離であればウララちゃんも勝ちの目があります。君もファル子と一緒に世界を変えないか?
前置きはこのくらいにして、ファル子ちゃんのキャラストから見えてくる、主観世界の限界と他者許容の着眼についてお話していきましょう。なお、筆者は哲学に疎いので、適当な造語を使っています。もっと適切な呼び方があるかもしれませんがあしからず。
主観世界の限界について
ファル子ちゃんのキャラストについては現在キャンペーンのため、ガチャで引かずとも4話まで見ることが出来ます。かくいう自分もファル子ちゃんを引けていない(血涙)ため、今回は4話までの内容を前提としています。まだ見ていない人は今すぐ見るんだ。明日までだぞ。
内容を事細かに取り上げるのは控えますが、ファル子ちゃんはその力強い走りから、自他ともに認めるダート適性の持ち主です。芝で思うように結果を残せないファル子にトレーナーはダート転向を提案しますが、一言で言えばダートはマイナーであり、「ダートでスターになることは出来ない」という理由からファル子はそれを拒否。その後ダートレースに触れ、ダートの魅力を見出したことで、上記画像のように世界をダート中心にすることを決意するのです。
私は何とか、このキャラストに自分の主張をこじつk……共通点を見出せないかと考え、「主観世界の限界」に思い至りました。ニュアンス的には、「漫画の作中人物は漫画家より天才にはならない」というアレです。
コンピューターに何らかの計算をさせ、その結果を導出する作業を与えたとします。コンピューターは基本的に計算を間違えません。しかし何らかの内部的・外部的要因により、計算に狂いが生じる可能性が0ではありません。このエラーを絶対に発生しない、エラー確率0%にすることは出来るでしょうか? 殆どの人は「No」と答えるでしょう。
何故なら、コンピューターは人の手で作られているからです。内部のプログラムは勿論、その部品を作る機械も元を辿っていけば、必ず最後には人の手によって作られたものに行き着きます。そして、人間はミスをする生き物です。人間が作ったモノに「絶対」はありません。人間の手によるものは人間由来のエラー確率を脱却できない……それをここでは「主観世界の限界」と表現することにします。
ファル子ちゃんは主観世界の破壊に成功した
コンピューターうんぬんがファル子ちゃんのキャラストとどう結びつくのかと、読んでいて疑問に思った方もいるでしょう。それは、「主観世界の限界」は精神的側面にも存在するからです。
例えば、アナタが(ディベートの席でも、SNSでも、状況は何でも)下のような主張に触れたとします。
煙草は周囲の人間にも害がある。にも拘らず平然と吸っている人は、他人への配慮など全く出来ない人間だ。煙草の吸殻も平気でポイ捨てするし、煙草を吸っている人にロクな人間はいない。
まあ主張の内容自体はどうでもいいのですが、問題はアナタが「ある主張」に触れた際、「直感的に」どのような反応を示すかです。好意的に受け止めたでしょうか、反論したくなったでしょうか。
「自分は他の人間と違って、物事を客観的に分析できている」と思っていても、人は自分の思う以上に主観世界……自分の見えている世界に忠実です。反応のタイプは大きく分けて3つあります。「好意的反応」、これは自己または自己の所属するグループがその主張によって利益を受ける際に発生します。上の例で言えば、日頃から煙草に悩まされている人が該当します。次に「否定的反応」、これは自己や所属グループが不利益を被る際に発生します。上記例なら煙草を吸っている人に当たります。最後に「中立的反応」、これは自己や所属グループが受ける利害が皆無または軽微な場合です。
当たり前のことを言っているようですが、重要なのは「人は最初に受けた反応を起点として、その反応を強化すべく理論を構築する」傾向にあることです。要するに、その主張が事実関係的にどうだとか、理屈の整合が取れているかは無関係に、「好意的反応」であればその主張を支持し、「否定的反応」であればその主張に反対することになります。ひとたび自分の立場が決定すれば、理屈は後からいくらでも付いてくるものです。
この固定観念を打ち破るのは、なかなかに難しいことです。何しろ根底に「反応」があるので、いくら理屈を説かれても立場を変えるまでには至りません。しかしファル子ちゃんは違いました。
ダートに適性があると分かっていてもダート転向を拒否し続けてきたファル子ちゃん。しかしダートレースに触れ、キラキラに輝くウイニングライブを目にし、その魅力を素直に受け入れ、自分を反省するに至った。私はそんなファル子ちゃんを見て、えらいなぁと感じたのです。
他者許容の着眼──それは容易ではない
我々もファル子ちゃんのように、自分と違う意見を素直に認められるようになるには、どうすれば良いのでしょうか。この問いは、人生のQOL向上のためにきっと必要になると、私は考えています。
答えを出すのは容易ではありません。時と場合によっても違うでしょうし、正解がない場面だってあるでしょう。しかしそれでも、我々は考えていかなければなりません。
コンピューターのエラー確率を0%にすることは出来ません。では、エラー確率を低くするにはどうすればいいでしょうか。それはエラーチェック用のシステムを用意することです。当然そのシステムがエラーを起こすことも考えられますから、複数のシステムを用意すれば、エラー確率はどんどん低くなっていきます。そのエラーチェックシステムも、同じ観点からチェックするのではなく、複数の視点からチェックする……多様性が重要になってきます。
これは社会にも言えることではないでしょうか。社会には様々な人がいます。ひとつの意見があれば、必ず対立意見があり、正直うんざりすることもあるでしょう。しかし対立意見が生まれること、それ自体がとても貴重なことです。社会全体がひとつの意見を支持し、対立意見を排斥し、ひとつの方向に進んで行ったとして、それは好ましいことでしょうか? 必ずしもそうでない……人間はミスをする生き物です。そして社会の構成単位が人間である以上、社会のエラー確率もまた、0%にはならないのですから。
呪われし姫君とあとがき
以上、長々と日頃から思っていることを書き連ねてみました。反対意見もあることでしょう。それは当然であり、好ましいことのはずです(私がそれを許容できるかは別問題として)。
タイトルに呪われし姫君と入れてしまったため触れなければなりませんが、意図があって入れたものではありません。完全にノリで入れてしまいました。お詫び申し上げます。
最後に私の主張をまとめますと、「私はキタサン×テイオー派であり、マック×ライス派であるが、テイオー×マック派の意見も尊重し、互いの良さを認め合わなければならない」と、こういうことになります。それでは、またクソ記事を書きたくなったらお会いしましょう。