キャリアとは「幸せに生きるための人生デザイン」だと思う
チルです。最近は編集者の皆さんがキャリアについて語っているのを横でみていたり、みていなかったりしています。
今月末にライター研究所主催「編集者の生存戦略セミナー キャリア編」が執り行われるということで今からわくわくしてるんですが
キャリアってとっても多様ですよね。じゃあキャリア論ってなんなのか。突き詰めたら「幸せに生きるための人生デザイン」なのではないかと思っています。
以前の私は「職なし、経歴なし、ママ友すらなし」みたいな感じでした。この状況を楽しめる性格ならよかったのですが…当時は虚無感と一緒に過ごしていたような気がします。
今だって大きな額を稼げているわけではありません。でも前と比べたら「人生のデザイナー」として成功してきたように思います。なんせ謎の焦燥感や罪悪感が無くなったし、投資と作業のバランスもとれている。なにより、じんわりと幸福を感じることが増えました。
今回はそんな経験をもとに「キャリアをどうデザインしていくか」を、つらつらと書いていこうかなと思います。
「キャリアのわらしべ長者」で市場価値があがっていく
働いたことがない人、もしくは誰にでもできる仕事しかしてこなかった人は市場価値が低いとみなされ、採用されにくかったりします。そんな時に参考にしたい童話が「わらしべ長者」です。
働きたい専業主婦(※職歴なし)だった私が持っていたもの。それは「家にいる時間」と「少々のお金」でした。
そこでまず始めたのは資格勉強。子どもの昼寝時間を利用して、ファイナンシャルプランナー3級と簿記3級の勉強をしました。この時は「勉強しても無駄かもしれないな~~」なんて思いながらやっていたのですが、別に無駄になっても±0なんですよね。開き直りが肝心です。
そして無事FPは合格。簿記は取得していませんが、勉強していたことがきっかけで前職場に採用されました。わらしべが交換された瞬間です。
そして今、前職場で身に着けたアレコレの知識を使って、ライターをしています。
わらしべを交換したいなら“慣れ”から脱却すること
ライターになってからそんなに経っていないので偉そうなことは言えませんが、個人的に「目の前の仕事をゴリゴリしていたら誰かが引き上げてくれる」なんてことは……無いとは言えないけれど……もっといい方法はあると思っています。
たとえば、報酬1000円でぬいぐるみ1体を作る仕事があったとします。頑張って作業にも慣れてきて「私はぬいぐるみ製造マシーンだぜ!」と思えるまでに成長しました。おかげで信頼されるようになりましたが、ぬいぐるみ単価が2000円になることはありませんでした。
このままだと労働集約的で、収入を増やすには高速で働かなきゃいけなくなる。けっこう疲れてしまいますよね。
では、ぬいぐるみ製造のスキルを転用して”めちゃカワ”なぬいぐるみを新規開発してみたり、作業のコツを他の作業員に伝授してみたりしたらどうでしょうか。
これらのサービスを提案された企業は
売上があがる
コストがさがる
このどちらかが得られるので、もっと高い報酬を渡してくれるかもしれません。ぬいぐるみを作ったことのない素人が「”めちゃカワ”ぬいぐるみ」を作ることは難しいけれど、ぬいぐるみ作りに慣れている人だったらだいぶハードルが低くなっているはずです。
ライターだったら、SEOの記事執筆に慣れてきたらKWD選定にも挑戦してみるとか、導線設計してみるとか、企画を出してみるとか、またはSEO以外にも足をのばしてみるとか、そんな感じでしょうか。
どんな仕事でも「なーんか単純作業化してきたぞ」という瞬間はでてきます。たとえクリエイティブ職でも一定の慣れが生じます。そこで「慣れてきた今だからこそ、自分はどこで追加貢献ができるだろう。」と考えて動くと、わらしべが大きくなっていくんじゃないでしょうか。
「スキだけど苦手」は幸福につながるのか
この議論は東進ハイスクールの林修先生が語り尽くしていますが、仕事は「好きと得意」、どちらで選べばいいのでしょうか。
私も散々悩んできたのですが、出た結論は「とりあえず、得意なことは喜ばれる」でした。得意なことなら割と早めに評価されるし、誰かの足を引っ張る可能性も低い。業務自体は好きになれないとしても、何かしら社会に貢献している感覚が得られる。これって社会的動物「NINGEN」にとって凄く幸せなことなんですよね。
逆に、好きだけれど向いていない仕事。
競争戦略を専門とする楠木健先生によれば「人に求められない仕事は趣味」らしいです。人に求められなくてもやっていい、ただそれは趣味なのだと。
そもそも、仕事は誰かの「めんどくさい」を代行して成り立っています。だから仕事はだいたいめんどくさい。めんどくさい代行業をするのであれば、発注者側の意図に沿った仕事をする必要があります。
お客さんが「食パンくださいな」と言ったのに「ハイよ!メロンパン!」みたいな仕事をしていると、食べログに「あの店主、注文無視してメロンパンしか出さねえ ★1」と書かれてしまうんですよね。
じゃあもしも、自分の好きなことが評価されるときがあるとすれば。それは趣味の作品が誰かの心を動かしたとき、そして新たに需要が生まれた時なのだと思います。
たとえば、米津玄師さんがニコニコ動画で活動していた時は、多分収益化なんて狙っていなかったと思う。でもあれよあれよと人気が出て仕事に変わり、音楽に興味のないおじいちゃんでも「何だっけあの人…げんまい?」と認識されるようになった(おこられそう)。
趣味で収益化できるかなんて運要素が大きいけれど、お金なんて度外視しても楽しめることこそ、本当に好きなことなのだと思います。
大切にしたいことから逆算して働き方を考える
いやー子育てって大変ですよね。子が熱を出してお迎え要請、行事参加、各所に謝り倒して、周りも「まあまあ、しょうがないよね」とは言ってくれるけれど申し訳なくて、その苛立ちが子どもに向かいそうになって罪悪感。かといって仕事をすれば今度は子どもと向き合えなくて、大変ですよね!!!!!!(大声)
子育て時期はとくに顕著ですが、キャリアの中で「今、何を大切にしたいか」は入念に考える必要があると思っています。あくまでも感覚値ですが、キャリアを考えるとさまざまな”見たくない現実”にぶち当たる。
例えば、子育ての時期は働く時間が制約されます。年齢を重ねるほど体力は落ちていきます。若いうちから唯我独尊だと学ぶ機会を逃すかもしれません。ほかにも人より体力がなかったり、苦手なことが多かったりもするかもしれません。
こうやって洗い出していくと、自己の無能さも含めて色々直面するんですよね。
仕事、家族、友人、健康。全部欲しい。けれど、全部理想通りにはいかない。そんな現実を受け止めないと、1番大切な何かを壊してしまうかもしれません。
今大切にしたいことは何か。全部は選べないという現実と向き合い、大切なこと以外は捨てると決める。私の場合は「子ども」「3方よし」「スキルアップ」が大切なので、その観点からやらない仕事を決めています。
単価○○円以下は受けない(スキルがあがらないから)
倫理的にギリギリなサービスは推さない
現場レベルの人たちが低単価で疲弊していたら抜ける
子どもが熱を出しても、受け入れて休めるレベルの仕事量にする
こんな感じの縛りを作っています。もしこのような取捨選択で仕事が無くなってしまうのなら……コミュニケーション面やスキル面で、なにか別の課題があるのだと思います。だとしたら尚更、一旦仕事をやめて内省した方がいいと思うんですよね。
「認知される」ことの大切さ
仕事をしてきて改めて思ったのは「仕事は人が作るもの」ということ。
なんなら、今ここで私が「メディアを作ります!ライター募集!」と言ったらもう仕事ができてしまう。そのときは私の知り合い、つまり私が認知している方々に声をかけると思います。
だから、誰かに認知されているってとても重要です。しかしそれは「人脈を作りましょう!SNSで仕事獲得!」という訳では無くて、今一緒に仕事をしている人を大切にして、時間と場所が合えばちょっとご飯でも行ってみる。人に気に入られたいとかそういう気持ちも全部捨てて、日頃の感謝や相手の好きなところ、価値観や悩みも素直に開示してみる。
恥ずかしさが先行してやりたいことをグッと黙っているのは機会損失だと思います。素直に開示すれば「あ、そういえばあの人○○やりたいって言ってたな」と思い出して貰えるので、SNSでもリアルでもガンガン言った方が良い。
とはいえ、「納期守りませーん、スキルはありませーん、初心者でーす、注意されたらやたら凹みますー!」なんて人に仕事を流したい方は居ないと思うので、やっぱりそこは基礎である人間性を磨くしかないんですよね(うっブーメランな気がしてきた……)。
1人の後ろには何人もの人がいるので、良いことも悪いことも広がりやすい。全員に好かれることはできないけれど、人との交流を楽しむことも、キャリアを築くうえで大切なのかなと思います。
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