「信じていれば」の違和感
今回は、C-C-B最後のアルバムとなった「信じていれば」についてお話ししてみたいと思います。
発売は1988年12月15日。前作の「走れ★バンドマン」が同年の5月なので、ハイペースなリリースだったかもしれません。
「石はやっぱりカタイ」「走れ★バンドマン」の流れで聴いていくと、ずいぶんと大人の世界を描いた作品でまとまっている感じです。
アイドル全盛期とは全く違う世界観です。
発売当時15才の私でしたが、なんだか「謎に包まれたアルバム」だなぁという印象を受けた記憶があります。
これまでのアルバムにひとつはあったはずの「しあわせ物語」を感じるような作品が全くないのです。
描かれているのは「別れ」「後悔」「不安」「混沌」みたいなものばかりで、「あらどうしちゃったの?C-C-B??」と、未熟な子どもの私でも一種の「違和感」を覚えたほど。
(「もう、遅すぎて」って、タイトルだけで切ない)
ひょっとしたらこの時点でもう、解散の意思が固まっていたのかもしれません。
当時は「なんで?」と感じたアルバムジャケットも、彼らと活動をともにしてきた楽器や機材との記念写真とみるなら、とても納得のいく仕上がりです。
本当に「音楽を愛している演者」の彼らなんだと思います。
シングルで「信じていれば」「A-Ki-Ra-Me-Na-I-De」が先行発売されたときに、彼らのラジオで英樹さんと田口さんがこんなやりとりをしていた記憶があります。
「信じていれば」
「A-Ki-Ra-Me-Na-I-De」
「信じていれば」
「A-Ki-Ra-Me-Na-I-De」
この二つのフレーズを二人でふざけあいながら何度か掛け合いをしてたんです。
一見 宣伝文句のようにも聞こえますが、なんとなく意味深で。
「信じよう」
「あきらめちゃダメだよ」
そういうニュアンスで言ってるんじゃないかな?と、その時点でも感じました。なんか変な雰囲気だったんですよね、またしても「違和感」です。
(彼らがこのとき、何に対して「信じていれば」「A-Ki-Ra-Me-Na-I-De」と言っていたのかは分かりませんが)
80年代後半には、アイドルの存在が次第に下火になり、変わってビジュアル系のバンドが登場するようになりました。
もっと振り切ったアイドル、光GENJIのブレイクも音楽シーンを変えてしまうほどの衝撃でした。
こういう時代の流れを受けて、彼らも4人になってから、活動の方向性に苦心していたのではないかと思います。
決定打が出せないまま、時間だけが過ぎていく感じだったのではないでしょうか。(あくまで推察です)
アルバム発売の4ヶ月後には解散を発表していますから、この一枚には、ありったけの思いが込められている、といっても過言ではないでしょう。
当時の風潮でいえば、89年10月の解散までに半年あったのだから、もう一枚くらいオリジナルアルバムが発売されてもおかしくなかったかもしれません。でも、それもなかった。
4人でできるすべてをもう、やりきっていたのかもしれませんね。
noteクリエイターの猫星さんが、4人になってから解散の頃までを記事にしてくださっていたときに、私もコメントさせていただいたのですが、
「信じていれば」の収録曲、「Ass Fool」は男女の別れの曲ではなくて、彼らのことを描いている曲なのではないかという説が持ち上がりました。
彼らのことのようでもあり、私たちファンとのことようでもあり・・・。
本当のところは「当時の彼ら」にしか分からないことだと思うので、いまさらなのですが、そういう目線でこのアルバムを聴いていくと、当時抱いた「違和感」も薄れていく感じがします。
ちなみに、このアルバムが出てすぐの大晦日のライブが、例の「ロックンロール・バンドスタンド」でした。(コメント欄にご注目です)
この舞台に立つことも、ひとつのチャレンジ(「信じよう」
「あきらめちゃダメだよ」)だったのかもしれません。
彼らがどんな気持ちだったのか、真意のほどは分かりませんが、緊張感のあるステージだったことには間違いないでしょうね。
(ああ、早くカメラ屋さんでDVDにしてもらおう!!)
・・・積年の想いがありすぎて、曲のレビューには至らなかったわ。笑
次回はちょっと難解な世界観の「ひとりの世界」にクローズアップしていきたいと思います。
(ごめんなさいだけど、超・私的見解になります!!)