#受験の心変わり。
「親のすすめでついた仕事だったけど、向いていなかった。」
「やりたいと思っていたけど、実際やってみたら違っていた。」
「仕事は好きだけど、人に恵まれず職場に行くのが辛い。」
などなど、わたしたちは様々な理由で、仕事を辞めたり転職を考えたりしますよね。
わたしの場合、最初の転職は、仕事も会社も人も好きでしたが、適齢期を迎え自分のライフステージが変わることを見越すと、その会社での働き方は難しいと判断し、時間的な融通が利きそうな会社へ転職しました。
転職して間もなく、東日本大震災に見舞われ、実家や親族が被災しました。
親姉弟たちが生きているのか死んでいるのかもわからないまま、音信不通、福島の原発事故で助けに向かうこともできず、何もできない無力さを覚える2週間ほどを過ごしたことで、人生観が大きく変わりました。
安否確認が取れ、それから数ヶ月し、社長との会食の機会がありました。
そこで社長から、
「実家は大丈夫だった?」と聞かれ、「おかげさまでなんとか…」と答えると、社員に向かって次のようなことをおっしゃられました。
「(わたしの前職の会社名)は、この震災で義援金を出したとかなんとか話題になってるけど、俺はそんなことはしないね。そんな義援金出すくらいなら、自分の会社の社員たちのためにお金は使いたいね。」
わたしがその時、被災地と無関係であれば、もしかしたら「社員想いの良い社長だ!」と感じたのかもしれません。
しかし、その時のわたしは、いやもしかすると、被災に関係する人たちは正直、総スカンでしかありませんでした。
義援金を出してほしいと言うことではありません。自社の社員を守り大切にする。そのポリシーも理解できます。
しかし、船が流され、津波が引いた後も漁にも出られず生計が成り立たない、家は崩壊し町が丸ごとなくなって、まだ雪さえチラつく寒々とした避難所の体育館に、身を寄せ合ってダンボールの上で寝起きする人たちを前にしても、同じことを言うのだろうか?
「ただ生きていてくれたらいい」と、「ただ、何もできなくてもそばに寄り添いたい」と、家族を想った自分の企業のトップが、わたしを前にそうした言葉を発するのか?
自分が属したいと思う企業像が崩れ、辞めて自分が自分の理念に従い仕事をしよう!と、退職を心に決めました。
前置きが長くなりましたが、今回お話ししたいことは、「辞めること・やらないことは、悪ではない」と言うことです。
人には得意不得意があり、向き不向きがあり、その時々の色んなことがきっかけとなったり影響したりして、意図せず心変わりすることもあります。
大人のわたしたちさえそうならば、子どもたちだって当然同じはずです。
夏休みが終わり、これから受験期に季節が向かうにつれて、全員ではありませんが、多くの受験生たちの心境に変化が見られるようになります。
受験をしようと思っていたけど、やっぱり辞める。
とか、
●●中学、●●高校、●●大学を受けたかったけど、志望校を変えたい。
とか、
成績が伸びるか不安だから、塾を変えよう。
とか。
そうした時、わたしの場合、
「こう思うんだけど、どうでしょうか?」
と言う相談ならば、わたしなりの指導経験に伴う見解を述べます。
しかし、自分の中で決定事項として伝えられる場合には、「承知ました」と、ただそれだけ伝え承認します。
中には、引き留められたかったり、思い留まらせてもらいたかったりする生徒や親御さんもいるのですが、それはしません。
受験はある種の勝負事であり、本人の覚悟以上に必要なものなどないのです。わたしと駆け引きしている暇があるなら、本番に向け少しでも自信と実力がつくための努力に、そのエネルギーを向けて欲しい。
例えばオリンピックでメダルを目指すアスリートが、
「金は無理だから、せめて銅を…」
と思っているとしたら、メダルを獲得できるでしょうか?
金を目指した結果としての、銀・銅メダルなのです。
ですから、子どもたちや親御さんの中で、当初の目標や目的と気持ちが変わり始めたのなら、その気持ちに従って変更すれば良いのです。
そしてくれぐれも、それが「悪」ではないということも、十分理解しましょう。
目標を下げたのではなく、実情に合わせ、目標を変えた、と言うのが正しいです。得意不得意、向き不向きが誰にでもあって、自分に適した目標に変更したに過ぎません。
早いところだと11月、年末年始と、全国各地さまざま受験期に移行していきます。やり続けるなら迷いは捨て去り、覚悟と強い意志が必要ですし、変更するなら、後悔しない決断力が必要です。
選択肢を広く持ち、柔軟に、自分に合った受験や目標達成をして欲しいと、毎年この時期になると強く思います。