明鏡止水

「明鏡止水」という言葉は聞いたことありますか?由来は清王朝の金缨が著作した「格言联璧」から来たもので、全篇は以下の通りです。まさに中国の知識人の矜持を表していると思います。

明鏡止水以澄心 泰山高崇以立身 青天白日以應事 光風霽月以待人

私の感覚では、実行するのはその順番に難しくなりますが、少なくとも今時点では、その中で相対的に一番簡単な「明鏡止水以澄心」にチャレンジしたいと思っています。

挑戦したいと言っても、生半端な気持ちでできるものではありません。なぜなら、「明鏡止水」とは一種「無」の境地で、そこに到達するには、しっかりとまず「有」のレベルまで達し、そこから「有」を忘れて初めて習得されるものだからです。極論すれば、「無」-> [有] -> [無]のサイクルを少なくとも一回経験しないといけないと私は思います。

「游刃有余」編の料理人が持つものをもし有形固定資産だと例えるのならば、「明鏡止水」とは無形固定資産になります。「無」だからこそ、それを身につけるのは一段と難易度が上がります。

自分自身を振り返れば、「自我」が強すぎて、今までは恥ずかしい位できていませんでした。が、きっかけはさておき、「明鏡止水」という境地にチャレンジしたくなってきたのは自分の心境の変化の現れで、一種の成長でもあると思うので、それを大事に、邁進したいと思います。


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